第9話 家政婦との戦い(戦いません) (3)



「スチュワート。100ドラクマの違約金は2000ドラクマに。20万ドラクマの違約金は400万ドラクマに。それと、違約金の支払いは旦那様の私費から、ということにすれば、旦那様に契約を守ってもらえるかしら?」


「……400万ドラクマを旦那様の私費からというのは無理ですね。侯爵家も、さすがに400万ドラクマの違約金は認めないと思います。100ドラクマを2000ドラクマにして、旦那様の私費で負担させるというのは妥当なところでしょう。今、契約違反が起きているのは100ドラクマの違約金で契約している内容のところですし」


「お、おい、スチュワート……」


 もはや交渉相手は信じられない旦那様ではございませんわ。

 信じられる有能な家令であるスチュワートとの間で話はまとめるべきでしょう。


 そうですわよね? まあ、始めからそのつもりでしたけれど。うん。旦那様が相手では話になりませんものね。


 予算上、旦那様の私費は3万ドラクマで、私の私費の3倍ですわね。ただし、服飾費は3万ドラクマだから私費と服飾費を合わせた金額は夫婦で同じ。女性のドレス代の方が高いものね。


 交際費は旦那様の方が私よりも2万ドラクマも多い。そこは私の社交は最低限という契約が影響しているのだと思います。でも、そのお金が浮気男を浮気男として支えている気がするのですけれど?


 ……まあ、それはともかく、3万ドラクマの私費から違約金2000ドラクマの支払いとなると、さすがにボンボン育ちの旦那様でも痛いはずですわ。


「でも、今みたいに簡単に契約違反をされる状況は不安だわ。せめて、20万ドラクマを100万ドラクマくらいにはしてもらわないと。そもそも、旦那様が、契約を、きちんと守れば、違約金は発生しないのよ? そう思わない? スチュワート?」


「……50万ドラクマ。それで私が侯爵家に話を通しますので」


「今回の契約違反については?」

「今回はまだ契約を更改しておりませんので、その金額では応じられません」


「それだと納得できないわ、スチュワート。やっぱり離婚も視野に入れましょうか?」


 私とスチュワートのやり取りで空気になっていた旦那様がびくりと揺れたのが視界の端に見えます。離婚でびくりとするのなら、ヤリチンドクズをやめればよろしいのでは?


「……離婚は、奥様にとっても不名誉なことかと?」

「そんなことを気にするのなら、そもそも旦那様とは結婚しないでしょう? 公爵令嬢との醜聞はどこまで広がっていたと思っていて? 私ですら知っていたのよ?」


 私が気にしているのはお金とか、お金とか、お金になりそうなものとか、ですから! 高位貴族の責任の重みは、お金と引き換えですわ!


「……今の契約にありますが、物納の方ではいかがでしょうか? それなら、実質、金額的には高くなっても大きく問題はないかと」


 さすがスチュワート!

 そこですわよ! そこなのよ!


 そこを出してくる有能さを信じていましたわ! 旦那様なんてきっと契約内容を正確には覚えてませんものね……。


 でもこれで夕食の間に考えていた流れの通り!


 今、契約違反がふたつあるけれど、結婚直後とも言えるこのタイミングでの契約違反で100ドラクマ×2の200ドラクマなんて納得できませんものね。そういう感情は本心ですから演技ではありませんわよ?


 そうは言っても、契約更改前だから2000ドラクマ×2で4000ドラクマは支払えないし、受け取れない。契約違反で文句を言うのなら、定めてある違約金にも従わないとね……。


 でも、この流れなら、4000ドラクマ――およそ4000万円に匹敵する物納を求めても問題ない。そういう流れですわ!


 狙い通りですわ! まあ、だからといって、狙い通りっぽく、すぐに食いつくのはダメよね。ちょっとタメてから言わないと。くくく……。あら、いけませんわ。品位を保たないと。


「…………………………それなら、私は、サンハイムの山荘がほしいわ。前に話したけれど、あそこは思い出がある場所なの」


「……ああ、元はケンブリッジ伯爵家の所有だったのでしたね。……旦那様、いかがでしょうか? ちょうどよい落としどころです。サンハイムの山荘は、今は子爵家も侯爵家もほとんど利用していない別荘です。金額的には4000ドラクマくらいでおさまる範囲かと」


「いや、リーナがそれで納得するのなら、そうしてくれればいい」


 スチュワートを信頼して受け入れるのはよろしいですけれど、そこに旦那様本人の考えが本当は必要ですのよ? そういうところが、自覚が足りないのですわ……。


 まあ、それはともかく。


 エカテリーナは、お・ん・せ・ん! を手に入れた! やったね! 狙い通り! 私、狙った獲物は逃がしませんわ!






 ……そんなこんなで話し合いを終えて、私の部屋から出て行く旦那様は、なんか前に見たことがあるような、肩を落とした感じがしましたわね。


 あ、あれですわ。ケンブリッジ伯爵家で最初に契約内容を決めた時と同じですわね。

 そういえば、あの時の旦那様の侍従はやっぱりスチュワートでしたわね。あの時はスチュワートだと知りませんでしたけれど。当時は筆頭侍従で、今は家令ですものね……。


「お嬢さま、さすがです!」


 扉が閉まると、タバサが嬉しそうにそう言った。


「……お嬢さまではありません、タバサ。奥様と呼びなさい」


 いつものように、オルタニア夫人がタバサを叱る。


「それにしても、奥様は……本当に、旦那様の笑顔に、少しも流されないのですね……」


「そうかしら……?」


 なんか、オルタニア夫人がしみじみとそんなこと言うけれど、そうでもないと思うわ。もし、あのイケメンフェイスを直視していたら……アレはヤバいわ、たぶん……。






 さて。

 そんなことがあってから、わずか5日後のこと。


 またしてもミセス・ボードレーリルがやってくれましたわ……。


 伯爵家と子爵家、ひとつずつ。どちらも旦那様の親友と言える方のおうちです。


 夜会の出席がふたつ追加されました!

 あれぇ? どうしてでしょうねぇ?


 ホント、勝手なことをしてくれるものですよ、まったく。やっぱり、誰かが裏で動いているわよね、これは……。再試験とか、追試とか、そういうつもりかしらね……?


 しかも、家令のスチュワートがまだウェリントン侯爵家と契約更改について話を詰めている最中でしたので、契約はまだ更改前のままの、安い違約金で……うふふ……いいタイミングですわ……。


 翌日、旦那様が帰宅し、夕食を済ませた後、この前と同じように話し合いまして。


 サンハイムの山荘に加えて、チェスター湖の別荘とマークスの谷の農園を頂きましたよ。これで離婚しても住むところには困りませんわね。ホントは別荘だけれど。


 なんか、そのせいでさらに慌てたスチュワートが契約更改を血走った目で押し進めて、真っ白な灰になっていたような気もしましたけれど。まあ、それはともかく。


 今度こそ旦那様はミセス・ボードレーリルに「リーナが決めた夜会やお茶会の出欠を勝手に出席にしてはいけない」と強く命じたそうです。


 それはそうですよね。スチュワートが急いで契約更改しましたから、次からは違約金が2000ドラクマですもの。「フォレスター子爵家の不動産が全て奥様の物になるかと思いましたよ……」とか、スチュワートがこぼしていたけれど、契約、更改してなかったら、本当にそうなっていたかもしれませんわね。


 ……これが演技でないのなら、スチュワートは白。


 ということは、オルタニア夫人ね。私の教育係でもある訳ですし。

 私がミセス・ボードレーリルを辞めさせる機会を二度、追加したのでしょうね。お陰で不動産が増えましたわ!


 情報を集めたところ、この二人は、元々、お義母さまの侍女として一緒にお仕えしていたというのですから、間違いないでしょうね。ミセス・ボードレーリル、操られ過ぎですわよ……?


 まあ、という感じで。


 エカテリーナは、不動産を、手に入れた! ……おや、もはや私、資産家なのでは?


 元貧乏伯爵令嬢、このまま成り上がっていきたいと思います!





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