第20話 温泉セレブの優雅な生活



 サンハイムの山荘では温泉の日々ですわ!

 とはいうものの、いわゆる、前世の温泉のイメージとはかけ離れていますの。


 ただ単に、猫足のバスタブがある浴室に、温泉が引かれていて、水汲み場……というよりは温泉汲み場、かしらね? とにかくそこで桶に温泉のお湯を汲んで、バスタブへざぶん、と。

 王都のお屋敷の浴室と比べると、お湯の準備がとっても楽ですわ、という温泉ですわね。

 王都のお屋敷ではお湯を沸かして、適温になるように水で割って、と、手間がかかりますもの。使用人の人数で済ませる力業ですわね……。


 あとは、猫足のバスタブの横に、寝台があって、エステっぽいマッサージをしてもらえるくらいかしらね。マッサージ自体は、別に王都のお屋敷でもできるけれど、すぐ近くの温泉のお湯が使えるから、温熱効果付きのマッサージができますわ。


 何より、美肌効果抜群ですの。幸せですわ……。

 山荘の女性使用人は、手が、使用人とは思えないほど、綺麗ですのよ。温泉のお湯で、手を洗うことが日常ですもの。


 私はもちろん、侍女たちにもこの浴室の利用を許可しましたわ。


「そういうところは、血のつながりもないのに、大奥様とよく似てらっしゃいます」

「あら、お義母さまと? 嬉しいわ」


 オルタニア夫人によると、お義母さまがここを利用していた数年前、やはりお義母さまも同行していた侍女たちに浴室の利用を許可していたそうです。

 オルタニア夫人も、ミセス・ボードレーリルと同じく、お義母さまの侍女でしたものね。


 ……美肌の幸せを独り占めなんてしたら、いらぬ嫉妬を買うだけですわよね? さすがお義母さまですわ。よくわかっていらっしゃいます。


 タバサたちもお互いに温熱効果エステマッサージを施術し合って、楽しそうですわ。


 あと、この山荘の執事や家政婦をはじめとする何人かの使用人は、ケンブリッジ伯爵家の所有だった頃からの使用人で、お義母さまは使用人ごと、買い取ってくださったそうですの。

 幼い私がお祖母さまと一緒に訪れていたことも覚えている使用人もいて、とても懐かしく思いましたわ。


 残念ながら、私の方は子どもの頃のことなので、使用人のみなさんのことまではよく覚えておりませんでした。少し、申し訳ない気持ちになりましたわ。






 それから、食事です。

 到着した初日の食事は、量が多くて、たくさん食べ残しましたの。もったいなかったですわ。でもまあ、誰かがそれを食べてはいるのでしょうけれど。


 オルタニア夫人を通して、食事の量を減らしてもらうことと、この山荘から近い、ケラム村のキャベツを取り寄せてもらうことにしました。


 キャベツについては図書館の地理書にありましたの。もう秋になろうとする季節ですけれど、ぎりぎり、キャベツは手に入りましたわ。

 キャベツが届いたら我が儘を言って、調理場に立ち入り、料理人のみなさんに、指示通り、キャベツを小さく刻んでもらいました。もう我慢できませんわ、エカテリーナ、行きます!


「卵はないかしら?」

「アヒルが今朝、産んだ卵ならありますよ」


 アヒル!

 見せて頂いたら、私の前世の記憶にある卵より、少し大きい感じがしました。ニワトリではないのね。びっくりしましたわ……。


「その、イノシシのお肉を、そぎ落とすように薄く、できるかしらね?」

「これくらい、ですか、奥様?」

「もう少し、そうそう、それくらいで」


 イノシシって、豚のようなものよね?


 あとは小麦粉。キャベツと卵と小麦粉を混ぜてもらいますの。


「あ、最初は油を……」

「こうですか?」

「そうよ、それからまずお肉を……裏返して、そこに混ぜ合わせたタネを……」


 ……お分かりですわね? お好み焼きですわ!


「奥様、焦げそうですが?」

「火加減って、難しいのね……」


 薪で火加減って、どういうことかしらね? できるのかしら?


「あ、そろそろ裏返しに……」

「ほいっと」


 料理人がフライパンの柄を握った右腕を左手でとん、と叩くと、ぽん、とお好み焼きが飛んで、裏返りましたわ! 神業ですわ!


「すごいですわ!」

「いえいえ、ここにいる者なら、みな、できますぜ。しかし、ちょいと焦げましたね、このパン」


 パン……いえ、みなさまにとっては、パンなのですわね。お好み焼きですのに。


「火力を抑えられますの?」

「うーん、これくらいなら、かまどから外して、ふたをすれば余熱で十分でしょう」

「なら、そうしてくださいませ」


 しばらく待って、焼き上がりましたわ!


「小さ目に切り分けてくださいませ……そう、そのくらいですわ」


 ……あ、ソースがないですわ!


「……ソースは、何か、ございませんこと?」

「ソースですか? 黒ソースはうーん、時間が……。白ソースならば作れますが、そうするとこいつはもう冷めちまってますね」


 どちらかと言えば黒ソース、いわゆるデミグラス・ソースですわね……。お好み焼きにベシャメルソースは意味がわかりませんわ。


「……次に作る時には、黒ソースがあると嬉しいですわ。あ、黒ソースに何か果物、そうですわね、今なら梨ですか? すり潰して加えてくださいませ」

「奥様、ずいぶんと、詳しいですね?」


「……とりあえず、食べましょうか」


 私は、切り分けたお好み焼きを手に取って、口へと放り込みます。


「奥様! なんという……」


 オルタニア夫人が呆然としてますわね……。ごめんなさい、淑女の行動ではありませんでしたわ。


「これは、あれですわ。料理の、そう、味見ですわ……」


 苦しい言い訳でございました。


 ……ソースなしとはいえ、キャベツの甘味と、猪肉の油で、それなりの味はしましたわね。ですけれども、これは、一味、いえ、二味……いえ、全然足りませんわね。

 鰹節……どこかにないかしら? ほぼ島国ですから海はたくさんございますのに。青のりとか、あるのかしら? 小さい海老とか、イカとか、確か、タコは食べないのですわね……。鰹節って、どうやって作るのかしら?


「奥様、わしらも、頂いても?」

「ええ、どうぞ」


 料理人たちが手に取って、口へと放り込んでいきますわ。


「……思ったよりも甘みがあるんですな、キャベツの味か」

「うまいもんですね。野菜をパンに混ぜるとは意外な……」

「これ、猪肉も混ぜ合わせれば、肉汁が中に閉じ込められて……」


「いや、焼けた肉のうまさとは別だろう?」

「この焦げた感じがなかなか」

「いや、中に混ぜ込むのも悪くないんじゃないか?」


「生焼けの肉はダメだろう?」

「一度焼いてから混ぜるのはどうだ?」

「それならこのままでいいんじゃないか?」


「簡単だから賄いにいいよな?」

「それでいて腹持ちも良さそうだ」


 ……料理人3人で議論が始まってしまいましたわ!


「奥様、あとで、ちょっとお話がございます……」


 まあ、そういえばオルタニア夫人がまだ怒ったままでしたわ!


 でも、これ以降、滞在中は時々、焼いてもらえて満足でしたわね! オルタニア夫人に叱られた甲斐がありましたわ。ソースには不満が残りましたけれど……。

 実はこれ、オルタニア夫人が一番気に入りましたのよ? あんなに怒っておりましたのに。甘くないお菓子、という位置付けのようですわね。ソースなしで食べるのがいいらしいですわ。


 でも、料理人たちに、お好み焼きではなく、キャベツ焼きパンと名付けられてしまいましたわ……。あくまでもパンですのね……。


 たまにしか作ってもらえないのは、アヒルがたまにしか卵を産まないことが原因でした。そこから改革しないとダメなのですわね。遠い道のりでしたわ……。アヒル、増やしてもらわないと。


 調理場への立ち入りはオルタニア夫人に禁止されてしまったので、ロールキャベツは断念しましたの。残念ですわ。いつか、作ってもらいたいですわね。






 山荘には、すぐそこの村から、女性が集まるようになりましたの。

 この山荘に来ると、野菜や豆など、ちょっとした食材を分けてもらえるから、と。

 そうして、やってきた女性には、テスターになって頂きました。食材はそのお礼ですわ。


 温泉のお湯をそのまま冷ましたもの、温泉のお湯を井戸水で割って冷ましたもの、温泉のお湯を一度沸騰させてから冷ましたもの。その3種類の水。

 また、それぞれに、はちみつ、もしくは山羊の乳を小さじ一杯混ぜたもの。合計9種類の水。


 温泉の美肌効果をちょっとした化粧水にできないものかと試行錯誤中ですわ。


 はじめは山荘の使用人をテスターにしようと考えたのですけれど、そもそも、ここの使用人は温泉の恩恵で既に手がとても綺麗なのですわ……。使用人とは思えないほどに……。これではテスターにはなれません。


 そこで、わずかな食材で村の奥様方を釣りあげて、右手、左手にそれぞれ別の物で美肌効果を確認してもらってますの。何日間か、同じ人が、同じ手に、同じ物を塗って、それで左右の手は別の物を使って、比較して効果を聞き取りしていくのですわ。


 効果があるものができたら、王都のお屋敷の女性使用人にも、使わせてあげたいですわ。特に、ランドリーメイドとキッチンメイドは、手荒れがひどいですもの。


 ここに滞在している間で、結論が出るような実験ではないですから、私が王都へ帰った後も、継続してもらうことを執事に命じておきましたの。

 もっとも効果があると考えられるものから順に3つ、それが決まれば、分量を調節してまた継続して実験ですわね。

 人体実験なので前世だとお叱りを受けるかもしれませんわね。


 いずれはホットスポット商会の利益のタネになってほしいですわ。


 そんなことを続けていたら、ある日、村の奥様のひとりが、お礼だと言って、山で取れた山芋をくださったのよ。

 ええ、すりおろせば粘りの出るあの芋ですわ! 最高!


 料理人に、キャベツ焼きパンのタネに加えて混ぜ合わせるように頼みましたの。

 私としては、少し美味しくなったと思ったのですけれど、これは、意見が分かれましたわ。


 料理人は2対1で美味しくなった、侍女たちは3対2で、元の方が美味しい、ですわ。

 特にオルタニア夫人は元の方が程好い甘みがいいのだと一押しでしたわね。オルタニア夫人は肉なし派でしたもの。クリステルは肉あり派でしたわ。さすがは女騎士ですわ……。


 護衛騎士6人と御者2人の男性陣は、5対3で元の方が美味しい、でしたわ。ああ、御者のひとりはあのドットですわ。私とタバサと一緒に、実家のケンブリッジ伯爵家から嫁ぎ先のウェリントン侯爵家へ移ったドットです。


 そんな山芋をきっかけにして、帽子や手袋など、完全防備で乗馬服を用意してもらって、毎日、20分程度の山歩きをするようになりましたの。


 他にも、クリステル指導によるダンス練習もありましたわ。私だけでなく、アリーやユフィも踊る可能性があるからと、一緒に練習しましたの。


 実に健康的な温泉生活ですわね。


 元々、侍女たちとはいい関係を築いていたと勝手ながら思っていましたけれど、今回、サンハイムの山荘に長期滞在したことで、より侍女たちとは親しみが持てるようになりましたわ。


 スチュワートやタイラントおにいさまからのお手紙を読み流して長期滞在した甲斐がありました。


 エカテリーナは、侍女たちとの信頼関係を、よりよいものにした! やったね!


 穏やかな日々でしたわ。


 嵐の前の静けさというものだとは思えないほどに。





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