第23話 番様と神嫁
「あいにく子供の好む飲み物がわからなくてな。コーヒーで良かったか?」
「……お気遣いなく。ここで出された飲み物に安易に口をつけるほど、純朴ではないので」
「ほう。よく回る口だ」
六合はどこか面白そうにうっすらと笑みを浮かべると、コーヒーカップに口をつける。
けれども彼はそれ以上、竜胆に飲み物を勧めようとはしなかった。
「なにから話すべきか……。そうだな。まずは私の昔話でもしよう」
「昔話?」
「〈六合の番様〉の話だ」
そう告げた六合の顔が哀愁で
(彼は僕と同じだ。――番様を、亡くしている)
「……聡いな。その通り。私はたったひとりの〈神巫女〉と〈番様〉を同時に亡くした。……いや、奪われたと言うべきか」
彼は自嘲気味に眉を下げ、「四年前のことだ」と憂いに満ちた目を伏せた。
「神城学園の高等部に進学後、『巫女選定の儀』が行われることになった。当時十六歳だった私は、ふたりの同胞とともに現世に降り立った。そこで〈六合の巫女〉を見つけた。彼女は百花女学院に通う、十六歳の巫女見習いだった」
竜胆は神城学園幼稚舎に置いてあるパンフレットでしか見たことのない高等部の学舎と、『巫女選定の儀』が行われる百花女学院と記されていた一枚の風景写真を思い浮かべる。
そこに目の前の長身の美丈夫を落とし込もうとしたが、あまりにも彼に監獄の看守のような制服が似合いすぎているせいで、上手く想像できなかった。
六合は訝しげな表情を浮かべた竜胆を見やると、金色の目をどこか優しげに細める。
「彼女とは休日ごとに会い、親交を深めた。三年が経った頃には、私は彼女に深い思慕の情を抱いていた。……卒業したら神嫁になってほしいと、告げるほどに」
「……神嫁」
竜胆はそっと息を吸う。
〈神巫女〉や〈準巫女〉が神と婚姻を結び花嫁になる場合、彼女たちのことを〝神嫁〟と表現する。
それは神が本能で選ぶ唯一の人の子である〝番様〟と区別するためだ。
往年の番様が全員霊力を持っていた、あるいはなにかしらの職に就く巫女だったとは一概には言えない。まったく霊力のない番様も、ごく稀にいたらしい。
そのため〈神巫女〉を持ち、妻として番様を持つという神が多く存在した。
大正時代頃までは若くして亡くなる神々や眷属が多かったという理由から、次代の神を産む可能性のある直系眷属を増やすためにも、神々はどちらも正室や側室として迎え婚姻関係を結んだそうだ。
とは言え近年では〈神巫女〉をビジネスパートナーとし、神格を上げるために番様と婚姻するのが理想的とされている。
理想的、と表現されるのには理由がある。
現在、日本の総人口は一億二千四百万人。神と言えど、そのすべての人の子と会えるわけもなく。また、同時代に運命の相手が生まれているかどうかすらわからない。
そんな中、たったひとりの番様を神が見つけるというのは奇跡に近いのだ。
日本に四季幸いをもたらす十二の神々の一族としては、直系を絶やすわけにはいかない。
そのため結婚適齢期になる前から、あらかじめ婚約者探しを始める家系もある。
神が神嫁を娶るということは、番様という本能が欲する存在を完全に諦めることに繋がる。
本能よりもなによりも御家の繁栄を優先して、政略的に神嫁を娶らなくてはいけない神が多いという事実が、〈神巫女〉や〈準巫女〉という特殊な職業の人気の高さを押し上げる理由のひとつかもしれない。
しかし。六合は一族の繁栄のために止むを得ずというわけではでなく、深い思慕の情から〈六合の巫女〉を神嫁に選んだのだと言う。
(この世の奇跡にも似た運命の番を、魂が震え本能が欲する神の半身に等しい存在を、諦めてまでも――)
幼くしてすでに自分の番様の存在を知っている竜胆には、到底理解できない感情だった。
「
「……そう、ですね。僕が想像していた〝六合上級刑務官〟よりもずっと」
「そうか」
両膝の上に肘を突き手袋に包まれた指先を組んだ六合は、視線を床に落とす。
六合の瞼の裏には、十八歳になり百花女学院の卒業式を迎えた袴姿の、大切な巫女の姿が鮮明に浮かんでいた。
「私と彼女は当時、互いにまだ未成年の立場だった。卒業後はすぐに籍を入れる予定だったが、彼女の両親がそれを拒んだ。百花女学院の歴代主席には珍しく、彼女が一般家庭の出身だったせいだ」
一般家庭とは代々霊力のない家柄を指す。
昨今は報道各社の影響からか、霊力を持たない両親から霊力を持つ子供が生まれると、たいそう喜ばれると聞く。
(それがいったい、どうして)
「……娘が神嫁に選ばれるのは名誉なことであると、ご両親は思わなかったのでしょうか」
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