第12話 作り物か本物か

(私には大切に思う家族も友人もいないから、現世に思い残すこともない。ここで青龍様と一緒に、彼が穢れを祓いきるまで生かされ続けるというのは、私に存在価値を与えられたみたいな気がして……嬉しい、と、思う)


 母に与えられた命を、大切に生きるのが夢だった鈴だ。

 他の誰でもなく青龍様のために生きられるというのなら、これほど意義のあることはない。

 春宮家で罵られ、虐げられ、使い捨てのボロ雑巾のような扱いを受ける毎日と比べて、何万倍も幸せと言えるだろう。


「ここが玄関、向こう側は庭園だ。邸の内部には坪庭もある。どちらの庭も、君好みにするといい」

「はい」


 広々とした玄関を通り抜け、朱塗りの柱が立ち並ぶ板間の回廊を行く。

 軍服のような制服をまとった彼の姿とあいまって、なんだか明治時代にタイムスリップしたかのように思える。

 窓のないその回廊からは、専属の庭師によって丁寧な手入れがなされているかのごとく美しい庭園が見えている。

 回廊の下には青く澄み渡った池があり、さらさらと涼やかな水音が響く中、紅白の鯉らしき色鮮やかな魚影が泳いでいた。


 けれどどれも、なんとなく作り物のように感じられる。

 その証拠に、優美に泳ぐ鯉には口も目もなかった。

 本当に、色がついただけの影のようだ。水面に揺れる太陽の光が、紅白の鯉を通り抜けて水底にも映っている。

 人らしきものの気配はまったくない。

 もしかしたら、彼がそれを創らなかったのかもしれない。


(どこもかしこも綺麗だけど、不思議な場所……)


 パシャリと跳ねた紅白の鯉の躰に透けた朱色の灯籠に、ゆうらりと明かりが灯るのを鈴はぼんやりと眺めながらそう思った。

 そんなことを鈴が考えている間にも、彼は広く入りくんだ邸の中をゆっくりと進んでいく。

 到着したのは、応接間とおぼしき洋室だった。


 やはりどこか明治時代を彷彿とさせる鈴蘭の花の形に似た硝子シェードのシャンデリアが、天井の中央に下げられている。

 その真下には飴色のローテーブルとゆったりとした三人掛けのソファセットが向き合って並んでおり、火の入っていない煉瓦製の暖炉には灰ひとつない。

 調度品は瀟洒しょうしゃながら重厚感のあるものばかりで、どれもアンティークの雰囲気を醸していた。


(高級品なのかも。お掃除の時に間違って、壊さないようにしなくちゃ。もしかしたら神域では埃も塵も積もらないのかもしれないけれど、日菜子様の使用人として長い時間を生きてきた私ができることと言ったら、家事か毒味くらいしかないから)


 神域に存在させてもらえる間は、恩返しも兼ねて一生懸命働くつもりだ。

 鈴の胸ほどの高さまである飾り棚には、紫翡翠製の置き時計があった。秒針の音がしている。時刻は十七時三十二分。


(この時計、動いているみたいだけど……本物?)


 黄昏時の空の色合いから想像すると、時計の針が示す時刻は妥当に思える。

 けれども神域に朝昼晩という時間概念が存在しているのかは不明だ。今が本当に『巫女選定の儀』と同日の夕方かどうかもわからない。

 しかしどうしてだか、それを聞くのをはばかられてしまう。


(時間を青龍様に問うのは……なんとなく、彼の心を傷つけてしまうみたいな気がする)


 ただの予感に過ぎない。だけれども、自分をこんなに親切に、丁寧に、ひとりの人間として扱ってくれる彼を悲しませて失望させたくないというのが、鈴の心を占めた。

 彼は鈴をソファの真ん中へとエスコートして座らせると、その向かい側に着席する。


(こ、こんなに立派なソファに座ったのは生まれて初めて。まるでお客様みたい)


 名家出身ではあるが、春宮家でも百花女学院でも使用人としての存在価値しか認められていなかった鈴が、こんな風にソファに座れる機会などあるはずもなく。

 鈴にとってのソファは、座るものではなく磨き上げるものだった。

 色々な緊張が混じりあう中、鈴は胸に手を当てて「すうっ」と深呼吸をしてから、そろそろと視線を動かす。

 モダンなステンドグラスが装飾されている大きな窓には、坪庭の緑が映っている。

 縁側を囲うようにして施されている異国情緒な朱色の欄干とのコントラストが華やかだ。

 ここは現世ではない、とよりいっそう強調されているような建物の趣は、鈴が生まれ育った春宮家の豪邸とも違っていて、祖父や父や継母、そして日菜子の叱咤の声を思い出さないのがいいなと感じた。


 そんな現実逃避をしていると、いつのまにやら紅茶の良い香りが漂ってくる。

 ふと視線をその香りのもとへと向けると、なにも無かったはずのローテーブルの上に、ケーキが乗ったお皿とティーセットが忽然と現れていた。


「あ、あれ? いったいどこから……?」


 青龍様は疑問符でいっぱいの鈴に小さく微笑むと、「砂糖はいくつ?」と問いながらシュガーポットの蓋を開く。

 彼がシュガートングで掴んだのは、彼の瞳のような美しい色合いの金平糖だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る