第30話 日菜子が欲しがる権利
(それなのに……ッ)
これ以上ないほどの激昂で日菜子は顔を赤くする。
屈辱を味わった最悪な一日を終え、これ以上にないほど機嫌をそこねた日菜子は、今後のことを春宮家当主である祖父に相談するために、授業を休んで実家へ一度帰ることにした。
邸内で祖父と父の次に広い日菜子の部屋は、祖父や両親からの贈り物である上等な着物やドレス、それから高級な宝飾品であふれている。
いつもはそれを眺め、名乗る真名すら持っていない異母姉との格差を自慢に思いながら悦に浸ったりするのだが、今日はそんな気分には到底なれなかった。
そんなものよりも、欲しいものが見つかったせいだ。
それはあの――日菜子を手酷く振った神の巫女の座。
名無しに奪われたその座に就く権利を、早く返してもらわなくてはいけない。
「……青龍様が『百花の泉』で見つけた霊力は確かに私のもの。それは間違いないわ」
〈神巫女〉になるための資格は、神をお支えし癒すための霊力を持っていること。
無能な異母姉は、言わば空っぽの器。霊力が欠片もない状態なのだから、異母姉は〈神巫女〉に選ばれるに値するものをなにひとつ持っていない。
もしも稀にいる霊力のない番様だったとしても、〈神巫女〉ではないのは明白だ。
「失礼いたします。日菜子お嬢様、旦那様がお呼びでございます」
日菜子は「すぐ行くわ」と返事をすると、烈火のごとき怒りと嫉妬心に駆られた美人を映し出していた鏡に背を向け、険しい表情で歩きだした。
春宮家当主、春宮
「お祖父様! それで、調べはつきましたの?」
日菜子は着ていた着物の裾をさばき、座布団の上に行儀よく正座をすると不満げな様子も隠さずに早口で言う。
「そう急くでない。どうやら青龍様は神世に帰ってはおらんそうだ。名無しも、神世に足を踏み入れた形跡がない」
「じゃあいったい、どこへ行ったと言うのですか!?」
悲鳴じみた声を出し、日菜子は異母姉に対する怒りを祖父にぶつけた。
文机で紙に筆を滑らせていた昭正は、その手を一度止めて筆を置き、愛孫と視線を合わせる。
「この世ではない場所だ。神世でも現世でも狭間でもない異界……――神域だろうな」
「し、神域ですって……!?」
日菜子は驚愕で顔を青ざめさせる。
「名無しは……神域に、連れ去られたの? それじゃあ、私は? 私の霊力はどうなるっていうの……!?」
最悪な『巫女選定の儀』から丸一日が経過したが、一向に霊力が安定しないのは名無しが日菜子の近くにいないからだと思っていた。
けれども、名無しが神域にいるとなると話が変わってくる。
「神域なんて、時間軸も座標もでたらめな場所にいられたら、霊力を搾取する術式が働かなくなるわ……ッ」
巫女見習いとしてたくさん学んできたが、名門校である百花女学院でも学べない
それは神々が生き神となった昔から永久不変の、絶対的な法則。
そのひとつが、神々が〝神隠し〟をした対象の三位一体を神域の主が所有できるという箱庭の強制力だ。
これを知る人の子は、始祖の神々に選ばれた名家でも代々当主とされる者のみ。
日菜子は次期当主を支える巫女候補の娘として、現当主である祖父から学び、異母姉に下された罰を正しく理解してきた。
「それに、もし真名が名無しに奪い返されたら……ッ」
「狼狽えなくてもよい。真名を剥奪した時、すでに策を講じておる」
昭正は厳重に封咒を施していた木箱から、一枚の紙を取り出す。
「これは?」
「十年以上前、霊力が目覚めたばかりだったあやつの背中に刻んだ術式の写しだ」
「真名剥奪の術式と、霊力搾取の術式、それから呪詛破りの術式を組み合わせているというのは、以前聞いたお話から知っています」
「よく確かめてみなさい」
日菜子は祖父から異母姉に刻まれている術式の写しを受け取ると、真剣な表情で文字を追う。
「……なによこれ。こんな複雑な術式、巫女見習いの私には読み解けるわけもありませんわ。読み解くにしたって、文献集めから始めて何年かかることやら! お祖父様、もったいぶらずに教えてくださる?」
「我が孫ながらせっかちなものだ。……日菜子、これは術者と被術者を反転するための術式だ」
「そ……っ、そんな、嘘でしょう……? 術者と被術者を反転、ですって……!?」
日菜子はそのありえない術式を網膜に焼き付けるほど見つめた。
「この授受反転の術式をあらかじめ用いることで、術者となる我らはその呪詛を結ぶ際に必要となる代価の影響を一切受けなくなる。過去、春宮家から追放された
「こんな、こんな便利なものがこの世に存在していたなんて……! ああ、お祖父様、すごいわ……っ!!」
日菜子は感嘆のため息をつく。
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