第40話 〈青龍の巫女〉たる霊力
「………………っ」
思わず息をすることも忘れてしまう。
竜胆は抱きしめていた身体を離し、瞳を揺らし動揺している鈴と、ゆっくりと視線を合わせる。
「忘れたとは言わせない。君は生贄ではなく、世界でたったひとりしかいない〈青龍の巫女〉としての力を持つ、俺の最愛の番様だ」
「で、でも……。私には霊力が、〈青龍の巫女〉たる霊力がありません……っ」
竜胆に選ばれたのは『彼の生贄としての役割が自分にあるからだ』と、そう信じていたから納得できていた立場も、『生贄ではない』と言われてしまえばすべてが揺らいでしまう。
(せっかく選んでもらったのに、彼の生贄としてこれから恩返しができると思ったのに、自分の血を使ってもらうこともできず、彼の穢れを少しでも癒せるような霊力もない)
それどころか、自分に長年刻まれていた穢れに触れさせ、神を冒涜しさえした。
そんな罰当たりな自分に、〈神巫女〉も番様も務まるわけがない。
(……私は、どうしてこんなに役立たずなんだろう……っ!)
自責の念に駆られて、感情がぐちゃぐちゃになる。
そんな鈴の悲痛な訴えに対し、竜胆は低い声で「それも違う」と諭すように口にする。
「〈始祖の神々〉が降り立って約四百年。この長い時間の中で、歴々の神々の番様には霊力のない方も存在した。君に霊力があろうとなかろうと、番様か否かにはまったく関係がない。ただ……――俺の本能が君を求めて飢えている。その事実こそが、君が俺の唯一無二であることの証だ」
それに、と竜胆は前置きをしてから、
「君の霊力は奪われているだけに過ぎない」
信じがたいことを口にした。
「……え…………?」
(わ……私の霊力が、奪われて、いる……?)
「君には生まれながらにして霊力が宿っている。春宮の傲慢な娘が持っている霊力が、君の本来有するはずだった〈青龍の巫女〉としての霊力だ」
その言葉の意味が、わからなかった。
鈴は物心がついた時からずっと、霊力とは無縁の人生を歩んできた。
それなのに、今さら霊力があると言われてもにわかには信じられない。
(呪詛がかかっているものに黒い靄が視えるのも、霊力によるものではなく、呪詛にかかり過ぎた代償だって知って……)
学年主席をおさめる日菜子ほどの巫女見習いでも視えていないのだから、実際その予想は正しいはずだ。
それじゃあ、鈴の霊力とはいったいなんなのだろうか?
「先ほど医師が話していた通りだ。神霊経絡科での検査の結果、君の背中に刻まれている術式が明らかになった。刻まれていたのは四つ。真名剥奪、呪詛破り、授受反転……そして、霊力搾取の術式だ」
「れいりょく、さくしゅ……?」
(罪人として、真名を剥奪されていただけじゃ、なかったの……?)
「そうだ。この術式が刻まれているという事実こそが、君に霊力があるという証明になる」
鈴の瞳が困惑で揺れる。
「霊力についてはまだ解明されていないことも多いが、人の子の霊力はその命――魂がその素質を宿し、祖先から脈々と受け継がれてきた血がそれを肉体に目覚めさせることで、生み出されると言われている」
竜胆の説明に、鈴はおずおずと頷く。
「君の心臓が動いている限り、霊力は生み出され続ける。真名が剥奪されていようとそれは普遍的な法則だ」
「……そ、それじゃあ、もし、私に霊力があるとして……今も生み出されているのですか?」
「そうなるな。そして君の背中に刻まれている霊力搾取の術式が繋がっている先は、――君の異母妹だ」
ひゅっと、鈴は息を喉に詰めた。
「まさか、そんな。……私に霊力があって、それで、日菜子様に……?」
「春宮家当主があの傲慢な娘を〈神巫女〉にしようと、君が幼い頃に他の術式と一緒に刻んだに違いない。君に目覚めた清廉で稀有で莫大な霊力をすべて搾取し、今も変わらず、あの傲慢な娘のものにしている」
「…………っ」
「君には霊力が存在しないんじゃない。最初からずっと奪われているんだ。あの異母妹の持つ霊力の九割以上が君のものだと断言していい」
衝撃的な真実を知らされて、鈴は呆然としていた。
(それじゃあ、私は、――霊力の欠片もない、無能な名無しなんかじゃ、なかったの……?)
押し寄せる激流のような情報で頭が混乱している。
日菜子が幼い頃からずっと使っている霊力のほとんどが、鈴自身の霊力だっただなんて。
「俺はこの十数年間、ずっと君を探していた。君のことだけを。ずっと」
これ以上にないほど真剣な瞳に射貫かれ、鈴の頬は急激に熱を持った。
竜胆は静かに語り出す。幼い頃の一瞬の出会いを。彼が鈴に抱いた愛おしさを。
そして神であるがゆえに、鈴を探しに行くことも、助けに行くことすらもできずにいた悔しさと、惨めさと、憤りを。
知らなかった事実に、鈴の心は震える。
誰かが、――竜胆という神様が、自分をそれほどに求めてくれていただなんて、思ってもみなかった。
ずっとひとりぼっちだと思っていた鈴の人生には、竜胆のあたたかな想いが寄り添ってくれていたのだ。
とくり、とくりと、胸が熱くなる。
竜胆は壊れ物にでも触れるかのように優しく、繊細な指先でもって鈴の頬に手を添え、鈴をまっすぐに見据える。
「……こうして君を手に入れたからには、俺から片時も離れることは許さない。――堕ち神に血を捧げようとして、君が命を諦めることさえもだ」
「あ……っ」
「君が生きるのを諦めていい時は、俺が死ぬ時だ。だから――……俺が許しを出すまで、君は生涯、俺の愛する番様として、俺だけにどこまでも甘やかされて生きてくれ」
彼は長い睫毛に覆われた双眸を、うっとりとした表情で甘く甘く細める。
深く、深く、吸い込まれるような青い瞳の奥底には、彼の激情が見え隠れしている。
それは蜂蜜を溶かしたようなとろけるほどの熱を帯びており、もしも鈴が一度溺れたら為す術もなく沈んでいくだけの、底なしの深淵に誘う微笑みに見えた。
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