第5話 氷の貴公子と穢れた堕ち神

 剥き出しの黒い岩が並ぶ壇上に建てられた荘厳な鳥居の向こう側に、立つ者はいない。

 立ち並ぶいくつもの鳥居の奥には室内にも関わらず立派な滝があり、その周囲には岩肌が壁のように広がっている。ざあぁと清水が滝つぼへと落ち、今はまだ透明な水面が揺れる泉に流れ込んでいた。


 鳥居からはまるで参道のようにして、まっすぐに御影石の敷き詰められた石畳が伸びている。

 その左右の一列目には、胸を張って微笑みを浮かべる日菜子や、霊力の高い巫女見習いの生徒が並び、その時を待っていた。


「先ほど夏宮生徒会長は自主退学されたそうよ」

「日菜子様を呪わなければ、あの方も選ばれたかもしれないのに」

「きっとライバルを蹴落としたかったんだわ。三年生だもの、これを逃したらもう神々に会う機会もないでしょうから」

「そう言えば、社交の席で眷属のご令嬢たちに凄く人気が高い氷の貴公子様も、今回の儀式にご参加なさるそうよ」

「まあ! でも氷の貴公子様は冷酷無慈悲で人嫌いというお噂だけれど……」

「きっとご自分の巫女だけは特別なはずだわ。あれだけの人気ですもの、いったいどのような方なのかしら!」

「それよりも噂を聞いた? ――今日は堕ち神様もいらっしゃるんですって」

「お、堕ち神様も? 怖いわ……。その方だけには選ばれたくないわね、穢れそう」


 使用人でしかない鈴はできるだけ気配を消して、末席に並んで噂話に興じる巫女見習いの生徒たち、そして使用人たちの人垣の後ろに静かに並ぶ。

 良家の子女は神世と現世の境で催されるパーティーに出席する機会もある。日菜子も祖父や両親と一緒によく出かけていた。その時に数人の巫女見習いが見聞きした噂話が、末席のここまで広がってきているのだろう。

 でなければ、神域でもある神世に住まう神々の情報を、一般家庭出身の巫女見習いたちが知るよしもない。


 未成年の神々の情報はすべて秘匿されている。成人した神々は顔見せなどがあるが、稀にいる芸能活動をしている類の神様でなければ、学生のうちに現世へ情報が漏れることはない。

 まあ、人の口に戸は立てられないので、まことしやかに囁かれることは多々あるようだが。


「堕ち神様は、生贄の血を吸うんですって。それで神としてのお力を取り戻すそうよ」

「そのお話、準巫女をしていたお祖母様から聞いたことあるわ。生贄はそのまま亡くなったって」

(もしも日菜子様が堕ち神様に選ばれたら、きっと、私が生贄にされて……――日菜子様はお力を取り戻した神様と幸せに暮らすんだろうな)


 鈴はなんとなくそう思って、諦めに似た気持ちですっと目を閉じる。

 霊力が最も強い日菜子が、最も霊力を欲しているだろう堕ち神に選ばれないわけがない。

 堕ち神を穢れから浄化した日菜子は、きっと神々に祝福された陽向ひなたの道を行く。

 その時、鈴は、この世にいないだろう。


(どれだけ生きていたくても、私の命を握っているのは結局いつだって春宮家だから)

「――静粛に」


 しわがれていても厳しさに満ちた学院長の声が響く。

 巫女装束に身を包んでいる九十五歳を超えた老齢の女性が、壇上と生徒たちが並ぶ上座との間に立った。


「本日、二十年ぶりに行われる神聖な儀式を、心待ちにしていた〈巫女見習い〉たちが多くいることでしょう。一年生、二年生、三年生と学年を問わず、神様に選ばれた者だけが、本日から〈神巫女〉としての一歩を踏み出します」


 学院長の挨拶が終わると、生徒たちから静かな拍手が送られた。

 その拍手が終わると、ますます緊張の糸がぴんと張りつめられ、講堂に満ちる空気がガラリと変わる。

 すると、待っていましたとばかりに日菜子が一歩進み出た。


御神楽舞みかぐらまい、奉納!」


 日菜子の声を合図に、神楽殿には緋色の長袴ながばかま白衣はくえ千早ちはやと呼ばれる特別な衣装を身にまとった四人の巫女見習いたちが次々に上がっていく。

 彼女たちは今日のために行われた『巫女神楽』の実技試験において、優秀な成績を収めた巫女見習いだ。

 十二の神々が生き神様として降り立った頃より受け継がれている演目は、伝統的で特別な乙女舞である『百花の舞』。


 額には天冠てんかんをかぶり、各々が神楽鈴を手に優美に舞いながら、これから神々をお呼びする神聖な場を清めていく。

 龍笛りゅうてき和琴わごん鳳笙ほうしょうによる優雅な調べを演奏するのは、雅楽部に所属する巫女見習いたち。

 その奉納は実に数分間に渡った。

 シャラシャラシャラと神楽鈴が幾重にも重なるようにして鳴り響いたのを最後に、御神楽舞の終焉が告げられる。


 いよいよ全校生徒たちの視線が、今もっとも〈神巫女〉に近い存在となった日菜子のもとへと集まった。

 日菜子はいかにも『本日の主役は私よ!』と言わんばかりの我が物顔で拝礼して見せてから、柏手を打ち鳴らす。


「〝神世におわす十二の神々、御照覧ごしょうらんましませ!〟」


 本来ならば夏宮生徒会長が務めていた祝詞の一言目。

 それを唱えられた日菜子は、高揚感でいっぱいだった。

 日菜子に続くようにして、巫女見習いたちが皆タイミングを揃えて、丁寧に頭を下げて拝礼をし柏手を打つ。

 そして毎朝お祈りの際に唱えているのと同じ祝詞を奏上するため、すうっと息を吸った。


「〝ご照覧ましませ! 十二の神々を尊み敬いて、まことのむね一筋に御仕え申す。四季幸いを成就なさしめ給えと、かしこみ恐みもうす!〟」


 日菜子や幾人もの少女たちの声が重なり、講堂に溶ける。

 その祝詞に呼応するかのように、シャン、シャン……と、どこからともなく神楽鈴の音が響き始めた。

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