第8話 家政婦との戦い(戦いません) (2)



 最近、イケボには慣れました。慣れたせいか、語尾に「リーナ」と付くことに対して感じていたウザさは少し薄れましたわね。今はさらっとスルーできます。

 この人、馬鹿なのかしら、ああ、馬鹿なのよね、きっと、とは思ってしまいますけれど。


「契約、か。そういう契約内容もあったね、リーナ」

「ええ。契約違反ですわ」

「私が出席させようとした訳では……」

「旦那様がどうとかは関係ございません。社交は最低限。爵位同格か、それ以下は欠席でよいはずですわ」


「それは、そういう契約だったけどね、リーナ。スラーは……ライスマル子爵令息は私の親友なんだよ、リーナ」

「旦那様。高位貴族が下位貴族の夜会に出席することは、下位貴族にとって大きな負担でもありますわ。ご友人に負担を感じさせてまで、出席することが本当に正しいのでしょうか?」

「私とスラーは、そういう爵位の差を超えたところで、友情を育んだよ。問題ないよ、リーナ」


 ……その表面的とすら言いたくない浅い考え方があまりにも傲慢ですわね。何かあればそのご友人とはもうご友人でいられなくなるというのに。


 もう知りませんわ。そもそも私の友人ではありませんし。とりあえず、このド……旦那様にもわかりやすそうなところで、ちくりと刺しておきましょう。


「……旦那様が親友と呼べる方は、ライスマル子爵令息だけでしょうか? 他にもいらっしゃるのではなくて?」

「それは、もちろん……」

「その中には、伯爵家の方や子爵家の方、ひょっとすると侯爵家の方もいらっしゃるのでは?」

「ああ、いるよ、リーナ」


「そうなると、ライスマル子爵家の夜会に私が出席したと知った方が、なぜうちの夜会には欠席なのか、と思われることになりますわね」

「それは……」


「旦那様が親友だと考えていらっしゃる方、親友とまではいかなくとも親しくしている友人、そういう方々から、『あいつのところには連れて行ったのに』と思われる覚悟はできていらっしゃいますか、旦那様?」

「リーナがそういう夜会やお茶会に参加してくれれば……」

「私は契約通り、社交は最低限で、できる限り、欠席致します。もう既に出席で返答されてしまったライスマル子爵家は、そうもいかないとは思いますけれど。ミセス・ボードレーリルの勝手な判断と行動で、旦那様には、ご友人との関係に、気を遣わせることになりますわね」

「……」


 ……嫌味は通じたかしら? 私は気を遣いませんよ、そんなことには。あと、沈黙したからって、こっちは追及の手を緩めませんけれどね?


「それと!」


 ちょっと語尾を強めてみました。旦那様のアゴがびくりと反応しましたわ。おもしろい。


「ミセス・ボードレーリルの態度は、私を女主人として尊重しているとは思えません」

「リーナ……」


「これも、契約違反ですわ」

「……」


「家政婦を変えてください、旦那様」

「それはダメだ、リーナ」


 コイツ、そこには即答ですか!?


「……本来、家政婦の交代は女主人である私が決めてよいことですわ、旦那様」


 旦那様、と言いながらも、視線は家令のスチュワートに。

 スチュワートは、ただ黙って目を閉じる。スチュワートもそこそこイケメンだけれど、これはまあ見ても平気な程度のイケメンです。


 ……あ、コレ。スチュワートのこの態度。ミセス・ボードレーリルを辞めさせることが正解、なのですわね。とすると、これはやはり、お義母さまですわね。ああ、もう。だから高位貴族は。


「だからといって、レティを辞めさせるなんてダメだ、リーナ」

「どうしてですか?」


「レティは……私の、大切な人、だから……」

「ミセス・ボードレーリルが旦那様の乳母を務めていたというのは聞いておりますし、旦那様にとって大切な方であるということはわかりました。ですが、フォレスター子爵家の家政婦として適切な人物とは思えません。女主人と対立する家政婦など問題でしかありません」


 私の言葉でド……旦那様のアゴが震える。


 ……あー、でも、ミセス・ボードレーリルの言ってることは正論で、間違ってる訳ではない、のでしょうね? うーん。悩みますわね。正論というのは、嫌いではないのです。嫌いでは。お義母さまにやられっぱなしというのも、楽しくはありませんし。


 おそらく、このド……旦那様を御せるかどうか、つまり尻に敷けるかどうかも含めて、お義母さまから私への課題ですわね。でも、妻が夫を躾けるのではなく、母が息子を躾けるものですわよ、お義母さま……?


「……どうしても家政婦を辞めさせたくないというのであれば、旦那様の責任において、私と旦那様の結婚に関する契約内容を伝えるか、もしくは、勝手なことをしないようにしっかりと言い含めて下さいませ。もちろん、私は私で、女主人としてはっきり、家政婦が女主人に逆らうな、ということを伝えます」


「リーナ、それは……」


 ……旦那様にはできないのでしょうね。契約内容を教えられる相手なら、ウェリントン侯爵家として既に彼女へ伝えているはず。伝えられているのなら、私の夜会の出欠を独断で決めたりはしない。


 それに、ミセス・ボードレーリルが誰かに唆されている可能性がありますわね? スチュワートか、オルタニア夫人あたりかしらね?

 つまり、ミセス・ボードレーリルは、侯爵家としてはどこか信頼できない、いえ、そうではなく……あの真面目さだと、私たちの結婚の契約内容を受け止められない、とか……ありそうですわね?


 いや、あの真面目そうな乳母に育てられて、なんでこんなドクズに……。


 ……ミセス・ボードレーリルが契約内容を知らないという事実から考えると、私の予想は当たっていますわね。フォレスター子爵家から外して、問題がない、ということですもの。


 やれやれ。これを高位貴族の嫌らしさと考えるか、それとも、だからこそこれだけの大貴族でいられるのだと受け入れるのか。


 ……ああ、私、お金のために、それを受け入れたのでしたわね。


 ライスマル子爵家の夜会の出欠についても、ごくごく一般的なことから考えれば、ミセス・ボードレーリルの方が正しい。浅い考えではあるけれど。


 そういう意味では、歪んでいるのは私たちの契約の方ですわね。


 可能な限り早く、真面目そうで、大人しそうな令嬢と結婚したいドクズに、ほぼ無理矢理強引に私が飲み込ませた契約ですもの。別に私は大人しい令嬢ではないけれど。


 でも、侯爵家はその歪んだ契約を受けた。

 それくらいの歪みはこれまでも飲み込んできたのでしょうね。侯爵家ですもの。

 まあ、それだけ、私が安く買い取れる都合のいい嫁だと考えたのでしょう。本当に都合がいい嫁かどうかは、私、責任を持つ気はございませんけれど……安い嫁と侮られるのは嬉しくないですわね……。


 ミセス・ボードレーリルが間違っているのは、女主人の意向に逆らっているという点と、勝手に出席で返答した点ですわね。

 契約内容を知らないのであれば、女主人の意向に逆らうというより、真面目な諫言のつもりでしょうし。


 まあ、いいですわ。

 たぶん、旦那様の個人的な、乳母に対する思いなのでしょうし……私が求めるのはあくまでも私の利益。


 お義母さまからの課題など、結婚してしまって資金も得た今となっては、婚約者だった期間のように、唯々諾々と従う必要はありませんわ! 姑への気遣いは必要ですけれどね!


 さて、それではここからが本番です! エカテリーナ、行きます!


「話はこれだけではありません」

「え?」


「結婚してまだ数日、この屋敷に移ってまだ3日でございます、旦那様」

「そ、そうだね、リーナ」


「結婚して数年が経ち、私と旦那様の関係が緩やかに変化していく中で、結婚当時の契約が現状に合わなくなって、契約が破られたり、守られなくなったりするというのは、考えられるかもしれません。ですが、ほんの数日で契約違反がふたつも起きるとはどういうことですか?」

「あー……」


 視線は旦那様というよりも、ちょっとスチュワート向きで。

 旦那様より意味がしっかりと伝わりそうな相手だから。仮想敵はスチュワートですわ。旦那様ごときではございませんことよ?


「旦那様に契約を守る気がないのであれば、違約金をもっと高額にするなど、契約の見直しが必要なのではないですか?」


 強めに発言するけど、そのつもりはそこまでないですわ。

 あくまでも、ほしいものを手にするための、布石としての発言です。もちろん、違約金を高額にできるのなら、してもらいますけれど。


 スチュワートがびくりとしたから、私の言ってることは的外れではなく、当然のことなのでしょう。


「それとも、結婚を急いだように、旦那様は私との離婚も急いでいるのでしょうか?」

「そ、そんなことはないよ、リーナ」


「そうですか? 結婚するために決めた契約を守ろうとしないのは、旦那様が離婚したいからでは?」

「ち、違う!」


 まあ、そりゃそうでしょう。

 婚約破棄で失った旦那様の名誉をなんとかするための結婚だったのです。それがスピード離婚となったらもう、ド……旦那様の名誉は地下何メートルに落ちることやら。


 離婚したくない訳ではなく、こんなに早く離婚はしたくない、というのが本音でしょうけれどね。3年ぐらいしたら、私と離婚してどっかの恋人と再婚なさるのではないかしら?


「その言葉、信じられると思いますか?」


 なんか、このド……旦那様は、イケメンフェイスでにっこり笑えば全てが許されるとでも思っているのでしょうか?


 ……思っているのでしょうね。私もイケメンに流されないように、アゴに視線を集中させているけれど。そのへんがもう高位貴族としての自覚が足りませんわね……。


 私は完全にスチュワートへと向き直ります。本丸はこっちですわ! 落としますわよ!





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