第44話 婚約の儀
さらさらとした黒髪に、竜胆と似た青い瞳が印象的な父と母が、洗練された様子でお辞儀をする。
「初めまして。竜胆様の番として選んでいただきました……名無し、と申します」
鈴は神域での苦しみを思い出して、姓を口にする勇気が持てなかった。
(これからお世話になる竜胆様の大切なご両親に、自分の名前すら名乗れないだなんて)
しずしずと深く頭を下げながら、鈴の心は申し訳なさでいっぱいだった。
「失礼なこととは重々承知なのですが、訳あって真名を名乗ることができません。……大変申し訳ございません」
辰景と菫は互いに目を合わせる。
彼らは小さくなっている鈴の態度に、春宮家で彼女がどう扱われていたのかの片鱗を見つけ、一気に親心が沸き立ちざわめくのを感じざるをえなかった。
ふたりにとって〈青龍の番様〉であり〈青龍の巫女〉でもある鈴という存在は、長年待ち望んだ希望の光だ。
その理由としては息子の竜胆が極端に人の子を嫌っていること、それから冷酷な一面を持つ気難しい性格の青年であるところが大きい。
辰景と菫は『将来、竜胆は〈青龍の巫女〉を選びすらしないのでは……』と心配していたし、他の神々のように〈準巫女〉を付ける気のないそぶりからも、『神嫁を娶ることもないだろう』と確信していた。
そして、そう感じていたのは両親だけではなかった。
竜胆が堕ち神となった一件以降、竜胆の立ち居振る舞いは狭霧家の血筋を重んじる老齢の眷属たちに年々不安をもたらしていた。
そんな中、いくら幼い神が『心に決めた者がいます』と言ったところで、相手が一向に現れなければ、『番様という存在への憧れだろう』と一蹴する保守派の眷属も多い。
そのせいで過去には無理やり竜胆の婚約者候補を見繕われ、当主派と保守派で一族の意見が割れたこともある。
だが、それでも辰景と菫は息子である竜胆の意志を尊重し、『いつかきっと必ず』と番様の存在を信じて待っていたのだ。
しかし、完全ではないもののすでに堕ちた神として瘴気を生み出すことができる竜胆が、日々穢れに蝕まれているのもまた周知の事実。
このまま状況を改善できなければ、いずれ本当に瘴気に侵食され、完全な堕ち神になってしまうかもしれない。
そうなってしまえば、竜胆に待っているのは歴史と同じく神々や『特殊区域監査局』による討伐――……死、のみだ。
そんな状況にある竜胆がまとう瘴気を鎮め穢れを真に癒せるのは、〈青龍の巫女〉としての霊力を持つという春宮家の長女、鈴しかいない。
愛する息子を死から救い、そして尊き敬うべき青龍という神の神格を上げ、その血筋を残せる唯一の少女が真名を奪われている〝名無し〟であると知らされた当初は、驚きもしたが……。
幼き日の竜胆が神域創造に病的なまでに傾倒していた理由を察して、納得もした。
むしろ〈青龍の眷属〉として、辰景と菫は春宮家へのなみなみならぬ怒りを募らせている。〈青龍の番様〉は眷属にとっても大切な存在なのだ。けれども。
「顔をあげなさい」
辰景はつとめて穏やかな声で、畳の上で深く頭を下げたまま小さくなっている鈴に呼びかける。
「真名が名乗れなくても構わないさ」
「そうよ。経緯は竜胆から聞いているわ」
辰景も菫も〈青龍の眷属〉としてではなく竜胆の父親と母親として、鈴をあたたかく迎えたいと考えていた。
ふたりは鈴に微笑みを向ける。
「これまで多くの苦労をしてきただろう。ここではなにも気にしないでいい」
「あなたはもうわたくしたちの
その言葉に、鈴は胸がいっぱいになった。
どうやら受け入れてもらえるかどうか、という不安は杞憂だったらしい。それから、名乗る名前がないことも。
竜胆の両親のあたたかい気持ちが伝わってきて、これからおふたりのためにも頑張ろう! と涙が溢れそうになる。それを必死に我慢して、鈴は再び頭を下げた。
「はい……! ありがとうございます……っ」
「ふふふ、もう。かしこまらないで大丈夫よ」
とても素直で優しく、思いやりを持つ心清らかな娘だ。彼女が竜胆の番様として狭霧家に嫁いでくれることは、なんと幸運なことだろう。
辰景と菫は、彼女の存在を見出した竜胆を我が息子ながら誇らしく思う。
「竜胆、よくぞ〈青龍の番様〉を見つけてくれた」
「……はい」
竜胆は父の熱心な労いの言葉に対しすげなく返しながらも、どこか気恥ずかしい思いがした。
鈴という愛おしい存在を両親に紹介するという行為は、自分が本当に彼らの子どもであると改めて認識させられる。
〈青龍〉という神としての本能と、〝生き神〟として人の子と同じ肉体を持ち生まれてきた十八歳の青年でしかない部分が
それを両親に悟られまいと、竜胆は不服そうに少し眉を寄せた。
そんな竜胆の表情を見て、辰景と菫は久々に息子の年相応な姿を見られて嬉しくなった。
「これから狭霧家は賑やかになりそうだ」
「ええ、そうね」
ふふふ、と菫は着物の袖を押さえながら指先で口元を隠して微笑む。
「さあ、そろそろ本題に入ろうか。竜胆、なにか言いたいことがあるのだろう」
辰景はそう言って、竜胆の発言を促す。
その通りだ。今日はただ両親と挨拶するためだけにここへ来たわけではない。
竜胆は正座し背筋を伸ばしたまま、長い睫毛に縁取られた青い双眸ですっと両親を見据える。
「すぐにでも日取りを決め、『婚約の儀』を行なっていただきたいのです」
意図せず神気をまとった竜胆を前に、両親は眷属としての顔になる。
「お話した通り、彼女の霊力や真名は春宮家に奪われたままだ。すべてを取り戻すためには、――すぐにでも儀式を行う必要があります」
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