4月5日 ・・・・・・ 映写室


     × × ×     


 映写室の片付けは済んでいた。

 投光器が指定の位置に戻され、卓上のミキサーにも布が被せられている。後は室内の照明を落とすだけ。


 正直なところ、この場所に戻らないという選択肢もあったのだが──みんなでスピーカーを部室まで運び込み、そのまま友達と帰宅しても良かったのだが。

 僕がそうしなかったのは、部長をむやみに傷つけたくなかったからだ。


 多分あの人は「緑ちゃん」の正体に気づいている。その上で小野蒼ぼくから情報を引き出そうとしている。

 きっと彼自身が納得できる推理こたえを得るために。


「来ましたか」


 映写室のガラス戸から階下の座席を眺めていたら、当の物黒ものくろ部長が奥の物置から出てきた。

 右手首に戸締り用の鍵束を引っ掛け、ジャラジャラと音を鳴らしていらっしゃる。左手には家電量販店のレジ袋が見えた。


「小野さんだけですね」

「は、はい」

「他には誰もいません……よね」


 部長の目線が映写室の入口側に向かう。

 念入りに他者の不在を確認した上で、彼がレジ袋から取り出してきたのは──『パッチワーク』という可愛いボードゲームだった。

 叔父さんのコレクションにもある2人用の対戦ゲームだが、まさかこんなところで出くわすことになるとは思わなかった。


 僕は相手の思惑を察しつつ、恐る恐る訊ねてみる。


「それって部長の私物ですか」

「ええ。庄司しょうじさんのインスタグラムにあなた方がよくボードゲームで遊んでいる様子が投稿されていましたから。少し興味が出てきまして。よろしければ、ボクに遊び方を教えていただけないかと」

「別に構いませんけど……学校内のゲーム持ち込みって校則で禁止だったような」

「ここなら誰も来ませんよ」


 部長は人差し指に息を吹きかけてから、小箱のふたを持ち上げる。

 全くの未開封だったようだ。遊ぶためのタイルが型抜きされていない。

 大抵のボードゲームには下準備が付きものなのだが、おそらく初心者であろう部長に「それ」を求めるのは相当酷な話だ。


「部長。こっちは僕が用意しますから、ルールに目を通しておいてください」

「わかりました」


 部長に冊子を手渡しつつ、僕は印刷された厚紙からタイルとボタンを取り外していく。

 出来るだけ丁寧に。一つずつ親指で押し出すように。

 力任せに外そうとするとタイルの印刷面がベリッと剥がれてしまう時があり、下手したらまともに遊べなくなる。ぶっちゃけ自分は不器用な方なので気をつけねばならない。特に細長いパーツは要注意だ。


 こちらが型抜きを済ませた頃には、部長の方もルールブックを読み終えていた。


「なるほど。手元の将棋盤のようなボードに、入手したパーツを貼りつけていくと。接着剤が要りますねえ」

「そんなことしたら一回しか遊べませんけど」

「冗談ですよ」


 癖毛の先輩は目を細めつつ、バラしたばかりのタイルたちをメインボードの周りに並べていく。

 映写室の作業机がファンシーなキルト生地の模造品で彩られる。

 各々の手元には9×9マスのプレイヤーボードが配され、初期資源として青色のボタンが5つ提供された。準備完了。


 この『パッチワーク』は比較的簡単なゲームだ。

 ボタン(お金)を支払うことでテトリスの落ちてくる奴みたいな形のタイルを手に入れる。手元のボードに貼りつける。それだけ。


 ただし入手タイルは指定された3つから選ぶことになるし、ボタン付きのタイルを優先的に貼りつけないと後半戦の収入源に困ってしまう。

 加えてボードがどんどん埋まっていくにつれ、大きなタイルや長細いタイルを貼りつけられるような余地が無くなり、入手の選択肢が限られてくる。かといって空き地を残し続けるとゲーム終了時に減点されてしまうから悩ましい。


 叔父さん曰く「ジレンマの多いゲームは名作が多い」らしいので、この『パッチワーク』もまたそうなのだろう。

 実際、短時間で楽しめるから僕も比較的好きなほうだ。


「……ルールは理解できました」


 あっけなく敗れた部長は、空き地だらけのボードからタイルを外しつつ、こちらに不敵な笑みを向けてきた。

 何のつもりだろう。僕は嫌な予感がしてくる。


「小野さん。次は本気で勝ちに行きます。そうですね。さしあたり勝者には景品を用意しましょう」

「何が欲しいんですか」

「物ではありません。賭博は罪ですからね……ここは一つ、敗者は勝者からの質問に何でも答える、ということで」

「わかりました」


 僕は対局に応じた。

 物黒部長の目的は見えてきたが、たかが一度遊んだだけの部長に「叔父さんの甥」である自分が負けるわけがない。

 今まで何度対戦してきたことやら。ボードを完全に埋めたことは一度もないけど。惜しかった時は幾度もあった。

 相手のボード、場に残るタイルの形、手番の調整。

 公開情報を参考に手段を選んでいけば、ある程度の点数は確実に稼げる。


「おやおや」

「僕の勝ちですね」


 僕は終了後の計算で「10」と記された大型ボタンを並べつつ──今度は景品の内容に悩まされることになった。

 部長に訊きたいことなんて何もない。


 交野かたの市の一軒家にお住まいで、学校まで京阪電車と地下鉄を乗り継いでいる。中学の頃は吹奏楽部でバスクラリネットを担当していた。甘くないコーヒーが苦手。部活の女性陣からやんわりと嫌われている。

 これ以上の個人情報が欲しいとは全く思わない。

 言ってしまえば、興味を持てない。


 ご本人からは期待の眼差しを向けられているが、何を問うたら穏便に終われるのだろうか。


 僕は悩んだ末、相手ではなく自分自身のことを訊ねてみた。

 すなわち。長らく触れないようにしてきた例の件について。率直に反応を引き出そうと試みた。


「部長は小野蒼ぼく石生いしゅうと付き合ってるって知ってました?」

「えっ」

「ちなみに小野緑いもうと庄司しょうじと復縁したらしいです。あいつ、本気で見る目無いですよね」

「えっえっ」


 部長が反応に困っている。僕の狙い通りだ。こちらの嘘八百な偽情報にわかりやすく狼狽している。

 あちらにしてみれば、春休み初日に披露してくれた例の推理──小野蒼=小野緑という仮説を否定された上、ひょっとしたら胸中に抱いていたかもしれない、まだ芽吹く前だったかもしれない、あるいは全く無かったとも考えられる「それ」が叶わなくなった。


 僕は気まずさをごまかすように、自然と『パッチワーク』の部品を箱に戻していた。

 知り合いのお姉さんの妄想だった可能性もあるが。

 もしかしたら今、僕は部長を振ったのかもしれない。


 部長は親指の爪を噛みそうになり、咄嗟に片方の手で抑えていた。


「そんな……つまり、君は同時に2人と付き合っていることに……しかし、あの水着の写真では……どっちが正なんだ……」

「あんまり他人ひとのSNSを凝視しないほうが良いですよ」

「小野さんと緑さんは、別人なのですか」

「前にも言いましたけど。当たり前じゃないですか」


 僕は嘘を重ねる。

 罪悪感は沸かない。まともに「奇行」の説明をしてもそれこそ虚言だと思われる。身体自体は別物になるわけだし。

 そもそも緑ちゃんの存在自体がうそなのだ。


 相手はそんなものにすがりついている。


「ですが。ですが。本人の証言はバイアスで参考にならないとも言います。確証がありません」

「今の僕が女子に見えます?」

「それは……失礼。言及は避けますが。今度、小野家のご兄妹で庄司さんのインスタグラムに出てください。その写真で判断します」


 彼の要請に応えたところで何にもならない。

 叔父さんにフォトショップで合成写真を作ってもらっても、きっとまた別の問いをぶつけられるだけだ。

 こっちは恋人がいるとハッキリ告げているのに。

 向こうはあくまで「女の尻ではなく謎を追う」探偵役のスタンスだから。

 であれば。


「……部長が『パッチワーク』で勝てたら、考えてあげます」


 僕は再び箱からボードを取り出した。

 正直な気持ちを言えば……相手の強烈な執着心に共感できず、面倒くさいし、ぶっちゃけ気持ち悪いとさえ思ってしまうのだが。


 それはそれとして、部長の『パッチワーク』のプレイはルールの把握以前に不器用極まりなく、相手の在り方を少し理解できた気がしていた。

 何故そのタイミングで駒を走らせるのか。何故タイル同士をくっつけずに中途半端に隙間を作るのか。何故いきなり中央にタイルを貼ろうとするのか。何故自ら特定の形の空き地を作り、あえて特定のタイルを狙おうとするのか。

 頭は良いはずなのに、ウンウンと唸りながら考えた末に変な選択ばかり繰り出してきて、思わず笑ってしまいそうになる。ヒントになっちゃうから必死で堪えた。


 部活の女性陣が言っていたっけ。あの人は別に悪い人じゃない、どうにも癖が強くて生理的に受け入れられないだけ、と。

 ちなみに彼女らは他の男子部員にも評価を下しており、小野君は無愛想で不気味、庄司君は必死すぎてキモいらしい。反省したい。


 映写室にもチャイムは鳴る。

 予兆として室内の放送機器が全力でファンを回し始め、ここから講堂棟の各所に音色を届けている。


 12時55分、物黒部長は3度目の対戦でありながらまたしても手持ちのボタン(得点)を全て失い、映写室の片隅で項垂うなだれた。


「ボクとしたことが……小野さん。もう一度だけチャンスをいただけませんか」

「ダメですね」

「頼む」


 いつもの部長ではなく、素の物黒暁人ものくろあきとから頭を下げられる。

 彼の中のどういう部分、どこの脳細胞が誤作動を起こしているのだろう。

 小野蒼こっちも、小野緑あっちも、別に目を惹きつけるような魅力なんて持ち合わせていないのに。

 彼の目には何が映っているのだろうか。


 僕は思案の末、部長に告げる。

 また他のゲームでわからないことがあれば、遊び方を教えて差し上げますよ……と。



     × × ×     



 その後。

 学校近くのファミレスで合流した庄司に上記の件を話したら、大いに呆れられてしまった。


蒼芝あおしばさぁ。男の時に悪い女みてえなムーブかますなよ。怖いんだが」

「そんなつもりないけど」

「部長が山ほどボードゲーム貢いできたら、どうすんだよ。放送室で『満漢全席』やるつもりか?」

「あー」


 僕は頭を抱える。

 個人的には善意のつもりだったが、たしかに勘違いされちゃうかも──いい加減面倒くせえなあ! もう!


「はあ。やっぱり山名さんが正しいんだろうね。ストレートに言うべきって。でもなあ」

「小野君」


 隣の席で会話を聞いていた石生が、ちょうど3名分の退部届をピラピラと見せつけてくる。

 彼女の宝石のような目からハイライトが失われている(ように見える)せいで、僕は思わず気圧けおされそうになった。


「あたしの彼氏なら。彼女のお願い、叶えてくれる?」

「あれは部長を諦めさせるための方便だから」

「叶えてくれる?」

「あと少し……始業式まで待ってください。何とかします」

「ふうん」


 石生千秋いしゅうちあきは表情を変えぬまま、いちごパフェの底に詰め込まれたコーンフレークを「ガリガリ~」と呟きながら、スプーンで執拗にほじくり続ける。


 もはや彼女の我慢は限界を迎えつつあるようだ。猟奇的な仕草さえも美しいのは「さすが」の一言だが、可哀想で見ていられない。


 決着を付けよう。身の回りの全てに。

 僕はようやく春休みの目標を立てることが出来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る