8月28日 ・・・◎◎◎◎◎◎ ユニバ③


     × × ×     


 僕の夏休みが終わる。

 海辺の街にしろジャングルにしろ、魔法の世界でもキノコ王国でも、あるいは近未来の水上の砦であっても。夕焼けには終わりの予兆がつきまとう。

 入場ゲート付近の華やかな夜景を背に、僕たちは締めくくりに相応しい笑顔で写真を撮った。


「堪能したなあ」

「いっぱい遊んだね~」


 僕の呟きに石生いしゅうが反応してくれる。疲れ知らずの彼女はなおも意気軒昂いきけんこう、帰路の舗道に愛想を振りまいていた。

 彼女の革靴が小刻みにステップを踏み、僕たちの前に躍り出る。くるりと振り返ったかと思えば、人差し指を口元に添え、ふんわりとした表情で白い歯を見せてくる。


「ポップコーンの殻、奥歯に挟まったまま~」

「あー……可愛いと何言っても許せちまうなあ」


 石生とは対照的に疲れきった様子の庄司が、紙袋の持ち手部分を手首に通し、力のない拍手を送っている。

 昔からこいつには体力がない。プールの時も夕方にはへばっていた。


「おおっ」


 石生が嬉しそうに両手を広げる。

 これは普段の大げさなジェスチャーではない。可愛い(と庄司から言われた数)対決の勝ち星を示している。5対5。

 なんで自分と彼女が互角になるのやら。向こうは可愛いの数倍くらい「ビジュアルが良すぎる」だの「大阪に落ちてきた天使」だの言われていたが。


 僕たちは駅に辿りつく。プラットホームに降りたあたりで庄司が左手の紙袋を押しつけてきた。仕方なく預かってやる。中身は地球儀を模したクッキー缶だった。ゲート前でぐるぐる回っているアレだ。

 あまりに定番すぎるお土産に対し、僕は少し冷やかしてやりたくなる。


「ええ~。庄司君ったら。気になる子に渡すお土産を外したくないからってえ~。ベタすぎて笑っちゃうかも~」

「くっっっっそ似てねえな。そのクオリティを本人いしゅうの前で見せちまう度胸がすげえわ」

「えっ……今のあたしのモノマネなの?」

「うぐがぁっ」


 友人たちの辛辣な反応に胸が痛くなる。


 僕は一足早く環状線方面の直通列車に乗り込み、後から入ってきた彼らに背を向けた。

 頭を冷やそう。普段なら絶対やらないような失態をやらかしてしまった。遊園地のテンションにあてられすぎたせいだ。舞い上がっていた。すごく恥ずかしい。列車の窓に映る自分の顔が真っ赤だ。

 自己嫌悪に浸っていたら、右肩を叩かれた。


蒼芝あおしば

「何だよ」

「まずオレの知ってる石生はあんなメスガキみてえなこと言わねえ。解釈違いがすぎる。反省しろ」

「そりゃそうだけど」

「ただ石生じゃなくてメスガキのマネをしている蒼芝だと捉えたら、かなり可愛らしかったと思うぞ。オレの脳内フォルダに鍵掛けて保存しとくわ」

「今すぐ忘れてくれ、もう!」


 僕は紙袋を庄司に突き返した。

 傍らでは石生が手の平に人差し指を添えていた。ほんわかと平和そうにしてくれちゃって。



      × × ×     



 結局叔父さんのアパートに戻るまで「可愛い」の取り合い(?)が続き、福島駅を出たあたりからラッシュをかけてきた石生が13対7で大勝を収めた。

 庄司は疲労から半ば判断力を失っており、石生が今日撮った写真を見せるたびに称揚を繰り返すロボットと化していた。


 アパートの外階段を上りながら石生がガッツポーズを見せる。


「小野君に勝った~。いぇい」

「プロがアマチュア倒しても自慢にならないでしょ」

「だって庄司君ったら小野君に夢中だもん。このまま2人が付き合っちゃったら、あたし要らなくなる……い、今の嘘。大げさ大げさ」

「あー」「なるほどなあ」


 僕と庄司は同時に口を開いた。

 全身で訂正を試みる彼女に対し、どういう声をかけるべきだろう。

 妙な勘違いの原因が「そこ」の焦りにあったのなら、僕たちは。クラスメートから村八分にされた女の子に対して。何を。


 僕たちが再び口を開く前に鉄扉が開け放たれた。室内から部屋着の男性が半歩ほど出てくる。


「やっと帰ってきたか」


 叔父さんの手にはボードゲームではなく宅配ピザの箱があった。それも2枚。僕たちの夕食用に用意してくれていたみたいだ。

 何とも言えない空気のまま、僕たち3人は201号室の中に入らせてもらう。


 叔父さんは早くも乾杯を済ませていた。何か良いことでもあったのか、もらいもののシーバスリーガルの酒瓶を開けている。


あお。喜べ。ついに小高井こだかい部長から『ねがいカウンター』をゲットしたぞ」

「えっ……それって」

「全部揃った」


 リビングのテーブルに小皿とグラスが並んでいた。

 冷めたら不味いからな、と叔父さんは大皿に移したピザを電子レンジに突っ込む。1分20秒。


 僕は自分の身体を確認した。鎖骨の下に膨らみがある。女子のままだ。


「まだ男に戻ってないんだけど」

「当然だ。部長からもらう前に『カウンター』を1つ返しておいた」

「なんで?」

「逆に訊くが。遊園地で元の蒼に戻っていたら、どうなった?」

「ああっ」


 僕は想像してしまう。今の女子高生姿のまま男子の小野蒼に変わったら地獄絵図になる。

 しかも大勢の余所様が周りにいる中で。


 僕は叔父さんに手を合わせる。


「ありがとう叔父さん。危うくパーク中央の池に飛び込むところだった」

「礼なら庄司君に言ってやれ。もしものことがあれば、と朝から話を持ちかけてきたのは彼だからな」

「へへへ。おっちゃん、です」


 庄司が例の紙袋を叔父さんに手渡した。なるほど。叔父さんが庄司にお土産をおねだり(=依頼)した形をとることであらかじめ『カウンター』を減らしておいたのか。


「やるじゃん庄司」

「礼はいらねえ。ほっぺにチューしてくれ」

「台無しだよ」


 僕は少し笑ってしまいつつ、チラリと傍らの美少女に目を向けてみる。

 案の定、彼女は寂しそうな顔をしていた。早めに誤解を解かないとあらぬ方向に向かってしまいそうだ。友達のそんな顔、見たくないし。


 台所のレンジから軽妙な音楽が流れてくる。

 叔父さんが美味しそうなマルゲリータピザをこちらに見せてきた。


「後は庄司君が『ピザをください』とお願いするだけだ。これで全ての問題を解決できる」

「おっちゃん。オレ、ケーキの気分なんでケーキ買ってきてください。ショートケーキ3つ」

「よし好きなだけ……うぬぬ。仕方ないな」

「あざーす!」


 庄司の依頼を受け、叔父さんは渋々といった様子で財布片手に玄関を出て行った。

 鉄扉がバタンと閉まる。


 僕たちは再びになる。


「…………」「…………」「…………」


 誰も座布団に座ろうとしない。


 微妙な空気から逃れたくなり、僕は脱衣所へ手指を洗いに向かう。

 洗面台の姿見には今朝と同じく制服姿の女子高生が映っていた。

 僕は指先の水気をタオルで拭いつつ、室内のどこかにいるであろう庄司に訊ねる。


「もしかして僕が着替える時間を作ってくれたの?」

「ん? まあ、そう受け取ってくれてもいいけどよ……ドア閉めとくわ」


 坊っちゃん刈りが脱衣所の引き戸をスライドしてくれる。僕は狭い空間で1人きりになる。

 ありがたい。しっかり引き戸にロックをかけて、石生に借りた衣服を脱ぎながら、いよいよ見納めとなる今の自分の肉体を記憶に焼き付け──そんな気分には到底なれない。


 僕は部屋着のスウェットに袖を通しつつ、自分なりに彼女向けの言葉を紡いでみる。例の誤解を解く。安心してもらう。他に言うべきことはないのか。

 僕たちにとって彼女は何なのか。逆に彼女にとっては何なのか。

 考えがまとまる前に着替え終わってしまった。


 リビングでは庄司が座布団に座っていた。


「ちょっといいか石生」

「なぁに」


 彼女の気のない返答。少しねたような唇の形。

 人恋しそうな手つき。ギュッと握られた指先。

 日頃の気丈な彼女から程遠い様相に、僕は呼吸が浅くなってしまう。なのに庄司の奴はどういうわけか笑いを堪えていた。


「いや。なんつうか。ぶっちゃけさ……お前のこと、ざまあみろって思っちまって」

「ふぇ?」


 石生の目が丸くなる。たぶん期待していた言葉とは違っていたのだろう。僕もビックリしたくらいだ。

 庄司は口元を抑えながら言葉を続ける。


「ほら。考えてみろよ。オレと蒼芝もずっと悩んでたわけじゃん。片方が石生と付き合ったらケンカになる~って。元々高嶺の花だし。変な協定まで結んで。それが今は逆の立場なんだろ。庄司君と小野君が付き合ったらどうしよ~って。ウケるわ。いい気味じゃねえか」

「何が言いたいの」

「なんか、やっと対等な友達になれた気がするよな。オレら」


 庄司から差し出された右手に、石生は応えることができない。両手で顔を覆うばかりだ。あの野郎、天使を落涙させやがった。

 僕は悩んだ末に石生を抱きしめることにした。今さら自分が何を告げてもヤボになりそうだし、こうしたほうがストレートに気持ちが伝わる気がする。

 好きとか付き合うとか別にして。単純に石生とは仲良くつるんでいたい。


 外から加わろうとしてくる坊っちゃん刈りを制止しつつ、彼女の背中をさすっていたら叔父さんが帰ってきた。

 右手にビニール袋が垂れ下がっている。


「買ってきたぞ。いつもの店は時間外でコンビニのケーキだが。さあ受け取ってくれ」

「あざーす」


 庄司が惜しむような眼差まなざしをこちらに向けながら、ケーキ入りのビニール袋を受け取る。

 叔父さんは虚空を見つめる。おそらく「そこ」に架空のトークンが並んでいるのだろう。小刻みに7回ほど頷いていた。


 ついにその時が来た。

 これで『ねがいカウンター』が7人分貯まった。


 僕は石生から距離を取りつつ、独りで呼吸を整える。目をつぶる。色々あった夏休みも、もうすぐ全て終わる。週末の金曜日には2学期が始まる。

 生涯忘れないであろう日々に、少しだけ感謝させてもらおうかな。なんてね。


 ゴソッ。

 天井から「何か」が落ちてきた。


 目を開けると叔父さんが両手で「何か」を受け取っていた。あの夕焼けのような色合いの、妙に大きな箱は。


「こりゃ……すごいぞ。こいつは限定発売の『カタン』3D版だ。無人島の土地タイルがそのまま立体になっていてな。まるでコレクション用のフィギュアなんだ。ボードゲーム愛好家としては喉から手が出るほど欲しかったんだが、いかんせん財布が……」

「叔父さん」


 彼の『ねがい』は叶えられたらしい。


 酷いよ。

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