第45話 離縁

 竜胆の言葉に、父は苦渋の表情で頷く。


「『婚約の儀』……そうか、そうだな。その方法しかないだろう」

(なにか、大変なことなのかな? 『婚約の儀』ってことは、番様として竜胆様と正式に婚約するための儀式……だよね?)


 現世で行う結納のようなものだろうか。


「あの、竜胆様。『婚約の儀』とは……?」


 鈴は少し心配になって、すぐ隣に座る竜胆の顔を見上げる。

 竜胆は鈴と視線を合わせると、『心配いらない』とでも言うように目元を和らげた。


「歴々の神々が祀られている十二天将宮で執り行う言祝ことほぎの儀式だ。言霊によって人の子と神が婚約を結び、同時に両家の血族たちが結びつきを違わぬことを誓いあうことで、婚約を正式なものとして婚約破棄をできなくする」

「そうなんですね。ということは、現世で言うところの神社で行う神前式のようなものでしょうか……?」

「『婚姻の儀』とはまた違うものだが、神々の前で破れぬ誓いを交わすという点では似たようなものだな」

(それなら竜胆様の番様として正式に認めてもらうためにも、大切な儀式に思えるけれど)


 竜胆の両親は難しい顔のままだ。


「あの……もしかして、私になにか、大きな問題があるのでしょうか……?」


 鈴は意を決して、竜胆の両親に尋ねることにした。

 すると辰景と菫は揃って首を横に振り、「いいや」「違うのよ」と眉を下げる。


「『婚約の儀』は古くから伝わる神聖な儀式だ。けれども、行うには多大なるリスクを伴う」

「歴史上では、多くの神々や眷属が最も嫌った儀式でもあるの。『婚約の儀』を行なってしまうと、離縁ができなくなるから……」

「え……っ」

(離縁……?)


 鈴はひゅっと息を詰め、顔を青くする。

 菫は「あっ」と声を上げ慌てて、畳から腰を浮かせた。


「違うのよ、ごめんなさいね。わたくしの説明が悪かったわ」

「そうですね」


 竜胆が目を細めて、冷たく言い放つ。

 それに再び慌てた菫は、「本当にごめんなさいね」と申し訳なさそうな顔をした。


「い、いえ。大丈夫です」

(よ、よかった……。ご両親から離縁の可能性を疑われていたわけではないみたいで)

「俺が君と離縁なんてするはずがないだろう」


 竜胆はそっと優しく鈴の頭を撫でる。

 鈴はほっとしながらも、傷んだ灰色の髪が竜胆の指先に絡められるのを感じ、羞恥心で頬を赤くする。


 こくこくと何度も頷く鈴を、竜胆が悪戯っぽく愛でるさまをこれでもかと見せつけられた父と母は、互いに顔を見合わせながら『婚約の儀』に対する意見を再確認する。

 そして、決断することにした。


「『婚約の儀』を多くの神々や眷属が嫌った理由は、番様や神嫁を正室として迎えていただけでなく、たくさんの側室がいたせいなの。人の子が神々の神嫁や側室に迎えられるのは、その霊力が気に入られたから。でも、時には枯渇してしまう娘もいて……。そうなるとお役目を果たせないから、婚姻後に離縁することも多かった。だから『婚約の儀』という婚約破棄、ひいては離縁ができなくなる儀式を行うのは、神々や眷属にとって足枷になるものだったの」


「先ほど多大なリスクを伴うと話したが、『婚約の儀』は神と人の子だけでなく、神の眷属と人の子の血族が互いに十二人ずつ結ぶ誓いになる。その結びつきが続く限り、婚約の証人となった眷属と血族たちは霊力が格上げされるが……。もしも神が離縁を言い渡した時、誓いを破ったとされる十二人の眷属は〈歴々の神々〉の裁きを受けることになる」


「裁き、ですか……?」


 鈴は言葉を失う。


「『十二天将宮』には〈始祖の神々〉だけでなく、多くの十二の神々の魂が祀られている。彼らの御前で結んだ誓いを破った以上、裁きを受けるのは当然のこと。裁きの内容は定かではないが……異界に引きずり込まれ、死より辛い責め苦を負うと言われている」


(それじゃあ、『婚約の儀』は将来誰かの命を犠牲にするかもしれない儀式で……)


 眷属である竜胆の両親が苦渋の表情をするわけだ。

 そんな儀式を特別に行なってもらうのは気が引けるし、罪悪感が募るというもの。

 それに、わざわざたくさんの命をかけてまで『離縁をしない』と誓ってもらわずとも、竜胆の鈴への気持ちは十分伝わっている。

 鈴は両手をきゅっと胸の前で握りしめて、「あ、あの」と言い募る。


「もしも必要のない儀式なのでしたら、私は」

「いいえ、必要だわ」

「私たちも、竜胆と君が離縁するなどとは少しも思っていない。『婚約の儀』にはもちろん賛成だ。ただちに十二人、証人となってくれる眷属を集めよう」


 側室を娶らない今の時代に神々の裁きを恐れるのは時代錯誤だが、『婚約の儀』という儀式に対し、良い印象を抱いていない眷属は多い。〈青龍の番様〉に今は〈青龍の巫女〉たる霊力がないと知ったら、頭の固い眷属たちはますます嫌がるだろう。

 しかし辰景は、狭霧家の当主として眷属たちを誠心誠意説得する気でいた。

 きっとすぐにでも〈青龍〉に忠誠を誓う眷属が見つかるはずだ。

 辰景と菫は親として、眷属として、ふたりの門出を祝う儀式をなんとしてでも成功させたいと思っていた。


「で、ですが、もし眷属の皆様が賛成してくださっても、……私の血族に当たる家が、協力してくれるとは思えません」

「それはどうだろうな」


 鈴は本当に協力など得られるわけがないと思っていたが、どうやら竜胆は違うらしい。


「春宮家には願ってもない申し出のはずだ。君と同じ血筋に当たる十二人の霊力の格を無条件で上げられるのなら、繁栄を望む春宮家にとってこんなに好条件の儀式はない。君の真名を封じた呪符との受け渡しを交換条件にしたとしても、喜び勇んで飛びつくだろう」

「そう、でしょうか……」

「ああ。必ず君の真名と霊力を取り戻せるはずだ」


 不安げな様子の鈴とは対照的に、竜胆はどこか凍てついた空気をまといながら、堕ちた時のような冷たい笑みを浮かべていた。

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