第46話 春宮家からの返答

   ◇◇◇


「こちらのお着物などいかがでしょう? 大胆な柄がお嬢様を引き立てますよ」

「春宮家のお嬢様でしたら『牡丹華ぼたんはなさく』、晩春を表すこちらもぴったりかと。牡丹は初夏である五月にも咲きますからね」


 和装姿の女性ふたりが、大柄の牡丹が大胆に施された真っ赤な振袖を、鈴の両肩から掛けて広げる。

 狭霧本邸の離れにある竜胆の邸に、鈴が一緒に住み始めてから、数日後。

 贔屓にしている老舗呉服店を邸に招いた竜胆は、広々とした客間にて、『婚約の儀』で鈴が着るための振袖を選んでいた。


 そう。鈴の想像に反して『婚約の儀』に前向きだった春宮家との段取りが整い、正式に儀式の日取りが決定したのだ。


【『婚約の儀』を執り行うにあたり、彼女の真名を封じた呪符の受け渡しに応じてもらう。こちらは明日にでも受け渡しに応じるが、春宮家の意向をお聞かせ願いたい】


 と、竜胆が〈青龍〉の名で春宮家へ送った書状の返事は、竜胆の予想していた通り〝是〟であった。

 まさかの返事に、鈴は目を丸くして驚いたものだ。


【〈青龍の番様〉の真名を封じた呪符におきましては、『婚約の儀』の当日の朝、受け渡しを行いたく存じます】


 占いで決定した儀式を行う吉日は、春宮家からの返事が遅れたことで、すでに六日後に迫っている。

 当日の朝、と向こうから指定されてしまったが、竜胆は問題ないと言う。

 鈴は長年返してもらうことを待ち望んでいた自分の真名が、こんなに突然、書状のやり取りだけで手元に戻ってくると聞き、戸惑わずにはいられなかった。

 なにかが引っかかる。

 祖父や父、継母、そして日菜子の人となりを知っているからこそ、疑わずにはいられない。


 けれども、そんな鈴の不安はよそに、竜胆は真剣な表情で鈴の試着姿を眺めている。

 濃紺の着物をまとった竜胆の姿は、これまで見てきた軍服に似た制服の姿とはまた違う格好良さがある。

 邸では和装が普段着だと聞いたが、静謐な着物姿の竜胆にはまだ慣れなくて、鈴は彼を視界に映すたびに胸がドキドキして落ち着かなかった。


 しかし呉服屋を邸へ呼ぶなんて、春宮家でも年に数度のこと。

 思わず鈴がお金の心配をしてしまうのも無理はない。

 鈴は今日までに竜胆の母から着物を借りることを提案したりと、丁寧に辞退の申し入れをしたのだが、竜胆は頑なに首を縦に振らなかった。


 それでも鈴は『ご両親にもご迷惑が……っ』と言い募ったのだが、『俺の資産の心配をしているのなら問題ない。君を豪遊させてもなお有り余るほどの資産は持っているつもりだ』と、竜胆はさらりとなんでもないことのように告げた。

 どうやら幼い頃から株式投資を行い、多数の不動産も所持しているらしい。


『神々や眷属といえど、国に四季幸いをもたらすだけで所得が得られる時代ではないからな。漣家が代々大きな病院を経営しているように、狭霧家も現世の国内外で街作りやリゾート開発事業を行なっている』

『ま、街作りに、リゾート開発事業……ですか?』

『ああ。知らないか? 狭霧不動産株式会社と言うんだが』

『えっ』


 世間知らずな鈴でも、なんとなくその存在を知っている。

 狭霧不動産株式会社と言えば確か、高層ビルやマンションの建築だけでなく、グループ事業として大型ショッピングモールなどを建設経営する商業施設事業、ラグジュアリーホテルの建設経営やリゾート地の開発まで行なっている有名な大企業だ。


 百花女学院の談話室をせっせと掃除している最中、夏休みの計画を立てながら旅行雑誌を広げていた巫女見習いたちが話題にしていたのを、幾度か聞いたことがある。

 けれども、まさかそれが、竜胆の家のことだとは思い至りもしなかった。

 ということは竜胆の父はその代表取締役で、竜胆自身は大企業の御曹司ということになる。

 そんな彼だからこそ、幼い頃から株式投資を行ったり、多数の不動産を所持していたりするのだろう。


(神様で、御曹司……)


 百花女学院で巫女見習いたちが度々口にしていた『神々の持つ高い社会的地位』とは、神という尊く侵し難い存在に対する畏怖だけできあがった地位ではなく、現世本来の社会的地位も加味されていたのだと、鈴はようやく悟った。

 様々な情報が入り乱れすぎて鈴が混乱していると、『むしろ儀式までの時間が迫っているせいで、反物から仕立ててやれなくてすまない』と竜胆は悔しげに眉を下げる。


 そんなやりとりがあっての本日――。

 もう呉服屋が邸へ訪れてから一時間は経過しているのだが、鈴は緊張してただの着せ替え人形になっていた。


「赤の振袖も、もちろん似合うが……」


 竜胆は呉服屋の女将さんが見たてた振袖の色合いは良しとしながらも、無表情で首を横に振り、「もっと彼女に相応しいものはないのか」と何度めかの無理難題を言い渡す。


「でしたら薔薇の柄はどうでしょう? 一年を通して着られることも多く、洋風な雰囲気がお嬢様くらいの年齢の方々に好まれていますよ」


 紺色の生地に白い薔薇が咲く振袖は、確かに洋風でモダンな雰囲気がある。

 けれど、それを両肩に掛けられ簡単に着付けられた自分の姿を鏡越しに見た鈴は、「ひゅっ」と息を呑んだ。


(あ、あ……)


 似ている。

 幼い頃、母が唯一残してくれた手作りの着物に。

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