第41話 なにかが変わる予感
(竜胆様に、甘やかされる、って……)
心臓がありえないほどドキドキと鼓動を刻んでいる。
(霊力の欠片もない無能な私が、堕ち神様である竜胆様に選ばれたのは……、番様という名の生贄として見出されたからだと思ってた)
そしてこれからは、彼が生きるためだけに生かされていくのだと。
それでも〈青龍〉によって直接選ばれ、『神の生贄』という存在価値を与えられたことは、鈴にとって人生最大の幸福だった。
けれども鈴の想像に反して、真実は信じがたく驚くようなものだった。
(私にも霊力があって、竜胆様はあの『巫女選定の儀』の時にはきっとすべてを知っていて……、私を、私だけを選んでくれていた)
その上、恐ろしいほどに美しい竜胆から与えられたのは、壮絶な独占欲を孕んだ告白のような言葉だ。
そのすべての意味を理解しようとしたけれど、混乱する鈴の頭は、すでにいっぱいいっぱいだった。
なのでそんな状態の鈴が理解できたのは、竜胆が伝えたい気持ちのほんの一部だったかもしれない。
(竜胆様が死ぬ時まで、……番様として、生きていく)
彼の言葉は、無能な名無しでしかなかった自分に、まったく新しい存在価値を与えてくれた気がして。
――なにかが、変わりそうな予感がする。
なんなのかはまだわからない。確信もない。
ただ、胸の内側がとてもあたたかくて。
とくり、とくりと、静かに高まり始めた鼓動が……うつむいてばかりだった鈴に流れている、目には視えない霊力の存在をそっと教えてくれている。
ずっと靄がかっていた視界が、ゆっくりと、ゆっくりと、淡い光を帯びるように開けていく気配がする中、鈴のすり減って弱り切っていた心に、『これまでとは違うまったく新しい人生を歩んでもいい』のだと――……希望の道を指し示してくれるみたいだった。
竜胆の甘やかな眼差しを受けていた鈴は、こくりと、遠慮がちに頷く。
「それでいい」
眩しい光でも見つめるかのごとく、竜胆は鈴にふっとやわらかな表情を見せた。
「これから忙しくなる。なにせ、春宮家から君の真名を取り戻し、霊力搾取の術式を含んだすべての術式を解かなくてはいけないからな」
「あの春宮家と、話し合うのですか……?」
話し合いで解決するような家ではないことは、鈴が一番知っている。
祖父も、父も、鈴とは血が繋がっていないのではないかと感じるほど、冷たくて恐ろしい。
継母と異母妹だってそうだ。
美しく、華やかで、誰からも羨望を受けている彼女たちを前にすると、鈴は同じ女性として逃げ出したくなる。
「話し合いで解決すればいいが、どうだろうな。……そう不安そうな顔をしなくても大丈夫だ。俺に任せておけばいい」
「でも」
「俺に任せてくれ。いいな?」
「う……っ。わ、わかりました」
「いい子だ」
竜胆は口角をわずかに上げて微笑み、鈴の頭を撫でた。
怖がらせないように、と思うものの気がつくとつい彼女に触れているので、愛おしいという気持ちは厄介だ。
けれども、今まで心細そうな表情をしていたはずの彼女も、どこかホッとした様子を見せている。
己の手のひらに安心感を感じてくれたらしい彼女の可愛らしさに、竜胆はひどく庇護欲がくすぐられる気がした。
――と、そこに病室の扉をノックする音が響く。
竜胆が返事をしないので代わりに鈴が「はい」と返事をすると、真っ白なスライドドアが開かれた。
「失礼するよ。……竜胆、せっかく外で待っていたんだから、返事くらいしてくれないか」
そんな言葉とともに入室してきたのは、白衣をまとってはいるがまだ大人には見えない美青年だった。
薄水色の髪と瞳を持つ、少し高飛車な王子様を彷彿とさせる美貌の青年は、吊り上がった目元に不満げな色を浮かべていたかと思ったが、鈴へと向き直ると口元を緩める。
「僕は十二神将は凶将のひとり、水神〈玄武〉。名は漣湖月。神城学園高等部の三年生で、竜胆とは幼馴染だ」
「玄武様、お初にお目にかかります。私は…………えっと、」
鈴の自己紹介のあとに続くのは、いつだって『春宮日菜子様の使用人の名無しでございます』だった。
けれどつい先ほど、竜胆から新しい――いや、素晴らしい存在価値を与えられたのを思い出した鈴は、とっさに口をつきそうになった長年染み付いた自己紹介を飲み込み、面映ゆい気持ちで口元を小さく綻ばせる。
「十二神将は吉将のひとり、木神〈青龍〉様の……番でございます」
その言葉を聞いて竜胆はわずかに目を瞠り、湖月は吊り上がった目元をうるうるとさせて涙ぐんだ。
「そう、そうか。君が……。声を聞けて良かった」
感極まった様子の湖月は目元を抑えて、「言っておくけれど、僕は泣いてないぞ」と竜胆を見やる。
竜胆は「どうだろうな」と少し意地悪な顔をして、湖月をからかった。
そんな彼らの様子を眺めながら、鈴は自分の自己紹介が間違っていなかったことに安堵を覚える。
先ほどのように名乗るのには勇気がいるし、霊力を取り戻していない自分には不相応でおこがましいと、やはりまだ感じてしまうけれど、この素晴らしい存在価値を与えてくれた竜胆に少しでも報いたかった。
いつものクールな面差しに、どこか嬉しそうな雰囲気をまとう竜胆の姿をこっそり見つめて、鈴は再び面映ゆい気持ちになって頬を染める。
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