8月28日 ・・・◎◎◎◎◎◎ おめかし


     × × ×     


 2023年8月28日。

 僕は朝から拷問を受けていた。

 丁字の刃物がすねに添えられる。

 ジリリ。上から下に刃先が滑り、うぶ毛が刈られていく。肌も少しだけカンナ掛けされてしまう。

 僕は息を吐いた。逃げようにも目の前の女子を蹴り倒すわけにはいかず、椅子に座ったまま苦行に耐えるしかない。


「はい、一丁あがり〜。小野君の生足ツルツルにしちゃった。庄司しょうじ君も見て見て~」

「おおー」


 石生いしゅうと庄司に両脚をガン見される。

 僕は耐えきれず、リビングで味噌汁をすする男性に助けを求めた。


「叔父さん。何とか言ってよ」

「そう言われてもな。あおが学校の制服でUSJに行くと約束したんだろ」

「約束したけど、ここまでやるなんて聞いてないし。女子の格好するなんて一言も言ってないし!」

「は~い。次は洗面台に行きましょうね~」


 石生の駄々っ子をあやすような口ぶりが腹立たしい。


 みんなでユニバに行く。全員制服で行く。同じ被り物をして写真を撮る。僕たちが取り決めを結んだのはその3点だったはずだ。


 なのに僕は脛毛すねげを剃られ、脱衣所では彼女が持ってきたベージュ色のスポーツブラをつけるように迫られ。

 挙句の果てには、洗面台の椅子に座った途端に眼鏡まで取り上げられてしまった。僕の視界が酷くボヤける。


「はい」


 石生が洗面台の棚からコンタクトレンズの箱を出してきた。柔らかく手渡される。好きじゃないんだけど、付けるしかなさそう。

 続いて石生の手でドライヤーを当てられる。


「小野君。石生は今ね……人生で一番楽しいよ」

「大げさだなあ」

「えへへ~。友達の髪の毛いじるの、ずっと憧れてたんだ~」


 鏡に映る彼女の充実しきった様子に目を奪われていたら、何やらクリップ的なもので前髪のあたりをまとめられ、ACコードのついた改造ブラシみたいな棒(?)で横髪を絡め取られてしまった。

 石生の柔らかい指先と温かい棒により、少しずつ頭髪のシルエットが変わっていく。根元を引っこ抜かれそうになったり、限界まで引っ張られたり。


「ん~出来た!」


 石生が鏡を見るように促してくる。


 僕はビックリした。

 思えば今の肉体になってから1ヶ月近くになる。髪の毛だって襟足が気になるくらいには伸びている。

 しかしながら、それにしたって。ここまで女子っぽくされてしまうとは。


 僕がさらりとカールのかかった毛先をつまんでいたら、石生に背後から軽く抱きつかれた。彼女の白い両手が前に来る。


「楽しいでしょ」

「楽しいというか、石生がすごいよね」

「お客様。こんなの序の口ですよぉ。サービスしちゃいまっせ~」


 石生が耳元で不穏な予告をかましてくる。

 何となく予想はついていた。洗面台の棚には彼女がいつも持ち歩いている化粧ポーチがあり、薬局のビニール袋と共に出番を待っている。


 指先で促され、僕は背後にいた彼女と向き合う。相変わらずの美貌に、僕の内心に芽生えつつあった不相応な自信を粉砕してもらえた。ありがたい。

 僕は胸元を抑え、肺から奇妙な自惚れを吐き出す。

 石生の両手が化粧水を塗りたくってくる。されるがままで少し退屈になってきたが、目の前にキラキラした笑顔があると釣られて笑ってしまいそうになる。そのまま顔面をキャンバスにされ続ける。切ったり塗ったり。


「──あの調子だと蒼芝あおしばたちは時間かかるみてえだな。おっちゃん、暇つぶしに一人用のボードゲームとか持ってないッスか?」

「あるにはあるが、君の対戦相手ならここにいるぞ」


 リビングのほうから庄司と叔父さんの会話が聞こえてくる。


「おおっ。でしたら、この『ビアアンドブレッド』って蒼芝好きそうッスね」

「未プレイの新品だ。さすがに1時間も付き合えないな。平日でなければ、いつでも相手させてもらうが」

「おっちゃん仕事でしたっけ。そしたらすぐに出来るコレで」

「おお。良いチョイスだ」


 箱を開ける音。カードをシャッフルする音。コインを配る音。

 音だけで2人対戦用の『世界の七不思議』だと察してしまうあたり、僕は相当叔父さんに毒されている。

 あれは良く出来たゲームだ。

 並べられたカードの中から1枚選び、自分の街に加える・売却する・七不思議を建てるといったプレイを行うだけのシンプルなシステムだが、拡大再生産がクセになるし、勝ち方が多様で奥深い。


「うわ! おっちゃんがオレの羊皮紙パピルス工房を壊したせいで、オレの街、木材しか作れねえ!」

「緑のカードを建造する。マークが揃った。経済の進歩トークンを入手する」

「それって資材代を相手プレイヤーに払うようになるやつ……オレ、もはやおっちゃんの経済的奴隷じゃないッスか!」

「庄司君は反応が面白いな。このまま科学勝利させてもらうとしよう」

「ちくしょう! オレが貢いだ金で勝つ気だ!」


 他のゲームのように勝利点を集めるだけでなく、科学勝利や軍事勝利といった条件勝利が設定されている。

 パソコンゲームの『シヴィライゼーション』シリーズみたいだと以前庄司が言っていた。


「マズいな……このままじゃ良いとこなしだぞ……」


 庄司が弱音を吐いている。

 脱衣所からは窺えないが、相当叔父さんが有利な状況なのは伝わってきた。


「小野君。あっちが気になっちゃう?」

「うるさいから」

「でも余所見しちゃダメ。こっちを見てて」


 対面の石生と目が合う。柔和な眼差しの彼女に目の周りを弄られる。

 さらに唇を塗られる。かなり薄い色みたいだが、僕の人生で口紅を付ける日が来てしまうとは思わなかった。


「つらい」


 思わず本音がこぼれる。


「つらくない。すっごく楽しい。小野君も見たらきっとテンション上がるよ~! バリバリに!」


 それはそれでつらい。


 やがて僕は解放され、鏡と向き合う時が近づいてきた。

 学校指定の白地のカッターシャツに袖を通し、石生が中学時代に付けていたというチェック柄のリボンを借りる。

 短パンを脱いで石生が持ってきた予備のスカートに履き替える。腰のアジャスターを彼女に調整してもらう。


 おそるおそる洗面台のほうを振り向いてみる。


「!」


 そこには紛れもなく、デートを前におめかしした女子の姿があった。 

 ほんの一瞬だけ自分自身と結びつかず、凝視してしまいそうになったが、背後で自慢げに頷いている美の女神様が目に映ると、途端に引き立て役みたいな印象に変わる。

 まあ、石生が満足そうだからいいか。


 改めて自分の姿を眺めてみると、時間をかけたわりには派手さに欠けるというか、化けた感じがしない。


「小野君。石生に感想聞かせてほしいな」

「料理で言うなら素材の良さを活かそうとしたけど、素材が安物だった感じ」

「ふ~ん」


 なぜか得意気な石生に手を掴まれ、僕はエスコートされるようにリビングまで連行される。


「終わったか」


 坊っちゃん刈りの小男がめざとく目線を向けてきた。

 結局『世界の七不思議』は序盤の劣勢を挽回できないまま、庄司の完敗に終わったようだ。叔父さん側に積まれたコインの枚数が生々しい。


 先に「笑いたきゃ笑え」と言ったのは庄司だった。

 それは僕の台詞だったはずなのに。遅れを取ってしまった。


 叔父さんは台所でマグカップを洗っている。

 何も言わず、言われず、蛇口の音だけが流れていく。


「…………」


 僕は酷く赤面していた。鏡を見なくてもわかる。頬が上気している。

 なぜなら気づいてしまったからだ。自分自身が内心では友達の反応に期待していたことを。

 あわよくば、いつかの件で叔父さんを見返せるだろうと。男のくせに化粧の力を信じてしまった。

 穴があったら入りたい。


 僕が脱衣所に戻るべくきびすを返したら、またもや石生に背中から抱きつかれてしまった。

 ホイップクリームのような甘い声色が耳元に流れ込んでくる。


「小野君。庄司君はすっごく素敵な男の子だけど。気の利いた台詞を期待したら毎日ガッカリしちゃうよ?」

「それはそうだけど……いや、そうじゃなくて」

「小野君も、だよ」


 石生の指先に頬を突かれてしまう。

 思えば、僕だってまともに彼女の衣服や格好を褒めてこなかった。露骨に好意を寄せているようで恥ずかしかったから。本当はいつも素敵だと思っていたのに。

 僕は反省を呟きで示す。


「今後は可愛いと思ったら素直に可愛いと言うようにします」

「よろし~。それじゃあ小野君。あたしらもゲームしよ。ユニバで庄司君にたくさん可愛いって言わせたほうが勝ち対決、やっちゃわない?」


 美貌の女神様が勝負を仕掛けてきた。

 僕は胸ポケットからスマホを取り出し、背後の彼女とツーショットの自撮りを試みる。

 パシャリ。画面に格差社会が映し出された。顔自体の大きさも目鼻立ちの整いぶりも違いすぎる。


「こんなん勝負にならないじゃん」

「おっ! 小野君ったら自信満々。もし石生が勝ったら、後でその写真送ってほしいな~」

「もう送っとくわ」


 僕は彼女の両手を振りほどき、食卓の座布団に座った。


 すでに庄司は『世界の七不思議』の片付けを終えていたが、手持ちぶさたなのか箱からルールブックを取り出して読みふけっている。

 僕は机の天板をトントンと指先でつつく。


「庄司。こっちは用意できた。もう行けるけど」

「おう……そうだな。うん」

「ん?」


 友人の妙に余所余所しい反応には見覚えがあった。

 僕は思い出す。たしか入学式から2週間ほど過ぎた頃。部活の帰り道で初めて石生から声をかけられた時の感じだ。

 ミスドに行くなら石生も行きたい、だっけ。あの時は僕も挙動不審になってしまった。


「え、なに。庄司まさか照れてんの? 僕に?」

「ち……ちげえし。ただイメージ変わりすぎてビックリした、つーか。オレには手が届かなくなっちまった感じがしてだな」

「元から届いてないし」


 僕は庄司の指先を叩き落とす。さりげなく髪に触ろうとしやがって。石生の努力の結晶なんだぞ。


 なかなか目を合わせてくれない庄司の肩を叩いたり、両手で押したり引いたりしていたら、台所で蛇口をひねる音がした。

 叔父さんがネクタイで水気を拭き取りながら、玄関のほうに歩いていく。もう出社の時間だった。


 僕は座布団の上で手を振る。


「行ってらっしゃい」

「ああ。蒼も遊園地を楽しんでこい。その格好、よく似合ってるぞ」

「今だけだよ」


 バタン。玄関の鉄扉が閉じられた。

 今だけの女装。今だけの化粧。今だけの身体。

 僕は今日という日を思いきり楽しむことに決めた。

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