8月31日
× × ×
気づいた時には布団の中にいた。
叔父さんの様子を見張るつもりだったが、僕の体力がもたなかったみたいだ。
全身が微妙に気怠い。何やかんやで連日連夜ゲームの相手を務めてきたせいか、体内時計がめちゃくちゃになってしまっている。スマホの時計は8月31日の正午を指していた。夏休みの最終日。
「はあ」
僕は枕元から眼鏡を拾い上げる。若干ハッキリしない視界にも慣れてしまった。どうせ月末まで長引くなら眼鏡屋に行けば良かったな。
ブラトップのカップのズレを手のひらで直しつつ。
僕は意を決してリビングの
「ハイヨォッ!!」
「ぐえっ!?」
叔父さんが海老反りの刑を受けていた。両腕を背後の
ゴキゴキゴキ。そんな音は僕の元まで聞こえてこないが、叔父さんの悲鳴が威力を物語っていた。
「起きろイサミ。あと3時間だろうが」
「ぐほっ……助かった川畑。おかげで一瞬あの世が見えたぞ」
「そりゃ良かった。ほら次はトランプだ。スピードやってて寝る奴はいねえよな」
川畑さんが鞄からプラスチックのケースを出してくる。よく見ると鞄の周りには見たことのないゲームがいくつか散らばっていた。
開けたままの箱、古そうなテーブルトークRPGのキャラクターシート、謎の鳥小屋(?)のミニチュア。叔父さんたちが夜通し遊んでいた様子が窺える。
台所では
あれは多分、叔父さんの首筋あたりにくっつけて「ひゃあっ」って叫ばせるやつだな。
状況が状況でなければイジメ同然だが、苦行達成のためなら心を鬼にするしかない。叔父さんもそれを望んでいる。
ふと川畑さんと目が合った。
「おお。甥っ子も起きたか」
「おはようございます。川畑さん、僕に手伝えることありますか?」
「いや……特にないな。強いていうなら……君の叔父の姿を見ないでやってほしい。これから3時まで全く手段を選べそうにない。こっちが目を離したらすぐに瞬眠、フラッシュスリープだったか。あんな風に一瞬で意識が飛びやがる。手荒な真似は避けたいが、あいつのためにも出来るかぎりのことはさせてもらう」
「わかりました」
右手の拳を握ってみせる川畑さんに対し、僕は出来るかぎりの笑顔で
あと少しだ。本当にあと少し。
もはや僕には健闘を祈ることしか出来そうにないけれど。
頑張れ、叔父さん。
× × ×
知らない? そっかそっか。
「あれは元々あたしらより30年くらい上の人たちが学園祭の余興でやり始めたらしくてさ。学生会館の部室にこもって徹夜でゲームする様子を見てもらおうってコンセプトで……あっ。あと3分切ったかー」
私服姿の
彼女もまた川畑さんから「イサミの苦行を見ないでやってくれ」と告げられ、僕の部屋に転がり込んできていた。
彼女の傍らには3日連続で遊びに来てくれた
とりあえず暇だから、と適当にカードゲーム『ウノ』で遊んでいたら、あっという間に時が過ぎてしまった。
隣の部屋では強制的にボードゲームをプレイさせるために時折男性の悲鳴が鳴り響いているが、本来ゲームとは遊びであり、日常の彩りであり、こうあるべきなのだろう。
あれがコアなゲーマーらしい行いとは、とても思えない。
あと2分。
「そういえばさ。蒼君が女の子になってから一ヶ月経ったけど、アレ来てないの?」
「い……今、訊くことじゃないでしょう」
「まー来るの遅い子もいるしね。今すぐ元に戻れるなら、めっちゃラッキーだよ」
山名さんのさっぱりした笑みにはアルコール分が含まれていた。
祝杯には少し早いのに。
あと1分。
「石生はあんまりキツくなくて。そのせいで中学の時に3日くらいハブられちゃったな~」
「
「…………」
若干センシティブな話題だけに庄司が居心地の悪そうな顔をしている。
あと5秒。
ピピピピピピ。スマホのアラームが鳴った。
「「終わった!!」」
「ああああ……」
僕たちが反射的に
瀕死の男性はそのまま布団にダイブしてしまう。寝息を立てるのも早かった。大阪・京都間の新快速並だ。
最後まで付き合ってくれた川畑さんがため息をつく。
「ふう。学生の時分は平気だったが、今となっては拷問だな。イサミもよく耐えたもんだ」
「これで「奇行」も蘇りますかね、川畑先輩」
「わからんな」
山名さんの問いに川畑さんは神妙な面持ちを見せる。それがこちらに見られていると気づいてか、途端に柔和な笑みに変わった。
「いやいやいや! 大丈夫だと思うぞ。きちんと同じプロセスを経たからには「奇行」も再現されるはずだ。うん。間違いない」
「そういや川畑先輩の「奇行」って今はどんな感じなんです?」
「ん? いや。一切山札を引かずにいるからな。何も起きておらんが」
「ほほー。人智を超える力が手に入るとしても?」
「バカ言え。俺は十分に幸せだ。さて……大八木、三岡。そろそろ新幹線の時間かな!」
川畑さんは山名さんの献策を笑い飛ばし、他のOBたちに声をかける。
わざわざ東京から来てくださった2人は会釈もそこそこに足早にアパートを出ていった。ありがとうございました。
大阪近郊のベッドタウン在住の川畑さんも、家族サービスのためと称して彼らを追いかけていった。僕は重ねて頭を下げる。
次回からはちゃんと応対するようにしよう。
祭りの後のリビングにはゴチャゴチャと物品が散乱していた。
ふふふ。まずは片付けないとなあ。
「あっ……そういや明日始業式だよな。あーやっべ。オレの宿題終わってねえじゃん」
「庄司君。全部終わらせた~って言ってなかった?」
「あんなの嘘に決まってんだろ石生! というわけで
庄司は学校指定の鞄から用紙を取り出してくる。元からそのつもりだったらしい。
仕方ないなあ。
僕は叔父さんを踏まないように気をつけながら部屋に戻り、机の脇から鞄を持ってくる。
「ほい。苦行を手伝ってくれたお礼……ってことで」
「よっしゃあ!」
さっそくとばかりに庄司は卓上に課題を広げていく。生物、英語、数Ⅰ……めちゃくちゃ残ってるじゃねえか。
「小野君。小野君。石生にもご褒美は?」
石生が可愛らしく手を挙げている。
美貌の女神様に今の僕からプレゼントできるもの──何だろう。お供え物とか?
僕は訊いてみる。
「逆に欲しいものあるの?」
「えーとね……うん。あたしは、本物の友情が欲しい」
「ぶふッ」
石生の答えに傍らにいた山名さんがチューハイを吹き出してしまった。足元の畳に水分が染み込んでいく。
とりあえず彼女には片付けと掃除を手伝ってもらおう。
それぞれのお礼は後々ということで。
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