第22話 木神〈六合〉


「我々が通報を受け、現場に到着した時。お前は確かに神気の半分ほどを瘴気に転じさせ、異能のコントロールを失う形で堕ちかけていた。しかしながら、半分は神気を維持していたとも言える。精神を瘴気に侵蝕されながらも禁書蔵テリトリーから一歩も出ず、無差別な殺戮を行わなかったのは、堕ち神として非常に珍しいパターンだ」


 六合は腕を組み、うっすらと口角を上げた。


「その上、制御不可能となっていた異能を無意識下で行使し、禁書蔵周辺に頑丈な氷の荊棘を形成して他者の侵入を拒んでいた。状況から鑑みるに、お前は己の内に瘴気を溜め込むばかりで、外部を瘴気で汚染し尽くす意思や眷属を攻撃する意思がまったくなかったのだろうと窺えた」

「………………」

「救急搬送された眷属も今は回復し、被害も最小限だ。幼くも、次期当主としては将来有望だな」

「……それは良かったです」


 絶望感から意識が混濁していたせいで、なにも覚えていない。

 しかし、常日頃、両親や眷属には迷惑をかけまいとしているので、潜在意識がそう働きかけた可能性は十分ある。

 六合が語る当時の様子が真実なのだとしたら、ここは『覚えていません』などと素直に申告せず、黙っておくのが賢明だろう。


「上層部での協議の結果、穢れの侵蝕が堕ち神として即討伐対象となるほどの危険域には達していない点、そして今回の事象には特定の穢れといった外的要因が存在せず、また呪詛を行い神々としての魂を自ら貶めた形跡がないという三点から、この件を〝事故〟と判断することにした。結論として、今回の件では今代の〈青龍〉を討伐対象には認定しない」


「……そう、ですか」


 竜胆は静かに、無意識のうちに肺に詰めていた空気を吐く。

 たったひとりの大切な番様の死という絶望を経験した今、暗闇の深淵で生きていくしかない己の生き死にに執着しているわけではない。


(彼女が死に、魂を完全に消失させるまでに至った理由を知らずして、――彼女を殺めた人間がいるのなら、その人間を始末せずして死ぬわけにはいかない)


 今ここで、たった一度堕ち神化したという理由だけで、『特殊区域監査局』の刑務官に討伐されるわけにはいかないのだ。


「一時間後、我々はお前を釈放し、お前の両親に引き渡す予定になっている。それまでに、私からいくつか話すべきことがある」


 来い、と再び告げた六合は、両膝を抱えていた竜胆に向かって手を差し伸べる。

 長身を屈めて幼い子供の目線と視線を合わせることすらなく、ただまっすぐに。


(……今までは一人称を『我々』と表現していたのに、わざわざ『私』と言い換えたのは、なぜだ? 『特殊区域監査局』の刑務官としてではなく、十二の神々の同胞として話がしたいという意味か? けれど、明らかに約二十は年齢差がある僕に対して、いったいどんな理由があって……?)


 竜胆は少しのあいだ逡巡し、警戒心は解かずにおこうと心に決めると、


「……わかりました」


 聞き分けのいいふりをして、黒革の手袋に包まれた六合の手を取り立ち上がった。






 霊符や呪符に覆われた座敷牢から出され、「こちらだ」と一言告げた六合から案内されたのは、同じ建物内にある彼の執務室だった。

 途中、六合と同じ看守のような制服を着ている数人の刑務官らしき人物とすれ違ったが、彼らは皆、六合の姿を目にするやいなやきびきびとした動作で道の端に避け、「お疲れ様です、六合上級刑務官」と敬礼していた。


(どうやら上級刑務官という役職は、『特殊区域監査局』内において地位が高いらしい)


 竜胆はそう考えながら、執務室の応接用ソファに腰掛ける。

 テーブルを挟んで目の前に座った長身の美丈夫は顔色ひとつ変えないが、どこか考えあぐねている様子だ。

 そこに、「失礼いたします」と扉の外から入室の許可を求める女性の声が響く。


「コーヒーをお持ちいたしました」


 六合の「ああ」という返事の後、入室してきたのはお盆にふたつのカップを乗せた二十代前半の女性だった。


(……人の子か)


 本日初めて目にした人の子に敵意を持って過敏な反応を示した竜胆は、凍てついた瞳で彼女を観察する。

 制服は同じだが、六合の襟章とは違う。階級を示す星の数も少ない。もしかしたら噂によく聞く『特殊区域監査局』の〈準巫女〉なのかもしれない。


 女性はびくりと肩を揺らし、六合にすがるような視線を向ける。

 その視線に含まれた甘えの感情に、六合の〈神巫女〉だったか、と思い直したものの、執務室内の空気は良くない。

 案の定、六合は女性の視線を無視して、「ご苦労。では退室を」と促した。


「りっ、六合様! 堕ち神との同席は穢れに当てられる心配がありますので、ぜひ私をおそばに……!」

「退室を。心配は無用だ」


 女性はまだなにか喋りたそうにしていたが、縋るような視線を残し渋々と言った様子で出ていく。

 パタン、と扉が閉まる音がした後も外には女性の気配があったが、六合が結界を張ると、諦めたように去っていった。


(防音結界の術式と守護結界の術式の組み合わせか)


 呪符もなく無言で高度な結界術を行って見せた六合を、竜胆は冷静に分析する。

 目の前でこんなに神気に満ちた綺麗な結界を編まれたのは初めてだ。眷属の両親もそれなりに霊力は強い方だが、やはり神と眷属では一線を画す。


(さっきの人の子の霊力では、いくら結界術に優れていようと、盗聴用の式神も突破できないな)

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