第21話 特殊区域監査局
幼い龍神の激しい慟哭が、禁書蔵だけでなく強固な結界で覆われた狭霧本邸の敷地全体にまで、
制御できなくなった神気の暴発が起き、まるで地響きのごとくびりびりと硝子や建物を揺らした。
しかしそれもすぐに新たな衝撃波に上塗りされていく。
暴発していた強力な神気は、竜胆の感情の爆発と意識の混濁ともに少しずつ濁りを生じ、次第に紫色に転じ始めたのだ。
それは彼女の死という堪え難い絶望に呑み込まれ、竜胆が瘴気を生んでしまった結果だった。
禁書蔵の外からは、阿鼻叫喚の悲鳴が上がる。
「こちらに強い神気と瘴気にあてられて意識不明の者が!」
「救急に連絡して医療従事者の〈準巫女〉の派遣を要請しなさい! 今すぐに!」
「だから若様は危険だと言ったんだ! 今は旦那様に電話している場合ではない、すぐに『特殊区域監査局』に通報を!」
「まだ動ける者はいるか!? 若様のおられる蔵に封咒を! ないよりはマシだ!」
鼓膜の内側に反響しているかのごとく、ぐわんぐわんと響く音としてしか捉えてられない使用人たちの叫び声が、遠くで聞こえている。
けれど、真っ暗闇にいるせいでもうなにも理解できない。
長い睫毛に縁取られている伽藍堂になった龍神の瞳から、つうっとひとすじの血の涙が零れ落ちる。
◇◇◇
「〝十二神将は吉将が木神〈青龍〉。真名を狭霧竜胆。四歳。――お前で間違いないな?〟」
監獄の看守を彷彿とさせる白地の制服を着た二十代前半の長身の男が、無感情で抑揚のない低い声で問う。
その問いで混濁していた意識がようやく浮上し始めた竜胆は、ゆっくりと顔を上げた。
「間違いありません」
神からの問いに唇が自然と動く。
ふと気がつくと、いつのまにか狭い部屋の真ん中で、竜胆は自分の両膝を抱きしめるようにして座り込んでいた。
「……誰?」
「十二神将は吉将が木神〈六合〉。『特殊区域監査局』に所属する上級刑務官だ」
藍色の長髪を首の後ろで一本の太い三つ編みにまとめている金色の双眸の美丈夫は、無表情のままそう言った。
立派な制帽の中央には、
どうやら狭霧家の者から、霊力を操る者たちによる対呪術、対怪異、対堕ち神の特別対策機関『特殊区域監査局』へ通報されたらしい。
竜胆が入れられているのはその建物内にある座敷牢だろう。
男の立つ廊下を区切る木格子以外、空間には窓ひとつなく、霊符や呪符が壁や天井にびっしりと貼られている。赤黒く変色している文字から推測するに、術者の血が用いられているに違いない。
どれほどのものか、試しに異能の力を足元に集めてみるも無数の氷の剣が畳を貫くことはなく、氷晶が舞う竜巻が一回転するだけに終わった。
「無駄だ。異能は使えない。この牢の結界は往年の腕の立つ術者が寿命と引き換えに結んだ、対堕ち神用の特殊なものだからな」
竜胆と同じく十二の神々のひとりであると名乗った男が言う。
男は確かに神気をまとっているが、『特殊区域監査局』の刑務官だとしたら今の竜胆とは相対する地位に就いている。
(警戒する必要があるな)
虚ろな様子の抜けきらない竜胆は、懐疑心を爛々と湛えた青い瞳で挑発的に六合を仰ぐ。
「…………僕はどうなるのですか」
「まるで手負いの子猫だな。そう警戒しなくても、我々はお前を取って食ったりしない」
カツン、カツンと軍靴の音を響かせながら、六合は木格子のぎりぎりまで歩み寄る。
(いったいなにをする気だ)
そんな竜胆の警戒に反し、六合は表情を変えぬまま神気を集中させた手のひらを霊符に
長身の美丈夫は両膝を抱えて座り込んでいる竜胆を見下ろしながら、「来い」と短く告げる。
「…………『特殊区域監査局』は、堕ち神を討伐なさるのでは?」
「幼いのによく知っているな。確かに我々は堕ち神を討伐する。しかし聞き分けのいい堕ち神は別だ」
「聞き分けの、いい…………」
「今回の出来事は情状酌量の余地がある」
六合はその金色の双眸に遠い日の哀傷を滲ませ、竜胆に同情する姿勢を見せた。
それでも竜胆は彼を信じる気にはなれず、座り込んだまま、懐疑心を隠さぬ様子で見上げる。
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