第31話 裏切り者

 便利で効果的な術式があれば、と誰もが一度は夢に見る。

 しかし現実はそう甘くなく、理想の効果を得られるような術式を組み立てるのは難しい。

 専門的な知識が多く必要となり、術式を試すにはそれなりの代価が必要となるからだ。


 術式を記した符を介して発生する代価が霊力なのか、臓器なのか、寿命なのか、それとも他のなにかなのかは試さなければわからない。

 百花女学院の教科書に記されている術式の中でも、たとえ読み解けはしても使役できない術式は多くある。


 しかもいくら代価を投じて術式を試したところで、理想的な効果が発現しなければまた最初からやり直しだ。

 なんども術式を書き換え、効果を確認しながらあらゆる組み替えを行い、ようやく永年発動し続ける術式が完成する。

 新しい術式の開発とはそれほどに途方もない作業だった。


 授受反転の術式の一部には、他家に盗まれぬよう苧環家の血筋の者だけが使用できる紋も組み込まれている。他家の者がこの紋を抜いたところで、一切正しく使役できず、予期せぬ代償を背負うことになるだろう。

 つまり授受反転の秘術とは、完成までの四百年間に多くの人間が代償を背負い命を賭した……いわば苧環家の執念と血にまみれた術式なのである。


「そしてこの授受反転と、真名剥奪、そして呪詛破りを同時に使役するとどうなるか……。神々にも想像がつかぬだろうな」


 昭正は神々を卑下するかのような笑みを浮かべる。






 苧環家は、〈始祖の神々〉から春宮の名を頂戴した名家に産まれた次男が当主となり、春宮家の傍流として誕生した。

 当時、苧環家が担っていた役割は、春宮家の者たちがまとう着物の材料になる糸を霊力を流しながら紡ぎあざない、反物を織るというもの。それ自体が繊細な技術が必要とされる神聖な仕事だった。


 神々に仕える春宮家をさらに支えている苧環家は、縁の下の力持ちとして栄えることになる。

 春宮家が末長く安泰ならば、苧環家にもその恩恵が降る。春宮家から神嫁が選ばれ、その花嫁衣装となる反物を紡ぎ糾い織る時には、一族の誰もが心から祝福していた。


 しかし、ある時。男児しか産まれなかった苧環家に初めて娘が産まれた。

 武家ならば男児ばかりが産まれることは喜ばしいことかもしれないが、神々は巫女を選ぶ。

 娘が産まれて初めて、苧環家は欲を抱いた。――我が一族も、神々に選ばれる巫女を輩出したい。と。


 その三年後。春宮家にも待望の娘が産まれていた。

 元気な産声を高らかに上げた、健康そのものの玉のような赤子だった。けれども、産衣うぶぎぬを着せた途端に苦しみ出し、手の施しようがないほどの速さで命を落としてしまう。

 それは苧環家が贈った反物から作られた産衣が、ひどく穢れていたせいだった。


 戦乱の世、出産は命がけの大仕事だ。

 春宮家の女中が混乱しているさなかに届けられた特別な産衣が、まさか霊力が少なく若い女中をわざわざ選んで届けられたものだとは誰もが想像していなかった。

 それどころか、春宮家を支える苧環家が謀反を起こすなど。


 責任を感じた女中は井戸に身を投げ、春宮家は騒然となった。

 即座に春宮家当主が動き、『今後一切、苧環家を春宮家の分家とは認めない』として、苧環家に対し追放を言い渡したその同時刻。

 産衣の穢れが赤子を呪い殺したことで呪詛が結ばれた代償として、苧環家では多くの死人が出ていた。


 けれども。多くの死人が出た上に『追放』まで言い渡されたにも関わらず、苧環家当主は歓喜に震えていた。

 三歳になった苧環家の娘に、春宮家を彷彿とさせる霊力が目覚めていたのだ。


 その娘は数年後には見事〈準巫女〉となり、神々に選ばれし側室として神嫁の座を射止めるほどに成長する。

 春宮家の傍流から追放されてからというもの没落の一途を辿っていた苧環家は、彼女の存在を機に、次第に息を吹き返していく。

 それに対し、呪詛という穢れに触れた春宮家は、その代において霊力を持つ娘が産まれなくなっていた。


 おかげで苧環家の神世での地位は、以前の没落を微塵も感じさせぬどころか、四季を冠する一族に準ずるほどだと期待の眼差しを向けられることになる。

 禍福は糾える縄の如し。

 その成功こそが、苧環家をさらなる呪術の深みに傾倒させるきっかけとなった。


 しかし。側室として神嫁の座を射止めたはずの娘の霊力は、たったの数年で尽きることとなる。

 神の唯一とされる番様でも、ましてや〈神巫女〉でもなかった娘は、神との間に子をもうけていなかったため簡単に離縁されてしまう。

 霊力のない巫女は、巫女にあらず。

 ただの人の子になった側室を神世に置いておくほど、神々とその眷属は優しくはないのだ。


 苧環家の者たちは怒りに震えた。

 また我が一族は没落の一途を辿るのか、と。

 許さない。

 いつの日か、神々も春宮も跪かせるような偉大な巫女を、苧環家から輩出してみせる。

 そう誓いながら。


 そうしてさらなる栄華の道を目指し、当主を筆頭とした一族総出で呪術や怪異に関する研究を始める。

 より強い霊力、より偉大な巫女を求めて血族結婚を繰り返す中で、その血はもっと濃くなり、霊力はより歪さを帯びて雑音を増していく。

 それでも時折、優れた〈準巫女〉を輩出しては神々に仕えさせるのに成功した。

 いくら事実上は追放されていようとも、やはり苧環家は春宮家の傍流として、下位ではあれどよく似た霊力を確かに継承していたのだ。

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