第50話 春宮家との会合

 その後。【応龍の間】と彫られた上品な大理石のプレートが壁に掲げられているお座敷へと到着すると、広い畳張りの室内の中央に、いかにも重厚そうな座敷机が鎮座していた。

 座敷机を挟み、上座と下座に分けて設置されている木製の背もたれがついた座椅子は五つ。

 竜胆がこの会合に招いたのは、春宮家の当主と鈴の父親、そして継母だった。


 座敷に入ると同時に、鈴は道中顔を隠していた市女笠を脱ぐ。

 竜胆は上座の隣にあたる位置に鈴をエスコートして座らせると、無言で神気を操り様々な結界を張り始めた。

 眷属たちも霊力を使いながら祝詞を唱えて、何重にも場を清めていく。

 それを終えると彼らは着席した竜胆と鈴の背後に控え、なにかあった時のためにすぐにでも動けるようにしていた。


 そうして会合の予定時刻の五分前となった頃。


「おお、青龍様。これはこれは、お待たせしてしまいましたかな?」


 仲居に案内されてきた春宮家の老齢なる当主――春宮昭正が、応龍の間を訪れた。


「……いいや。定刻通りだ。座られよ」


 竜胆は春宮家の当主を一瞥もせずに、無感情な冷たい声音で告げる。


「ではではお言葉に甘えまして、御前失礼いたします」

「『婚約の儀』まで時間もあまりないからな。長々とした挨拶はいらない」

「四季幸いをもたらされし尊き神からか弱き人の子へのご配慮、感謝いたします」


 昭正の言葉や態度は謙っている様子ではあるが、齢十八の学生の身である神をどこか嘗めている節が見て取れた。

 昭正の隣に成正と華菜子が正座する。

 彼らはどこか畏怖の念を抱き、ひどく緊張した面持ちでいた。


 久しぶりに祖父や父、継母と対面した鈴は、視線を上げられずに目を伏せる。

 春宮家にいた頃は、常に彼らに怯えて暮らしていた。

 もう怯えなくてもいいとわかってはいても、十六年間で染み付いた恐怖はそう簡単に消えはしない。

 いくら竜胆のおまじないを思い出しても、竜胆への甘いドキドキよりも、祖父たちへの恐怖感からくるドキドキの方が勝っていた。


(……でも、ここで、私が変わらないと、ダメだ。じゃないと、竜胆様がせっかくこの会合や『婚約の儀』の場を整えてくれた意味がなくなっちゃう)


 鈴は正座していた膝の上できゅっと両の手を握りしめる。


(竜胆様に選んでいただいた番様として、私も、しっかりと前を向きたい)


 伏せていた双眸を、鈴はゆっくりと上げる。


〈始祖の青龍〉の蔵面をつけた神の隣で小さくなっている鈴に対し、侮蔑を含んだ視線を投げながらこれからのことを考えていた昭正は、唐突に向けられた鈴の弱々しくも決意を秘めた視線に驚き、片眉を跳ね上げた。

 生意気な小娘が。

 自分は矮小な存在であるにも関わらず、龍の威を借るとは!

 ふつふつと苛立ちが募るが――春宮家当主として、神の御前ということは忘れてはいない。


「…………では、改めまして。こちらが、お約束しておりました名無しの真名を封じた呪符にございます」


 昭正は懐から木箱を取り出して座敷机に置き、その蓋を開けて呪符を見せた。

 呪符には【春宮鈴】と記され、その周囲を真名剥奪の術式が取り囲んでいる。

 一度は愛孫である日菜子に託した、春宮家の今後を左右する大事な呪符だ。これをまさか、このような形で名無しに返すことになるとは。


『呪符を名無しに返すですって!? お祖父様、正気なのですか!?』

『正気だ。日菜子よ、この取引は春宮家に有利に働く。もちろんお前にとってもだ』

『霊力がなくなってしまうのに、有利ですって? ありえないわッ!! これは私のものよっ! 一生、私のものなんだから……ッ!!!!』


 異母姉の真名を封じた呪符を持ち歩く事で、霊力搾取の術式の効果を実感している日菜子を説得するのにどれほど骨が折れたか。

 金切り声で叫ぶ日菜子の癇癪は、それはもう凄まじいものだった。

 しかし日菜子も今は納得し、これからの春宮家のために大人しくしている。

 昭正は今にも解き放ちたくなる本心を奥歯をギリギリと噛み締めながら、これでもかと言うほどに我慢に我慢を重ね、畳の目に両手をついて深く深く頭を下げた。


「〈青龍の番様〉におかれましては、これまでの非礼をお詫び申し上げる」

「………………」

「誠に、申し訳なかった」

「…………申し訳、ありませんでした」


 春宮家当主の謝罪の言葉のあとに、成正と華菜子も畳の目に両手をついて頭を深く下げた。

 竜胆は、その謝罪に対して睥睨するだけでなにも答えない。

 彼の短い嘆息とともに、周囲の温度が少し下がる。

 冷気が床から天井まで伸びる窓を白くし、初夏に似合わぬ霜が美しく張り巡らされていく。


(竜胆様……)


 氷晶の異能だ。この様子では神気が溢れ出しているのだろう。

 緊張感がこれでもかと張り詰めているのは理解できても、鈴にはどれほどの神気がこの空間を満たしているのか測ることはできない。

 しかし祖父が苦しげな呻き声を上げ、父が鈴の知る父とは思えないほど怯えたようにガタガタと身体を震えさせ、継母がブルブルと震えながら、この世のものではない恐ろしいものでも見たかのように「キャアッ!」と短い悲鳴を上げたことで、その威力を知ることとなった。


(今日だけでも何度も私を励まし、心を砕いてくれた竜胆様の優しさは、春宮家へは一ミリたりとも向けられていない。春宮家どころか、……どんな人の子にさえも、きっと)


 どれほどの謝罪をされようとも、竜胆には彼らを許す気などないのだ。

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