第42話 温泉に行くために必要なの(3)



「夫婦それぞれの寝室と、夫婦共用の寝室、この3つの部屋で年間10ドラクマ。毎月、1の付く日と6の付く日で合計月6日、お屋敷まで洗ったシーツをお届けしますし、その時に洗うシーツを受け取ります。サービスでシーツに子爵家の家紋の刺繍をいれましょう」

「はあ」


「お子様の部屋も加えるのであれば、ひと部屋につき年間3ドラクマ、追加の支払いを。こちらはご子息2人、ご令嬢2人ですから、追加するなら12ドラクマで、合わせて年間22ドラクマですわね。これも、借り換えで浮いた400ドラクマから、問題なく払えるでしょう?」

「ええ、それは、そうですが……なんでまた……」


「では、お子様の部屋もよろしくて?」

「え? あ、はい」


「即決、ありがとうございます、モザンビーク子爵。合計22ドラクマですわよ? ああ、嬉しいですわ。では、最後に、3つ目のお願いです」


 私はにっこりと微笑みます。勝負所ですわ。


「モザンビーク子爵領にあるガラス工房から、何人か、職人を引き抜かせてもらいたいの」


 ビシっと音がしたような感じで、モザンビーク子爵の顔が固まりました。

 控えの中の空気がピンと張り詰めました。


 まあ、そうなりますわね。モザンビークのガラス工房があるから、モザンビーク子爵家はあの暴利を払い続けることができたのですもの。ガラス工房はモザンビーク子爵家の生命線ですわ。


「あら、ダメかしら? もちろん、引き抜くのは表向き、商会の方ですわ」

「いや、それは……」


「残念ね。このお話が流れるのなら、あちらに戻って、私、旦那様とお話、しないといけませんわね」

「……」


「ライスマル子爵家で何があったか、ご存知でしょう? イルマ商会から聞いてないかしら?」

「まさか、イルマ商会は……」


 うふふ、子爵から貴族の仮面がはがれてきましたわね。


「ええ。ライスマル子爵家のようにモザンビーク子爵家がなってしまっては大変でしょう? 余計な事とは思いましたけれど、手を回させて頂きましたの。要らぬ心配でしたかしらね?」

「あ、いや、それは……」


 これは大きな貸しでございますわよ?


「元々、旦那様をこの夜会にお誘いになったのは、ご友人であるご次男との縁を頼って、支援を求めたかったのでしょう? 寄親のリバープール侯爵家からは、これ以上支援を求めると、その分、いろいろと大変ですもの、ね? ご長女のこと、とか?」

「……そこまで、ご存知なのですか」


 スチュワート調べによると、ここの長女をリバープール侯爵家は嫡男の愛人に迎えたいようです。夫人は女の子を二人産んで、後継の男子はできないまま。でも、離婚すると、夫人の実家との関係が難しくなりますもの。だから、男児を産む愛人がほしい、と。


 モザンビーク子爵家として、冷徹に貴族らしく判断するのなら、娘を差し出せばいいのです。

 ところが、現モザンビーク子爵たるこの方は、娘をそういう立場に差し出すのは嫌だという、家族に対して貴族らしくいられないお父さんなのです。私、こういう方、嫌いではありませんの。


 ……本当に、スチュワートはどうやって調べているのかしら?


「……私、その気になれば、旦那様にほんの少し囁くだけで、モザンビークからガラス工房そのものを頂くこともできましてよ? ライスマル子爵家のようになる家がひとつ、増えるだけですわ。ウェリントンにはそれだけの力がございますものね。リバープールから気を付けるように言われたのではなくて? それに、ウェリントンとの揉め事を独力で解決はできないでしょう? そうなると結局、寄親であるリバープールの力を借りることになるのでしょうね? お嬢様の行く末が目に見えるようですわね」


「………………あなたは、どうも、噂とは違うお方のようですな」


「噂というものは、本人にはなかなか届きませんの。私、自分がどのように言われているのか、知らなくて。それで、モザンビーク子爵。どうなさいますか? 私、モザンビーク子爵にお願いした方がよろしくて? それとも旦那様にお願いした方がいいのかしら?」


 数秒、私はモザンビーク子爵と見つめ合います。別に頬を染めたりしませんけれど。


「………………ひとつ、お聞きしてもよろしいか?」

「何でしょう?」


「あなたの言う通り、ウェリントン侯爵家の力なら、強引にモザンビークからガラス工房を奪い取ることもできるでしょう。それなのに、なぜ、商会の会頭まで連れて、あのような優遇を? そこがわからない」


 ……私の感覚では、あれでもまだ暴利ですけれど、こちらでは優遇なのですよね。まあ、それはともかくとして。


「……モザンビークの借り入れは、4年前の豪雨による洪水で2つの橋が流されたことが原因ですわね? 橋の再建に資金が必要だったのでしょう?」

「ええ。そこもお調べでしたか」


「そのうちのひとつが、王都からサザンプトン伯爵領へ行く街道ですわ。私、サザンプトン伯爵領にあるサンハイムの山荘を所有していますの。あの橋がないと困るのですわ。ですから、こちらへの優遇は、言ってしまえば私の私利私欲ですわね」


「子爵夫人は……そういう方でしたか……」


 あら、モザンビーク子爵が感激していますわね。

 私、私利私欲だと申しましたのに、言葉通りではなく、領民や国民のためのインフラ整備が原因なら助けますわよ、という意味にでも受け取ったのかしらね。いい耳をお持ちですわ。


 スチュワートは子爵の性格まできっちりと調べていましたからね、うふふ。


 モザンビーク子爵家が借金で右往左往しているせいで、新しいガラス工房を増やせなくて、親方二人、工房二つのまま、腕を磨いた高弟たちがずっと独立できなくて腐っているという情報がスチュワートの調査報告書にありました。

 だから、職人の引き抜きは、職人たちにとっても利がありますの。モザンビーク子爵や親方たちへの職人たちの不満も解消できますわ。私、モザンビーク子爵、ガラス職人、三方良しというウィンウィンウィンな状況ですわ。


 それに、こういう風に、一度、技術者を流出させたら、二度目以降は、もう、ねぇ……簡単ですもの……。


 モザンビークでしっかり育てて頂いて、フォレスターで美味しく頂きますわね……。


「……わかりました。子爵夫人の3つの願いは全て受け入れます。もちろん、借り換えもナナラブ商会に頼みます」

「嬉しいですわ、モザンビーク子爵。今夜は実りあるお話ができて良かったです」


 エカテリーナは、ガラス職人を、手に入れた! うふふ、やったわ……。


 ……お義母さまもモザンビークのガラス工房には目を付けていたはずですわ。これで少しは悔しがって頂けるかしらね?


 潰すように圧力をかけて奪えば、全てウェリントン侯爵家の物ですけれど、職人を引き抜き、ナナラブ商会の資金を使って領地にガラス工房を作れば、税を取る侯爵家だけでなく、商会とそこに繋がる私の利益にもなりますもの。


 そうして、控えでの話し合いを終えて、子爵と談笑しながら、侍女たちを引き連れて会場へ戻りました。すぐにご夫人方、ご令嬢方に囲まれて、そこではドレスの話で盛り上がりましたの。


 旦那様は番犬に抑えられてダンスを『待て』していましたわ。よく我慢できました。ここ何日かで旦那様は立派に成長……あら、これでは番犬のスチュワートではなく、まるで旦那様の方が犬みたいですわね……。


 こうして、モザンビーク子爵家の夜会は無事に終わり、今回は旦那様と一緒に帰ることとなりました。馬車は別ですけれど。今までは先に帰りましたからね。


 さて、あとは大夜会ですわ……。


 いろいろと考えるべきことはありますけれど、とりあえず私室にお夜食を届けてもらいましょう。お腹が空きましたわ。





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