第57話 すべての代償

「なッ、なんで!? どうして……!? こんなの、嘘よ! どうしてバレてるの!?」

「……どうして? 答えは簡単だ。最初から誰も騙されてなどいない」


 それを聞いた日菜子は、神への恐怖でヒュッと息を呑んだ。


「騙されて、ない、なんて」


 真っ青な顔でガタガタと震え始めた日菜子は一歩、また一歩と後退る。

 儀式の言葉に則り、嘘偽りないと誓った。

 春宮家の当主と日菜子に忠誠を誓う十二人の命まで懸けて、誓ってしまった。

 …………――その代償は、なに?


「キャアアアアアアアッ!」

「お、お母様っ!?」


 甲高い叫び声に驚き、切羽詰まった表情で日菜子が後ろを振り返ると、そこには皮膚という皮膚に赤黒い他人の真名が浮かび上がり、業火に焼かれるほどの痛みに叫び続ける祖父と両親がいた。

 焼き鏝を当てられたかのような灼熱の痛みが次々に襲い、眼球の白い部分にまで名前が浮かび上がっている。

 それは苧環家が過去四百年の間に葬り去った、すべての人々の真名だった。


「ヒィイッ! 日菜子様、助けてくださいませッ!」

「くそッ! 祓い除けられん!」

「やめてくれぇぇぇ!」


 神々への誓いを虚偽で破った春宮家の十二人の血族たちは、地面から這いずり出てきた禍々しい黒い影によって、次々と地中へ引きずり込まれていく。

 神々の裁きが下されたのだろう。

 辿り着く先は、奈落の底か。死者の国か。それは誰にもわからない。


「ヤダ……ッ! 嘘よ、こんな……っ! に、逃げなくちゃ……! 逃げなくちゃ、死んじゃうわ!!」


 日菜子は禍々しい黒い影に引きずり込まれる十二人の血族を見捨てて、逃げる選択をした。

 しかし。弾かれるようにして走り始めた日菜子の足が、すぐに思うように動かせなくなる。


「キャァァァァアアアッ! なによこれッ!」


 日菜子の足から、どろりと茶色い腐敗物が落ちる。

 なんと、鼻を突く異臭とともに、日菜子の腕や足が腐り始めていた。

 神々に嘘偽りを述べた代償として、鈴から長年搾取し続けていた偽りの霊力を巡らせていた肉体が、正しく限界を迎えたのだ。


「――因果応報。神々の前では代償のない誓いなど存在しない。……そうだろう?」


 壮絶な瘴気をまとった竜胆の唇が艶やかに弧を描き、この世の者とは思えぬほどの美しい微笑みを浮かべる。

 の神が、日菜子に甘く微笑むなど天地がひっくり返ろうとありえない。

 儀式の前に見せた甘美な笑みは、約束を破った愚かな人の子に鉄槌を下す神の、本能的な――。

 堕ち神の怒りと畏怖に触れた日菜子は、全身の震えが止まらない中、どろどろに溶けていく両手で頭を抱える。


「な、なんで? どうして?  私が、私の権利を取り戻してなにが悪いって言うのッ? だいたい名無しが、名無しが私に与えられるはずの霊力をすべて奪って先に生まれたのが悪いのよ……! だから私が、名無しから霊力を搾取するのは当然で……!」

「……この世に生まれた順番で霊力の質が決まると、本当に思っているのか? そんなのは人の子が勝手に作った迷信だ」

「め、迷信ですって? そんなの、嘘…………ッ!!」

「霊力とは、魂の素質そのもの――。清らかな魂には清らかな霊力が宿り、穢れた魂には歪な霊力しか宿らない」


 日菜子の叫びに、竜胆は冷ややかな視線を返す。


「あ、そんな…………ち、違うわ。私は、悪くない。悪くない。悪くない、悪くない、悪くな……っ」


 狂ったように呟く日菜子の後ろに、カツン、カツンと革靴の音が響く。

 日菜子、祖父、そして日菜子の両親の周囲は、いつのまにか監獄の看守を彷彿とさせる白地の制服を着た人間たちに取り囲まれていた。

 立派な制帽の中央に掲げられているのは、八咫烏を榊の葉が取り囲んでいる金色の帽章。

 十二天将宮の神職からの通報を受けて馳せ参じた、対呪術、対怪異、対堕ち神の特別対策機関『特殊区域監査局』の者たちだった。


 そのうちのひとり、藍色の長髪を首の後ろで三つ編みにした金色の双眸を持つ美丈夫――六合が、無感情で抑揚のない低い声で告げる。


「春宮日菜子、そして春宮昭正、春宮成正、春宮華菜子。お前たちを、神世の中枢とも呼べる十二天将宮を呪い穢した罪で『特殊区域監査局』に連行する」


 かろうじて意識のあった昭正は、その言葉に絶望の色を浮かべた。

 今まで処罰を免れてきた罪が、昭正たちには多くある。神気を以ってして取り調べをされたら、今の自分に残る霊力ではとてもじゃないが抗えないだろう。

 苧環家から続く悪行も、命を懸けてきた秘術も、すべて白日のもとに晒されることとなる。

 いいや、それだけではない。

〈六合の巫女〉を怪異で貶めたことも、バレてしまえば、きっと――!


「夏宮、罪人に封咒を」

「はい」


 六合の背後から、長い黒髪を高く結い上げたハンサムな少女が姿を現す。

 夏宮旭。それは日菜子が百花女学院から確かに退学させた、ひとつ年上の少女だった。

 日菜子は幽霊でも見たかのように、目を見開く。


「っ、どうして!? 夏宮先輩が、なぜここに……ッ」

「驚いたろう? この短期間で、使えるコネはすべて使った。……春宮日菜子、君から名無しを救うために」


 旭は八咫烏と榊の葉が描かれた真っ白な制帽のつばを上げ、あの時とは反対に日菜子を見下ろした。


 う、嘘よ、嘘よ、嘘よ! こんな風に見下されるなんて冗談じゃないわ……!

 こんな結末、許されないんだからッ!

 そう日菜子は怒りを覚えながらも、心の底ではこれが自分の謀略の終わりであるとも感じていた。そして、この結末のすべてが竜胆の口から鈴へ伝わるだろうことも。

 ……まさか、あの無能な異母姉も、こんな風に私を見下すんじゃ……ッ!

⁉︎神々の裁きに対する恐怖でカラカラになっていた日菜子の口内には、酷い屈辱感と敗北感が苦く広がる。


「うっ、あああああああッ!!!!」


 日菜子は伏せながら拳を振り上げ、狂ったように泣き叫びながら地面に何度も振り下ろす。惨めな自分の現状は到底受け入れ難く、気が触れそうだった。


「…………青龍。こちらの処理は任せておけ。追って沙汰を伝えよう」

「ああ」


 六合の申し出に竜胆は頷き、その場をあとにする。

 日菜子たちへ視線を向けることはもうない。竜胆の頭の中は、すでに愛おしい鈴のことでいっぱいだった。

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