第3章 堕ち神様の過去

第17話 本能


 己が〝狭霧竜胆〟という名を与えられた人の子ではなく〝神〟であると確かに自覚したのは、漠然としていた番様という存在を〝本能〟で強く感じ取ったある日。

 数えで五歳になる霜月のことだった。


 その日は神々の眷属として生まれた両親に連れられ、現代では七五三詣でと呼ばれている儀式のうちのひとつである『着袴の儀』のために、神世の鬼門に位置する場所にある『十二天将宮じゅうにてんしょうぐう』と呼ばれる神社に参拝していた。


 十二天将宮の創建は戦国時代の半ばまで遡る。

 最初に〝生き神〟として降り立った〈始祖の神々〉から四季姓を頂戴した者たちが神世に荘厳な社殿を創建し、始祖の神々を奉斎ほうさいしたことが創祀そうしとされされており、今でも歴々の十二の神々をつつしみ清めて祀られている由緒正しき神社だ。

 以来、その場所は神世の鬼門封じとして崇められ、神聖な地であるとして選ばれた眷属たちによって守護されている。


 創始の由来から参拝資格を持つ者の門戸は狭く、神々とその眷属、番様、巫女、そして四季姓を冠する一族か、それに準ずる一族と決まっているため、特別な祭儀がない限り参拝客はまばらだ。

 広い境内は、常に歴々の十二の神々が残した厳かで清々しい神気に満ちている。

 限界まで張りつめられたかのような高貴で気高いそれにどことなく精査されている気がして、幼心にいつだって近寄りがたい場所だった。


 邸では普段から和装で過ごしているが、此度の『着袴の儀』は特別らしく、新しく仕立てたばかりの着物を母と使用人たちが数日も前から次々に広げてはあれやこれやと言っている。

 そうして選び抜かれた立派な羽織り袴と、〈始祖の青龍〉を模した紋様が墨で描かれた蔵面ぞうめんを着付けてもらった当時四歳の竜胆は、その日、朝から妙な胸騒ぎがしていた。


 同世代の神々とともに儀式を終え、境内でそれぞれの一族の大人たちが〈始祖の眷属〉の蔵面を付けたまま社交に興じる中、ふと胸騒ぎが強くなった気がして背後を振り返る。

 長方形の和紙に薄い白絹を張った異質な蔵面が風でめくれ上がり、『髪置きの儀』からずっと伸ばし続けている細く結った黒髪が首の付け根で流れるようにひるがえるさなか、朱色の太鼓橋を渡ってこちら側へやって来る少女に竜胆の視線は釘付けになった。


 その幼い少女は、同じ年頃の少女を囲む華々しい集団の最後尾でひとり、うつむき気味に歩いていた。


「お父様、日菜子も神様と同じ神社で七五三のお参りができるだなんて、嬉しいわ!」

「日菜子は名家である春宮に生まれた、大切な巫女候補だからな。当然のことだよ」

「巫女候補、そうだわ。お祖父様、日菜子は誰よりも立派な巫女になってみせますね!」

「期待しておるぞ。日菜子の霊力は太く荒削りだが、修練次第ではどこまでも伸びるはずだ。あれなどまだ霊力も目覚めておらんからな」

「うふふ。ねえ、お母様! 日菜子はお姉様よりも目立ってるかしら?」

「ええ、日菜子。日菜子の方があの子よりずっとずっと可愛いもの。当然よ」

「うふふ、うふふ、そうよねっ」


 意図的に意識を向けているからか、竜胆の耳にはその華々しい集団の会話がよく聞こえてきた。

 そんな中、華々しい集団の大人は皆、上等な真っ赤な生地に大輪の花が刺繍されている豪華な晴れ着で飾り立てられた幼い少女を褒めそやす。

 飾り立てられた少女の手を引く母らしき派手な女性は、優しく笑いかけてはあの子・・・と呼んだ少女へ侮蔑を含んだ視線を投げた。


 紺地に白菊の花が咲いた清楚な晴れ着姿の少女は、使用人だろう人物たちを含む集団の数歩後ろで怯えたように再びうつむき、両手を胸の前で握りしめる。

 その姿は、できるだけ自分の存在感を無くそうとしているみたいだった。

 けれども。けれども竜胆の瞳には、彼女だけが眩しく輝いて見えた。

 どくんと大きく跳ねた心臓を、竜胆は片手でぎゅっと鷲掴む。


「――見つけた」


 全身に血潮が巡るような高揚感。興奮が頬を染め上げる。

 感嘆に満ちた声が人知れず呟くようにして唇からこぼれた時、初恋と呼ぶには切なすぎる感情が、きゅうっと喉を鳴らす。

 それは竜胆が、今までお伽話のように感じていた番様の存在を、頭でもなく心でもなく本能で感じた瞬間だった。


 神気があるわけでもないのに彼女の周囲がきらきらと光って見え、彼女から視線を外すことができない。

 しかし、彼女の方は竜胆が向ける熱い視線に気づく様子もなく、白い下駄の鼻緒に視線を落としたまま歩いている。

 集団の中心にいる真っ赤な晴れ着の少女が付けている物よりも小さな白菊の髪飾りは華奢で、腰のあたりまで伸びている結いあとのない綺麗な黒髪が逆に引き立って見えると思った。


 幼い竜胆は本能から湧き上がる高揚と感動に打ち震えながら、言葉なく少女を見つめる。


(……どうすれば彼女を連れ帰れるだろう?)


 番様になってほしいと告げたら、驚かせてしまうだろうか。

 もしかしたら、まだ彼女には番という概念が理解できない可能性もある。


(拒否の言葉は聞きたくない)


 そんな言葉を聞かされたら、胸が張り裂ける気がする。


(いっそのこと、このまま神世に住んでくれないだろうか。狭霧の邸にはいくらでも部屋がある。ともに過ごしながら、少しずつ理解していけばいい)


 纏わりついている現世の気も、あの太鼓橋を渡りきったら禊清みそぎきよめられるはずだ。

 彼女から微量に感じられる今はまだ芽吹いていない霊力が、十二天将宮を満たす神気で研ぎ澄まされてきているのがわかる。きっと彼女もすぐに神世に馴染める。


(けれど、本当は――今すぐ、誰にも見えないところに彼女を隠したい)


 長い睫毛に縁取られた竜胆の青い瞳の瞳孔が、きゅうっと縦長に狭められる。

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