第6話 異母妹、日菜子のプライド

 鳥居の向こうにある滝には、日光が当たっているわけでもないのに煌めきを帯びている。

 滝つぼに落ちる間際に水面に集まった光が蕾の形になり、滝つぼに流れ落ちながら次々に大輪の花を咲かせていく。数多の花々が咲き誇る様子は、まさに百花繚乱という言葉が相応しい。

 これが百花女学院の校名の由来である。


 巫女見習いたちの霊力はこの清らかで穢れのない滝によって、ひとりひとり、色や形、大きさ、種類が異なる様々な花の形をとる。

 泉の水面に浮かんでいる、一際大きくて目立っている赤い牡丹の花が、日菜子の霊力の象徴だ。


(綺麗……)


 祝詞とともにこの滝に集まり花の形をとった霊力は、霊力の欠片もない無能な鈴にも見えている。きっと一般人もここに来る機会があれば、この幻想的な『百花の滝』の壮麗さに感動することだろう。

 この『百花の滝』で花々の姿をとった巫女見習いたちの霊力は、神城学園にある『百花の泉』にも、同じように届いているという。

 神々はその泉に咲いた花の霊力を時に手に取り、時に感じながら、自らの巫女を決めるのだそうだ。


 つまり、今から現世のこの場へやってくる神々は、すでに心を決めているかもしれないということで――。

 巫女見習いたちは祈るようにして、自分の霊力を注ぎ続ける。

 シャン、シャン、シャン――!

 神楽鈴が一際大きく鳴り響いた、その時。


 まばゆい光が立ち込めたかと思うと、鳥居から逆光に照らされた数人の人影が歩み出てきた。

 青年だろうか。その人影たちがいくつもの鳥居をくぐりこちら側に近づいてくるにつれて、この世のものとは思えぬ美貌を持つ彼らの姿があらわになる。

 その瞬間、講堂内にいた巫女見習いや使用人の少女たち全員が息を呑んだ。


(なんて、綺麗な方々たち……)


 末席の人垣の後方にいた鈴には、神々の姿は遥か遠くに見える程度であったが、この世のものとは思えぬ美貌を持つ彼らの存在感に圧倒されてしまう。

 一瞬だけでも神々の姿を目にできたことは、鈴の人生の中でもっとも幸福な時間と言えた。

 鈴がその幸福を噛みしめている時も『巫女選定の儀』は進み、軍服のような詰襟の制服を着た青年たちは鳥居が立ち並ぶ石畳の上を進みながら、巫女見習いたちが待つ場所へと降りてくる。


 その中でも、巫女見習いの少女たちの目をひときわ惹きつけたのは、先頭を歩いていた美青年だ。

 それはまさに、恐ろしいほどに美しい男だった。

 暗闇のような漆黒の髪に、凍てつく氷のように冴え冴えと輝く青い瞳。

 長い睫毛に縁取られた切れ長の二重瞼の目元は鋭く、すっと通った鼻筋と形の良い薄い唇と合わせて、冷酷な印象を感じざるをえない。


 他の神々とは違い彼だけが上質な黒革の手袋をつけているのも、周囲の存在を拒絶しているようで近寄りがたい雰囲気をかもし出している。

 身長は百八十センチを超えているだろうか。細身だけれど、腰の辺りはほどよく引き締まっており、制服の上からでも筋肉の均整が取れていることがわかる。

 どこか威圧的ながらも、老若男女を惑わせる色気を放つ容姿は、誰よりも神々しい。


 彼こそが、冷酷無慈悲と名高い〝氷の貴公子〟なのだろう。

 まるで最高傑作と呼ばれる彫像のごとく完璧な美しさを携え、堂々と歩みを進めている彼に、全ての巫女見習いたちは心を奪われていた。


『この方の巫女になりたい』

『たったひとりの巫女としてこの方をお支えし、君こそ特別な存在だと、大切にされたい』

『それだけじゃ足りないわ。私はこの方に最愛の番として娶られて、世界中の誰よりも幸せになりたい!』


 日菜子を筆頭とした巫女見習いたちの心は、そんな想いで溢れかえっていた。

 そして、誰もが見惚れるその男が、日菜子の前までやって来た時。


「あ、あなた様の巫女! 春宮日菜子でございます!」


 勝ち誇った様子で微笑みを浮かべた日菜子が、美しい神へと手を差し出した。

 ――が、彼はその名乗りを無表情で無視して、何事もなかったかのように通り過ぎる。


「……なっ、なによ……っ!」


 悔しさと羞恥心で顔を真っ赤にした日菜子は、そう小さく呟いてから、奥歯を噛み締める。

今まで、人生で一度だって誰からも傷つけられた経験のない日菜子のプライドに、ひびが入ったみたいな気持ちだった。

 引っ込める手が、怒りとも悲しみともつかぬ感情で小刻みに震える。


 日菜子を無視したこのおとこを、どうしても諦めきれない。――そう、どうしても。

 去りゆく背中に視線を向けたまま、日菜子はギリギリと奥歯を噛みしめる。


 その間も、彼は他の優秀な巫女見習いの前を通り過ぎ、普通の成績を収める程度の巫女見習いたちが並ぶ場所も過ぎ去って行く。

 誰もが息をひそめる中、美しすぎる彼が石畳を歩く革靴の音だけが響いていた。

 鈴はこの美しい神様に不敬を働きたくない思いでさっと頭を下げ、その姿を目に入れないようにする。


(まさかこんなに末席にまで神様が近づいてくるなんて……っ。私の存在を目にしただけで、神様の神気を穢す毒になったら大変)


 巫女見習いの使用人という、本来ならば神の目に触れるべきではない立場もそうだが、鈴は今朝は呪詛を受けたばかり。鈴がそう考えるのも当然だ。

 教師陣から儀式への立ち入りを禁止されたわけではないので、大きな問題はないのかもしれない。

 だが時に、認識すること・・・・・・は呪詛や怪異を目覚めさせる力を持つ。


(念には念を入れておかなくちゃ)


 の美しい神様の視界に映らないようにする。それは、霊力もなく巫女見習いでもない鈴が、神様を敬う気持ちだけでできる唯一の行動であった。


 けれどもここで、誰もが予想していなかった出来事が起こる。


 彼はうつむいていた鈴の姿を目にした途端、冷たい色を宿して現世を写していた鋭い双眸をかすかに見開き、そして――そして今までずっと無表情だった美貌に、ふっと甘い微笑みを浮かべたのだ。

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