第43話 狭霧本家の邸宅
車窓に映る神世の初めて見る街並みは、どこか明治時代や大正時代を思わせる。
木造建築に瓦屋根がある建物や楼閣、煉瓦造りの建物や洋館が立ち並んでおり、街灯もレトロな雰囲気だ。路地裏にある建物は古めかしくて、ちょっと不思議な看板も出ていた。
(『霊霊薬屋』ってなんだろう?)
信号待ちの間に店番の老婆と目が合うと、感情のなさそうな笑顔で『おいで、おいで』と手招きされる。
(ちょっと怪しそう)
神々とその眷属だけが住まう場所だという認識だったが、もしかしたら神々でも眷属でもない人ならざる者もいるのかもしれない。
竜胆に聞いてみようかと彼の方を振り向くと、彼は首を横に振った。
「もし何か視えても知らないふりをしておけ」
「はい」
霊力がないのに視えるなにかとは、なんなのだろうか。少し背筋に寒気がした。
その後も、知らない街並み観察は続く。
(京都の歴史的な街並みや、城下町なんかにも似てるかも。東京駅の外観にも似てるかな?)
百花女学院で過ごす鈴が、少ない自由時間を確保できた時に決まって向かう先は、いつも図書館だった。
鈴が訪れることもないだろう国内外の様々な街並みや風景を写した写真集などは、不思議と心を穏やかにさせてくれるのでよく手にしたものだ。
そんなことを考えているうちに、車は目的地に到着したらしい。
とてつもない距離のある高い塀に囲まれているお邸の外門を通って敷地内に入ると、静かに車寄せに停車する。
再びエスコートしてくれた竜胆の手を借り、鈴がどぎまぎしながら車から降りると――、そこにはいかにも歴史がありそうな、壮麗な日本家屋の豪邸がそびえ立っていた。
(す、すごい。春宮家の何倍も大きい……。庭園も広くて、池や川もいくつもあって、わわ、あっちには蔵もある……)
こんな広大な敷地内で迷子になったら、現在地まで帰るのに一日かかるかもしれない。
立派な玄関の前には、着物を身にまとった大勢の使用人らしき眷属がずらりと並んでいる。彼らはすぐに、「若様、お嬢様、おかえりなさいませ」と声を揃えて一斉に頭を下げた。
「ああ」
「お、お邪魔いたします」
鈴は恐縮しきって、ぺこぺこと頭を何度も下げる。
四季の名を冠する由緒正しき春宮家でも、ここまで大きくはない。
それどころか、使用人の数などここに並んでいる人数の半分くらいだ。
「ここが本邸の母屋だ。俺と君の住まいは、本邸の敷地内ではあるが離れにある別邸になる」
「わかりました」
「神域の邸とは違って手狭な上に、別邸とはいえ義理の両親と同居するのは億劫だろう。俺が神城学園の高等部を卒業して邸を移るまでの、仮住まいだと考えていてくれ。……とは言えこの広さだ、両親とはほとんど顔を合わせないから心配しなくていい」
竜胆はそう言うと、「まあ今日は先に挨拶をしないといけないんだが」と少し煩わしそうな顔をした。
広大な庭園を内包した、これほどに大きな敷地内だ。両親とは顔を合わせないどころか、待ち合わせでもしなければ滅多にすれ違うことすらなさそうである。
けれど鈴には、両親と呼べる両親がいない。
母は鈴を産んですぐに亡くなり、父は血が繋がっているのか疑問に思うほどの人物だ。
異母妹と父と継母の家族関係に憧れているわけではない。だが、日菜子と父と継母の関係を見ていると、とても甘く、優しく、いつでも彼女を気にかけて守ってくれる存在に感じられた。
初等部での授業参観でも、そうだ。
巫女見習いの少女たちの両親だけでなく、使用人科の両親たちでさえ、皆、子供の成長を愛おしげに見守る親ばかりだった。
(竜胆様のご両親は、……私を、認めてくれるだろうか)
竜胆の番様ということは、狭霧家に嫁ぐ花嫁になるということ。
そして、竜胆の両親の義理の娘になるということだ。
(……もしかしたら、突然できた番様を扱いあぐねているかもしれない。だけど、……もし、善い関係が築けたら)
両親という存在に憧れを抱いていた鈴は、「億劫だなんて、とんでもないです」と両手を振って否定してから、やわらかくはにかんだ。
「むしろ、竜胆様のご両親と一緒に暮らせるだなんて、とても嬉しいです。ぜひご挨拶させてください」
「君は……。いや、そうだな。案内しよう」
竜胆は鈴に少しでも気を遣わせまいとしていたのだが、思っていた反応とは違うものが返ってきてわずかに驚く。
幼くして龍神〈青龍〉として覚醒した竜胆は、どこか両親に距離を置いている節があった。
初等部から寮生活になり、長期休暇の際だけに別邸へ帰ってくる生活を続けていたため、両親と顔を合わせるのは行事がある時くらいだ。
今回も神世における一ヶ月間も神域にいたというのに、『〈青龍の番様〉が見つかった』と式を飛ばして両親に連絡したのみ。
ずっとそれが普通だと思っていたが、もしかすると人の子の言う家族の形とは、少し違うものなのかもしれない。
だが、鈴が暮らしていた春宮という環境よりは、遥かにいいだろう。
……彼女が少しでも頼れる者が、増えたらいい。
鈴の見せたはにかんだ笑顔を、竜胆は愛おしく思った。
「こちらでございます」
初老の男性使用人に先導されながら、邸の客間に向かう。
堂々と背筋を伸ばして歩く竜胆の後ろを、鈴は再び借りてきた猫のようにカチコチになって歩きながら、緊張しすぎて固唾を呑んだ。
「若様とお嬢様がご到着されました」
「どうぞ、通して」
室内からやわらかい女性の声が応じる。
使用人が襖を開けて中に通される時に「失礼いたします」と深く一礼して頭をあげると、「よくいらっしゃいました」と上座に座っていた四十代とおぼしき着物姿のふたりの男女が、柔和な表情で鈴を出迎えた。
「さあ、あまり肩肘を張らずに座りなさい」
最奥に座す男性が告げた言葉に甘えて、「ありがとうございます」と鈴も竜胆の隣に正座する。
青々とした畳と香炉から漂う白檀の匂いが、鈴にはより一層緊張感を与えたが、両者の間に漂う空気はとても穏やかだった。
「私が竜胆の父、狭霧家当主を務めている狭霧
「竜胆の母の狭霧
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