第18話 可愛い人の子

(神域で穏やかな日々を一緒に暮らせたら、どれほどに幸せだろう?)


 だって、明らかに彼女を愛する気などない家族なんて、いらないはずだ。


(……そうだ。このまま現世とともにあんな家族は捨ててしまえ。――僕の可愛い、可愛い人の子、番様)


 まるで龍のごとき瞳が爛々と輝き、衝動的な独占欲が胸いっぱいに渦巻く。

 その時、竜胆は生まれて初めて、己が〈青龍〉という〝神〟であると強く自覚した。


 大切な大切な人の子以外は、どうだっていい。むしろ、あんな醜い集団のような生き物が人の子だというのなら、視界に入れるのさえ不愉快だ。

 幼い竜胆はぎゅっと眉間にしわを寄せる。しかし。


「儀式が終わられた神々も揃われている。さあ、橋を渡り切ったと同時に、お前はこれを付けなさい」


 突然猫なで声を出した父親らしき男が、うつむく少女の首になにかを掛けた瞬間、目を見開くような出来事が起こった。

 ぱっと、それこそ誰かに〝神隠し〟をされたみたいに一瞬にして、目の前からあの少女の姿が消えたのだ。

 芽吹き始めていた彼女の霊力の欠片も、跡形もなく霧散している。


「――嘘だ」


 竜胆は信じられない思いで、はっと息を詰めた。

 どれだけ彼女から感じていた霊力を探ろうとも、存在そのものが神世から消えている。

 どういった理由からかは不明だが、彼らは彼女を神々の目に触れさせないようにしたのだ。


(これが〝神隠し〟でないとするならば……噂に聞く呪具かもしれない)


〈始祖の神々〉が降り立った頃より受け継がれている呪具や神器の類であれば、それくらいの芸当も成せるだろう。

 竜胆は怒りに震える指先をぎゅっと握りこみ、拳を作る。

 怒りを抑えようとすればするほどぎりぎりと骨が鳴り、爪が肉に食い込んだ。

 華々しく着飾った集団は表情ひとつ変えずに太鼓橋を渡り切ると、神々の一族を見つけるやいなや「これはこれは、皆様お揃いで」と大げさに相好そうごうを崩した。


「四季幸いをもたらされし神々の皆様におかれましては、ますますご清祥せいしょうのこととお慶び申し上げます」


 集団の長らしき老齢の男は、蔵面で顔を隠した幼い神々たちに頭を下げる。

 わざとらしくも見える動作に、竜胆は蔵面の裏で睥睨へいげいしつつそれを受けた。

 他の神々たちも戸惑っているのか思うところがあるのか、言葉を発することはない。


「春宮殿もご健勝そうでなによりじゃ。本日は七五三詣でですかな?」


 こちら側では最も年長者である〈玄武〉の曽祖父が杖を突きながら歩み出て、ひ孫を隠すように立った。

〈玄武〉を授かる名家、さざなみ家の現当主である彼は、先代〈玄武〉の長子に当たる。

 神の息子、そして補佐官として生き、すでに齢九十を迎えた曽祖父は、神である自身のひ孫を眷属として守護することを使命としていた。

 緊迫した空気を感じたのか、〈玄武〉は震えながら曽祖父の足にしがみつく。


「ええ。我が春宮家の後継ぎである日菜子が満三歳を迎えましたので。歴々の皆様にご挨拶をと。偶然にも神々の皆様に拝謁することができ、恐悦至極に存じます。まるで運命のお導きのようだ。なあ、日菜子?」

「はい、お祖父様!」


 真っ赤な晴れ着の少女は神々を目の前にして神気すら感じていないのか、『聞いて驚きなさい? 私こそが神様の巫女になる娘よ!』とでも言いたげに威張り散らした態度で、鼻息荒く胸を張った。


(……神と人の子の違いすらわからないなんて、愚かな人の子の代表格だな。もっとも、神々に選ばれなければ継ぐ後もないだろうに。まるで自分が特別だとでも言いたいのか?)


 竜胆は侮蔑を含んだ視線を彼らへ向けながらも、紺色に白菊の晴れ着姿の少女を視線だけで探す。

 感覚を研ぎ澄ますと、彼女の魂の気配を見つけることはできた。

 しかし、相変わらず姿も霊力も認識できない。これじゃあまるで、死者の弱り切った霊魂のようだ。


 他の神々の視線の動きを観察してみても、紺色に白菊の晴れ着姿の少女を認識している様子を見せている者はいない。

 この調子だと、彼女からも竜胆の姿は見えていないのだろう。

 彼女の瞳に己を映してもらうことすらできない事実に落胆を禁じ得ないが、映してもらえたとしても、今は彼女に見せられるような顔をしていないのは自分が一番わかっていた。


(それに、きっと。……ここで声を上げても無駄だ。見間違いだと主張されるか、本格的に彼女を隠されるかもしれない)


 なにしろあの男の言い分では、孫娘はひとりしかいないことになっている。

 竜胆は溢れ出そうになる殺気を抑えるために再びぐっと拳を握り込み、足早に踵を返す。

 神であれ、幼い己では腕力や財力だけでなく謀略も大人には敵わない。

 日本には神に足枷を嵌める法律も多い。警察庁にも防衛省にも属さぬ霊力を操る者たちによる対呪術、対怪異、対堕ち神の特別対策機関、『特殊区域監査局』の討伐対象に認定されでもしたら一巻の終わりだ。

 今はとにかく、彼らに己の本心を気取られぬようにするのが幼い自分にできる唯一の得策だろう。


(――彼女は僕のだ。彼女を愛さぬ人の子たちの好きにはさせない。誰よりも彼女に相応しい存在になり、彼女を僕のものにする機会を一刻も早く掴まなければ)


 蔵面の下、竜胆は爛々と青い双眸を輝かせながら決意した。

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