第1章 巫女選定の儀
第1話 無能な名無し
百花女学院高等学校のカフェテリアには、朝から優雅な雅楽の音色が響き渡り、寮生活を送っている生徒たちを出迎えている。
古風な刺繍が施されたアイボリーのセーラー服を身にまとった少女たちは思い思いに席に着いて、カフェテリアで提供されている美味しい朝食を楽しみながら、「今日の『巫女選定の儀』で神様に選ばれたらどうしよう!」と頬を染めつつ、興奮気味にお喋りに花を咲かせていた。
そんな中。日当たりの良い窓際の特別席から、賑わいに水を差すバチンッと頬を叩くような音が響いたかと思うと、少女の甲高い金切り声がヒステリックに叫び出す。
「無能な名無しのくせに、神々に仕える私の命が脅かされたっていいっていうの!?」
頬を力の限り
「……申し訳ありません、
ここ、百花女学院には霊力が発現した〝巫女〟の適正を持つ六歳から十八歳の少女たちが日本各地から集められ、扱い方や伸ばし方、神々への仕え方や礼儀作法までを学んでいる。
その百花女学院高等部内で『現在最も将来有望な生徒』ともてはやされているのが、鈴の異母妹の日菜子だ。
日菜子はたいそう機嫌を損ねた様子で、椅子の肘掛けに頬杖をつく。
もしふたりが一般的な女子高校生であったならば、日菜子は鈴にとって同じ十六歳の姉妹でしかないかもしれないが、ここでは〝巫女見習い〟と〝使用人〟。
鈴は巫女見習いでもなく、
明治時代に開校され創立百五十年を超える巫女養成機関では、創立以来、同年代の使用人が巫女見習いに付き添い学院に通うのは当然で、巫女見習いである主人の着付けや授業の準備、衣服の洗濯、寮や教室の掃除などを日々担う。
巫女見習いが研鑽に励めるよう、側仕えとして全力で陰ながらサポートするのが務めだ。
いくら同じ
その上、日菜子は艶めく栗色の巻き髪が自慢の、豊満な肉体を持つ華やかな美人。
対して鈴はといえば、パサついた艶のない灰色の髪に、青白い肌、触れたらぽきりと折れそうな儚い身体しか持ち合わせていない。
姉妹の格差は、誰から見ても歴然としていた。
しかも鈴は、幼い頃から春宮家当主によって真名を剥奪されて育った〝名無し〟である。
真名を剥奪されるなど、あり得ないことだ。
明治時代から百五十年以上変わらず閉鎖的な女学院内で、『相当な大罪を犯したに違いない』と人々に揶揄される鈴の存在価値は、ただの使用人よりももっと低い。
「見て。またあの名無しの使用人が、日菜子様のご機嫌をそこねてるわ」
「過去におぞましい罪を犯した罰が日菜子様の使用人になることなら、逆に天国よね」
「本当よ。あの美しくて気高い日菜子様のお側にいられるんだから」
「もしもわたくしが使用人でしたら、あんなヘマはしませんのに。日菜子様がかわいそうですわ」
「ええ、まったく。名無しを使用人に迎えた日菜子様は、本当に懐が深くていらっしゃいます」
今この時も、カフェテリアにいる巫女見習いたちだけでなく他家の使用人たちでさえもが、鈴の行動をクスクスとあざ笑っている。
この業界で強い権力を誇る春宮家の優秀な令嬢と、衣食住を約束され学校にも通わせてもらえている幸運な使用人のやりとりに、口を挟むような教師はいない。
名家ともなれば女学院への寄付金額も莫大なものになる。
時代錯誤な校風や使用人の存在に対して疑念を感じる心のある教師たちがいたとしても、平穏に人生を終えるために、そして自分自身の家族を守るために、誰もが見て見ぬ振りをするしかなかった。
「毒味はあなたに任された大役なの。さあ、名無し。特別な食事なのだから、味わって食べるのよ?」
好奇の目に晒され、クスクスと嫌な笑い声が聞こえる中――表情を無くした鈴はうつむいたまま、まるで家畜に与える餌のように床に放置された木製の粗末なお皿にそっと視線を向ける。
日菜子のテーブルに配置された銀のトレーに載せられているのは、さながら高級フランス料理店の食事だ。
前菜は、色鮮やかなエディブルフラワーと季節の葉野菜で彩られた、サーモンとホタテのマリネ。ドレッシングとしてジュレとバジルソースが絵画のように添えられている。オマール海老を贅沢に使った濃厚なビスクには湯気が立ちのぼり、黄金に輝くとろとろのオムレツからはトリュフの芳醇な香りが漂う。メインは、宝石のように輝く真っ赤な苺とブルーベリーが上品に飾られたふわふわなパンケーキだ。
これは各学年の主席の生徒にカフェテリアが提供しているもので、他の巫女見習いよりも何十倍も豪華な朝食である。一般高校と同じく三年生が最高学年なので、他にふたりの生徒が同じメニューを食べていることになる。
朝食だけでなく、昼食、夕食も学年主席である日菜子には豪華なものが提供されていた。
キラキラとした食事は他の生徒たちから羨望の的で、それだけで日菜子が特別視される存在だとわかる。
しかし、鈴の朝食はといえば。
毒味という名目で、すべてのメニューからひと口ずつを、日菜子の手によってごちゃごちゃにかき混ぜて盛られたものだけ。
どんなに努力して命令を誠心誠意こなしていても、わがままでヒステリックな日菜子の命令が尽きることはない。それをすべてこなしていたら、いざ使用人用の食堂へ赴いた時には、全員に等しく提供されているはずのサンドイッチやお弁当にはまずありつけないからだ。
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