8月29日


     × × ×     


 めちゃくちゃにののしった。

 もう二度と叔父さんとはボードゲームしない、と繰り返し言った。

 そこから先のことはよく覚えていない。気づいた時には明かりが消え、独りで布団の中にいた。


 2023年8月29日。午前4時37分。

 触れて確かめるまでもなく僕の肉体は女の子のままで、リビングのテーブルはすっかり片付けられていた。

 薄暗闇の中、僕は欠伸あくびを堪えきれない。


 これからどうしよう。

 正攻法で行くなら叔父さんの『ねがいカウンター』を再び集めていくことになる。もしくは初めの頃みたく『特殊カード』のランダムイベントに賭けるか。他に方法は見当たらない。


「つらいなあ」


 どちらにしろ期待通りの結果に繋がるとは限らず、むしろ叔父さんのボードゲーム・コレクションが満たされていくばかり……という可能性さえある。窓際の戸棚が増設されたら笑い話だ。

 いっそ今のうちにぶち壊してしまおうか。


 僕は座布団を踏みつけ、ザラついた戸棚の天板に手をかける。あとは手前に引き倒すだけ。棚から滑り落ちたボードゲームの箱は歪にへこみ、傷つき、一部は中身が飛び出てぐちゃぐちゃになるだろう。

 追い討ちとばかりに革靴を履き、ぶちまけられたコレクションをどんどん踏みつぶしてしまえば、少しくらいは自分の気が晴れるかもしれない。


 なのにそうしなかったのは、ちょうど目の前に『バトルライン』の箱が見えたからだ。黄色い箱の隣には『ロストシティ』『パッチワーク』『ローゼンケーニッヒ』『タルギ』が並ぶ。上段の棚には小箱系の2人対戦ゲームが多い。

 ここのアパートに来てから何度も何度も付き合わされてきた、歴戦のボードゲームばかりだ。

 指先の力が抜けてしまう。そのまま座り込むと下段の大箱たちが視界に入ってきた。『ワイナリーの四季』『村の人生』『大鎌戦役』『クルード』──僕はティッシュの箱を探す。これらのゲームに罪はない。


 全部叔父さんが悪い。

 近頃は多少なりとも話が通じるようになったと思っていたのに。結局のところ、おいのことなんてどうでも良かったのだろう。

 思えば、初めからわかっていたはずだった──お前を居候させるのはゲームの相手が欲しいからだ。引っ越し早々に言われた時は面食らったが、まさにそのとおりだった。それ以上でもそれ以下でもない。

 あの人にとって自分はゲームのおまけなんだ。僕は何を勘違いしていたのやら。


あお


 廊下から会いたくない人の声が聞こえてきた。

 僕は咄嗟にティッシュの紙を丸めた。そのままゴミ箱同然の顔面に向けて投げつける。少し逸れて相手の右肩に当たった。


「すまない。蒼、聞いてくれ。実は……」

「何が。あの『カタン』がどうしても欲しかった理由なんて別に聞きたくないんだけど」

「そうじゃない……本当にすまない。お前を傷つけるつもりはなかった。まさか、あんなふうになるとは思わなかった」

「もういいよ。どうでも。あれが叔父さんの本心なんだろ。わかりやすいじゃん」

「ああ……そうらしいな」


 叔父さんが力なく答える。

 否定しないんだ。


 僕は身体の奥底から沸き出るものを噛みつぶし、リビングからふすまの奥に逃げ込んだ。パシャリと自室を閉め切る。

 独りになりたい。今の姿で実家には帰れないが、ここに居たくもない。誰かの家に行きたい。


 布団の上でスマホを開いてみる。反応しない。USJでバッテリーを使い果たしてしまったらしい。

 僕は手近なタオルケットを抱きしめる。糸くずの匂いがした。


「蒼」


 襖越しに話しかけられる。タオルケットを被っても相手の声が伝わってくる。こんな閉鎖空間では逃れようがない。

 僕は両耳を手の平で抑えた。もう叔父さんと関わるのはイヤだ。早く自分の部屋に消えてほしい。


「蒼。あれから俺も部屋で考えていた。ああなったのは何故か。お前のことをいじめたいのか。お前の苦しむ様を見たかったのか。そこまであの『カタン』が欲しかったのか。ずっと考えていたが、どうやらどれも違う」

「明日も仕事なんでしょ。叔父さん」

「仕事は休む。聞いてくれ。俺は……叔父さんはな、最近ずっと楽しかった。お前と『特殊カード』の山札を引いては、カードのプレイに悩み、拡張要素の対策を練ってきた。夜には『精神力コマ』回復のためにボードゲームの対戦に興じた。今がすこぶる楽しくて仕方なかった。なぜだか、蒼にはわかるか?」

「はあ?」

からだ。お前に遊んでもらえて嬉しかったんだよ。だから多分、今を惜しんでしまった」


 机を叩く音がした。

 僕は何も言えなくなる。言葉が出ない。

 

「蒼には申し訳ないことをした。さっきお前が言っていたとおりだ。自分勝手だった。反省している」

「叔父さん」

「お前が元に戻るまでボードゲームの相手はしてくれなくていい。これは俺なりのケジメだ。今度こそお前を「奇行」の力で小野蒼おとこに戻してみせる。だから……すまんが今から『ワイナリーの四季』に付き合ってくれ」

「んんんんんんっ!?」


 思わず襖を開けてしまったが、座布団に鎮座する叔父さんの小粒な目は真剣そのものだった。

 僕は余計に恐ろしくなる。

 叔父さんの思考回路が理解できない。ゲームしなくていいが、今からゲームしてくれって。どういうこと???

 仕事を休むとか言い出すし。何なんだ一体。


 こちらの反応を察してか、叔父さんが小さく手を叩く。


「ああ。実はさっきから『精神力コマ』の表示が消えていてな。もう朝の5時だが、手番開始を唱えても山札が出現しない」

「えっ」

「おまけに妙に頭がスッキリしている。どうも「奇行」が消えた様子だ。考えてみれば、今までも蒼と揉めるたびに「拡張」が起きていたが、今回はゲーム自体が終わってしまったとみえる」

「待って。それだと僕はもう……」

「だからもう一度始めるぞ」


 叔父さんは戸棚から『ワイナリーの四季』の箱を取り出す。


「今から66時間耐久ボードゲーム大会……あの『満漢全席』をやり直す。俺は再び。出来るかぎりでいい。蒼も手伝ってくれ」


 卓上にワイン畑のメインボードとカードが並べられていく。

 少人数でやっても2時間近くかかるゲームだが、それでも全期間のうち1割にも満たないとなれば、これから叔父さんがやろうとしていることはほとんど狂気の沙汰と言える。

 3日連続徹夜になるじゃん。


 かつて叔父さんは大学の同好会仲間と『満漢全席』を達成し、脳内にボードゲームを取り込んでしまい「奇行」の持ち主となった。

 もし望みが叶うなら、自分の「奇行」を治したいと以前語っていた。

 なのに叔父さんの本心は──回りくどいけど「今」を選んだ。


 僕は部屋間の敷居をまたぎ、叔父さんの対面に座ることにした。

 絶え間なくプレイを続けるためには原則的に対戦相手が不可欠となる。今ここには自分しかいない。


「叔父さん」

「なんだ」

「僕は叔父さんみたいな変わり者になりたくないから、なるべく助っ人を呼んでね。僕も友達に頼んでみるし」

「わかっている。もう山名やまなと庄司君には連絡しておいた」

「なんで叔父さんが僕の友達に声かけてんのさ……別にいいけど」


 ふふっ。僕は少しだけ笑いそうになった。咄嗟に口を抑え、せきでごまかす。

 自分の人生設計を考えれば全く笑いごとではない。叔父さんの背中に蹴りを入れたい気持ちもあるのに、若干安堵してしまっているのは、我ながら如何いかがなものか。

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