第35話 水神〈玄武〉
◇◇◇
真っ白な天井の下、ベッドで
ふたりきりの病室を支配しているのは、点滴を繋がれた鈴の心臓の脈拍を示す電子音と呼吸器の音だけ。
そんな中。竜胆を不安にさせる静けさを祓うかのように、硬いノックの音が響く。
「竜胆、結果が出たぞ」
返事を待たずにドアを開き、颯爽と入ってきた白衣姿の青年は、カルテを片手にベッドサイドへと近寄る。
薄水色の髪と瞳を持つ、少し高飛車な王子様を彷彿とさせる美貌の彼は、
十二神将は凶将のひとり、水神〈玄武〉である。
形の良い唇の左下にあるほくろが知的で硬派な印象を与える彼は、竜胆と同じく神城学園高等部に通う三年生でありながら、神世で最も有名な大病院『漣総合病院』で神霊経絡科の特別研修医をしている。
通常の医学を扱う医師を目指す場合は、神世に住まう神々やその眷属であろうと現世の大学の医学部医学科に通い、人の子と同じ過程を経て医師免許を取得した後に臨床研修を受ける必要がある。
しかし、神霊経絡科となると話が少し変わってくる。
神霊経絡科は神気や霊力に関する病、怪異による難病などを治療する。
当然、普通の人の子の目には視えない分野なので、神霊経絡科の医師は大抵が神々の眷属、または神司や〈準巫女〉に限られてくる。
その誰もが浄化の力が強く、穢れや呪詛が視えるのはもちろんのこと、神気や霊力の流れを色や数字といった様々な方法で視認できるほどに強い霊力を持つ。
基本的には神城学園大学医学部の神霊経絡科に通い国家試験合格後に医師免許を取得するのだが、湖月の場合は〈玄武〉という神の本質と彼が持つ特殊な異能から、重篤な急患が運ばれて来た時のみ漣総合病院で特別研修医として、十二の神々である〈玄武〉にしかできない分野から医師たちのサポートに入っている。
漣総合病院を代々経営している漣家の、将来有望な跡取り息子なのだ。
「……彼女は、大丈夫なのか」
「結果から言うと現在は肉体も精神も安定していて、問題はなさそうだね。ただ」
「……ただ?」
「僕も〈玄武〉として冥界を出入りしてみたけれど、彼女の魂は見つからなかった。やはりまだ春宮家の術者が握っているとみていい。早く奪い返せたらいいんだが」
湖月は幼馴染に検査結果が記された紙を手渡すと、ベッドサイドに置かれているバイタルモニターを確認する。
心拍数、呼吸数ともに異常はなく、波形も安定している。患者の呼吸音や顔色も正常に戻っており、肉体的には順調な回復が見て取れた。
竜胆は検査結果に目を通し、胸に詰めていた息を吐く。
そのひとつである黒曜寮の談話室に、突如として
『――急患だ。〈玄武〉を呼んでくれ』
『ハ、ハイッ!』
しかし竜胆の伝えた急患という言葉に即座に対応できるのは、やはり命の源である
周囲にいた神々の眷属たちも、『急患です!』『救急に連絡を!』『漣総合病院にも連絡を入れて!』と、自分たちができる範囲で素早く行動を始める。
それはたった一分未満の出来事だったが、竜胆が瘴気を抑え、神気に転じさせるには十分な時間だった。
その後、駆けつけた湖月とともに病院に向かい、すぐに入院となった彼女は三日三晩眠り続けている。
治療を施され回復傾向にあるとは言え、やはり真名と魂が春宮家に握られているとなると気が気ではない。
(急いては事を仕損じる)
竜胆は灼け爛れた痕が綺麗になくなった彼女の白磁のような左手をそっと握り、そのぬくもりを感じて目を伏せた。
その姿をじっと見つめていた湖月は、少し驚いていた。
冷酷無慈悲で人嫌いな幼馴染の、こんなに弱々しい姿を見たのは初めてだからだ。
『巫女選定の儀』でも氷晶の異能を使い、あっという間に風景を変えてしまっていた。
あの青い世界の中では、竜胆に抱かれていたこの少女以外の人の子たちは、立って息をするのもやっとだったに違いない。
愛しい番様にしか配慮しない、冷酷で、人の子を嫌う性格がどうやって形成されていったか知っている者としては、その振る舞いに反対はしない。が、時にその高すぎる神格と皇帝然とした神気に気圧されてしまうのは事実だった。
「けれど竜胆。君の落ち度をあえて指摘するなら、神域の時間軸は神世と現世とはまったく異なるのを忘れていたことだ」
湖月は幼馴染として、眉を吊り上げて竜胆を睨む。
「君の神域ではたった一時間程度の出来事でも、こちらでは一ヶ月も経過しているんだぞ。その分、こちらに戻った時には人の子の肉体に負荷がかかる」
そう。すでに『巫女選定の儀』で湖月が竜胆とともに現世に降り立った日より、一ヶ月以上が経過している。
桜はとうの昔に散り、季節は初夏を迎えていた。
「忘れてはいない」
「忘れていないだって? まさか君は、神域からこちらへ帰ってくる気がなかったのか!?」
(神域という安全な箱庭で、すべてを取り戻した彼女を骨の髄まで甘やかしたいとは考えていたが…… 神世へ一度も戻らないつもりでは)
いたかもしれない。
「……だから最初に〝番の契り〟をしただろう。あれで彼女は〈青龍の番様〉として、神域で過ごしたことによる負荷はゼロだったはずだ」
「そ、……っ!」
湖月はひと月前に見た、幼馴染と彼の番様だという少女の口づけを思い出し、羞恥心で顔を真っ赤にする。
「あんな大勢の前でする必要ないだろう! だいたい僕らはまだ学生なんだぞ! 〝番の契り〟なんて、あんな、破廉恥な――っ」
「湖月。静かにしてくれ。彼女の呼吸がせっかく安定してきたところなんだ」
「……っ! す、すまない」
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