第2話 身代わり
(……文明が発達しているこの現代日本で、本当の意味での毒物を盛る生徒なんて、いるはずもないのに)
そんなことがあったら、すぐに警察沙汰だろう。百花女学院が警察に通報してくれれば、だが。
そうでなくても、毒物を回避したいのなら、銀製の食器を毒味役の使用人に使わせる。
過去に巫女を多く輩出してきた春宮家の令嬢ともなれば、当然の知識だ。
しかし日菜子は銀食器を使用せず、粗末な木製の食器をあえて鈴に使わせている。
【銀は毒を退け、五彩は呪詛を祓う。木椀に罪偽り無し。】
それは皮肉にも、神々に仕える者たちの間で昔から言い伝えられている言葉に則ったものだった。
言葉の本来の意味は、『銀製の器は毒があれば変色する。五彩の磁器は呪詛があればひび割れる。木製の器にはどちらの効果もないが、それを差し出す者にもともと悪意はない』というものだ。
だが、霊力を操る巫女見習いを育成する百花女学院で、言葉の意味をそのまま信じる者はいないだろう。
清らかな霊力は時に、呪詛をかけるために使われる。
(……どんなに呪詛が盛られていようと、変色したり割れたりしない木製の器では、結局なにもわからない)
つまりは、
どんな毒や呪詛が含まれていようと、それで異母姉の鈴が苦しもうと、日菜子にとってはどうだっていい。
木製の器を差し出す日菜子自身に悪意はなく、ただ過去に大罪を犯した無能な名無しに仕事を与えている心の広い主人――というのが、日菜子が作り出す他の生徒への印象だった。
(……日菜子様よりも先に春宮家に生まれてきたことが私の犯した大罪だというのなら、せめて、どこか遠くへ捨ててくれたらよかったのに)
鈴の母は『神嫁になるのでは』と名前が挙がるほどの女性だったらしいが、春宮家との政略結婚が決まり、輿入れして鈴を産んで程なくして亡くなった。
父は母への情の欠片もなかったのか、その数日後には愛人だった継母と結婚。
すでに身ごもっていた継母は、鈴の母と数ヶ月違いで日菜子を出産した。
鈴の最も古い記憶は、三歳の頃。祖父と父と継母に囲まれ、真名を剥奪されたあの儀式の時だ。
『春宮鈴――。今よりお前の魂に刻まれし真名を剥奪する。これより先は〝名無し〟として、日菜子のために生きるのだ』
『恨むなよ、名無し。こうなったのも、日菜子より先に生まれてきたお前のせいだ』
『ああ、あなた! これでわたくしの可愛い日菜子が、春宮の名を背負う巫女になれるのですね……!』
背中にはその時の術式が今も大きく刻まれている。
それ以来、鈴は『霊力の欠片もない、無能な名無し』と春宮家で虐げられ続けてきた。
剥奪された真名は、十数年経過した今も誰かに握られている。それが祖父か、父か、はたまた日菜子なのか。鈴にはなにもわからない。
真名を握られるのは魂を掴まれているのと同じことになる。
鈴の預かり知らぬところでなにをされるか、想像するだけで恐ろしい。
かと言って、結界の張り巡らされた春宮家の敷地からは家出もできない。
ただひたすら、異母妹に、家族とも呼べぬ家族に
(日菜子様のお皿だけでなく毒味用のお皿にも、黒い
霊力の無い無能な鈴に、呪詛を祓うことなどできない。
そのため今日も鈴は、『日菜子様、こちらのお食事には――』と、すでに朝食に呪詛が含まれていることを伝えようとしたのだが、『また呪詛が見えるだなんて嘘をつく気!?』と、日菜子の機嫌を損ねるだけで終わってしまった。
『違います、本当のことです……っ。このお食事はとても危険で……!』
勇気を振り絞ってそう言い募ったところ、頬に平手打ちをされてしまった。
日菜子の口ぶりからするに、この黒い靄は鈴以外には見えていないのかもしれない。
(……呪詛を受けすぎた代償のようなものなのかな)
そうだとしても、カフェテリアのシェフは百花女学院卒業生だけで構成されているし、配膳係も百花女学院に通っている生徒たちによる学内アルバイトだ。どこかで誰かが異状に気がついていてもおかしくない。
だがいつだって、呪詛がかけられた食事は日菜子の元へ届けられる。
誰よりも潤沢な霊力を持っていると評価されている優秀な日菜子であれば簡単に祓えそうなものだが、彼女は十数年前に『霊力を無駄に使いたくないわ』と言い放って以来、ずっとその行為を嫌がっている。
というのも、仕込まれた呪詛を払って術者を炙り出す一番簡単で便利な方法が……鈴が日菜子の身代わりとなって、このまま呪いを受けることだからだ。
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