第20話 絶望の深淵

 またどんな理由があろうと、法律上、十六歳未満の神々は〈神巫女〉を持ってはいけない決まりだ。

 というのも大正時代の中頃に、年嵩の〈神巫女〉にかどわかされて未成年の神々が行方不明になったり、偏った知識を植えつけられたせいで道を踏み外し、新興宗教の教祖になるなどして暴動が起きた事件が原因である。

 その他にも、神々に対する法律が制定されていなかった時代には多くの問題が頻発した。


 四季幸いをもたらすはずの神々が、日本の気候に異常が起き四季が乱れるだけでなく、山崩れや水害などの災害が目立つようになり、作物が育たなくなるほか家畜にも疫病が蔓延し、海や川までもが汚染されていく。

 それは日本に住まう人の子たちの生活を脅かす、由々しき事態であった。


 その後は『神々を守るため』という名目で法律が制定されたが、時代の流れとともに、今は神々に足枷を嵌める法律も増えた。

 代表と言えるのが、特定の〈神巫女〉を持たない神々が現世に降り立つには、政府機関と繋がりのある『特殊区域監査局』に属する〈準巫女〉を雇用し、その監視下で生活しなければならないなどの法律である。


 しかし、『特殊区域監査局』から派遣される〈準巫女〉を一度でも雇うと厄介なことになる、というのはよく聞く噂だ。

 そのひとつに、ある神が現世に降りるために〈準巫女〉を雇ったが、数年後に〈神巫女〉を見つけたため解雇しようとしたところ、〈神巫女〉の暗殺を謀られたという話まである。


(暗殺されてしまった〈神巫女〉は、その神の番様だったというのだから、なんとも恐ろしい話だな)


 彼女のまだ芽吹き始めたばかりの霊力の片鱗から、彼女が自分の〈神巫女〉でもある可能性が高いと直感していた竜胆にとって、現世に降り立つために、わざわざ将来邪魔になるリスクの高い〈準巫女〉を雇うのは本末転倒と言えた。


 それからというもの、竜胆は睡眠も飲食も忘れて神域の形成に没頭した。

 もちろん、両親はそんな我が子を心配した。

 まだ幼い我が子が、今までは不服そうながらも黙って通っていた神城学園の幼稚舎に通うことを拒否し、睡眠も飲食も放棄して、禁書蔵で莫大な神気を操り続けているのだ。流石に見過ごすわけにはいかない。


「〝生き神〟として、人の子と同じ肉体を持って生まれたことを忘れてはならない」

「そうよ、竜胆。子供には充分な睡眠と栄養たっぷりのご飯が必要だわ」


 両親は毎日、禁書蔵の前にやって来ては竜胆を厳しく諭した。

 しかし両親の言葉が今さらながら疑問に思えてきて、竜胆はこてりと首を傾げる。


「でも、僕には必要なさそうです」


 龍神の瞳孔が、心底不思議そうに両親を見上げる。

 竜胆はあの少女を見つけた日をきっかけに、幼いながらもすでに〈青龍〉として覚醒してしまっていたのだ。

 両親ははっと息を呑み、困惑を浮かべた顔を見合わせる。


〈青龍の眷属〉として、神の意向に沿うのが務め。

 だがなによりも、ふたりは竜胆と血の繋がった家族だ。

 睡眠や食事を蔑ろにする我が子に対し、人の子の肉体を持って生まれた限り必要不可欠な事柄を教えるのは、両親としての義務である。

 そして同時に、息子の健やかな成長を喜び、没頭できる分野を制限なく自由に学ばせるのもまた、親としての愛だろう。


「……わかったわ。疲れたら休憩をとって、しっかり食べるのよ」

「根を詰めるのもほどほどにな。よく食べよく睡眠をとらなければ、将来身長が伸びなくなるぞ」


 両親は『仕方のない子だ』という表情をしながら、かなり譲歩した言葉を伝えて、代わる代わる竜胆の頭を撫でた。

 本邸に帰る両親の背中をを見送った竜胆は、ぽつりと呟く。


「………………身長、伸びなくなるのか」

(それは嫌だな……)


 母から無理やり持たされた銀製のトレーの上に乗っている湯気のたつ食事に視線を落とし、竜胆は禁書蔵に引っ込んだ。




 ――しかし。三年後などと、悠長に構えていたのがいけなかったのかもしれない。


 師走の半ばに差し掛かり、寒空の下でちらちらと初雪が降り始めたある日。

 彼女の魂の気配が、跡形もなく搔き消えてしまったのだ。

 それは竜胆が神域に閉じこもっていた時、彼女の霊力が大輪の花の如く咲き誇り目覚めたのを感知してから一刻も経たぬうちのことだった。


「どう、して…………」


 突然の出来事に、はあ、はあ、と呼吸が浅くなり、目の前が真っ暗になる。


(理解できない。だって、さっきまで、目覚めたばかりの彼女の霊力を感じていたのに)


 春の暖かな陽だまりの中、大地に草花が次々と芽吹き花を咲かせていき、こけむすいわおによってき止められていた川が、冷たい水しぶきあげながら一気に流れて滝を作り出す――……そんな光景が鮮明に思い浮かぶ、五行の偏りのない莫大な、それはそれは心地よい清廉な霊力だった。


 その瞬間、竜胆は「ああ、やっぱり彼女が〈青龍の巫女〉だった」と確信さえしたのだ。

 けれども。今はまったくその気配は感じられない。

 霜月の折に呪具で隠されたのとはまた異なる、魂そのものが失われてしまったかのような、存在の消失だった。


 身体中から血の気が引いていく。

 どこもかしこもガタガタと小刻みに震えて、力が入らない。


「……彼女は、死んで、……しまったのか…………?」


 魂の気配が搔き消えるとは、それすなわち完全な死を意味する。

 死んですぐの魂は現世に留まるものや黄泉路を旅するものも多いが、掻き消されたとなると術者によって現世からも黄泉からも祓われ――。


「そ、そんな。そんなの、嘘だ…………嘘だ、嘘だ、嘘だ、うっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――っ!!」


 それは竜胆が、初めて絶望の深淵に叩き落とされた瞬間だった。

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