第32話 旦那様、崩壊(3)



「ご自分が踊ったご令嬢の名前くらい、覚えておいてくださいませ」


「いや、本当にわからない。誰だ、クセルクス子爵令嬢って?」


「旦那様が、ライスマル子爵夫妻のダンスの後で、最初に踊った方ですわ」


「ああ、あの時の……いや、なぜ、今日、君と踊ったら、その令嬢より後に踊ることになるんだ?」


「本当に理解していらっしゃらないのですね……」


「いや、おかしいだろう?」


 旦那様がスチュワートの方を見ます。

 スチュワートは目を閉じてから首を横に振って、それから目を開きました。


「奥様のおっしゃることが正しいです、旦那様。ダンスの順番を守って、二度と、奥様をエスコートする夜会ではダンスを踊らないでください」


「何を言ってる、スチュワート? まるで、私とリーナが二度とダンスを踊らないかのような……? 私たちは政略結婚かもしれないが、夫婦だぞ?」


「良かったですわ、旦那様が理解されたようで。安心しました」


「ああ、私たちは夫婦だ、リーナ」


「ええ、ですから、私と旦那様のダンスの順番は、ライスマル子爵夫妻のダンスの後、ですわ。これからも私はダンスの順番を守ります。ですから、旦那様がおっしゃった通り、旦那様と私は、二度とダンスを踊ることはございませんわ」


「は……?」


「どうしても私とダンスを踊りたいのなら、順番を守るために、おとぎ話の魔女にでも頼んで、ライスマル子爵夫妻のダンスの後に、時間を戻してもらってくださいませ」


「え……? いや、リーナ、大夜会があ……」


「もちろん、大夜会でも、私と旦那様がダンスを踊ることはありませんわ。踊ると順番を守れませんもの。大夜会は私をエスコートする夜会ですから、順番を間違って誰かとダンスを踊ったりなさらないように気を付けてくださいませ、旦那様。大夜会は国内全ての貴族に招待状が届くのです。次はどこの家と争うことになるか、わかりませんわよ?」


「う……ほ、本当に、私とは、踊らないというのか、リーナ?」


「何度もそう言っているではありませんか。それが、旦那様が次期侯爵として思うままになされたことの結果でございますわ。次期侯爵として堂々と、踊らずに壁の花……いえ、樹木にでも、なっていてくださいませ」


「……」


「ああ、そうそう。ライスマル子爵家とは違って、今日のヨハネスバルク伯爵家は、しっかり旦那様に対応なさいましたわね。フランシーヌさまはズシマーリの風待ち船に例えて、伯爵家の令嬢らしく旦那様のダンスの誘いを拒絶なさいましたし、旦那様のご友人の伯爵令息は、私の、ダンスの順番を守りたい、という言葉を瞬時に理解して、ダンスの時間は旦那様を別室に連れて行きましたもの。別室から旦那様が会場に戻った時には、もう楽団が下がっていたのでしょう? 楽団がいなければさすがに旦那様でもダンスは踊れませんものね。旦那様が伯爵家を潰そうとして仕掛ける罠を全て正しく対応して、躱せたのは、さすがは伯爵家ですわね」


「私は、リストの家を、潰そうなどと……」


「何をおっしゃるのですか、旦那様。この場で、最初に、旦那様ご自身がはっきりとおっしゃったではありませんか。伯爵令息から、ライスマル子爵家に圧力がかけられている話を聞いた、と」


「それは……」


「伯爵令息は今日、旦那様から伯爵家を守るために、必死に戦ったのでございましょうね。ウェリントン侯爵家に潰されそうになっているライスマル子爵家のことをご存知だったのですもの。だから、友人として、旦那様を別室に連れ出し、引き留め、ライスマル子爵家の話もして、伯爵家が潰されないように旦那様を抑え込んだのですわ」


「……………………そんな、こと」


「よろしいですか、旦那様。ご自分が、ウェリントン侯爵家の跡取りであること、ウェリントン侯爵家が国内の貴族で最大の財力を持つとともに、侯爵家という権力も有することを、きちんと自覚なさいませ。旦那様がどのようなお考えでいたとしても、旦那様の行動で、旦那様に付随する権力は周囲を簡単に破壊します。私とのダンスをたった一度、おろそかにするだけで、ひとつの子爵家が追い詰められ、ご友人の祖母にあたる方が毒杯を飲まねばならなくなるのです。大切なご友人が、旦那様によって自分の家を潰されないように、必死に行動するのです。それが、侯爵家が持つ、理不尽なほどに強大な力なのです。侯爵領での夜会の前に、お義母さまが、旦那様にきつくきつく、私とのダンスのことを言い含めてらしたこと、覚えてらっしゃいますか? あの意味をきちんと旦那様が理解していたのなら、ライスマル子爵家がこのような状態にはならなかったのですよ?」


「私は……」


「ライスマル子爵家がこのまま潰れたとしたら、それは全て、ご自分が持つ力に対する自覚がない、ご自分が持つ権力を理解しようとしない、旦那様の責任でございます。それを私の責任のように擦り付けるのはお止めくださいませ」


「う……」


「それで、次のモザンビーク子爵家は、潰すおつもりですか、旦那様?」


 私は顔色を失っている旦那様を見つめて、しょんぼりイケメンにほだされることなく、にっこりと微笑みかけました。


 旦那様は黙り込み、動かなくなりました。それは、女性の微笑みに対する行動ではございませんわよ、旦那様?


「……スチュワート、これまでの状況と、これからのこと、しっかりと旦那様に伝えて、よく理解させておくように。ああ、旦那様。ご自分の持つ権力を自覚した上でなら、別に、このお屋敷に帰ってこなくとも、何の問題もございませんわ。けれど、自覚なく、何も考えずにあちこちの女性に手を出していると、いつの間にかどこかの家がウェリントン侯爵家に潰されているかもしれませんわ。本当に、気を付けてくださいませ」


 私はそう言うと、固まってしまった旦那様を放置して、侍女たちと護衛騎士を連れて、執務室を出ました。


 エカテリーナは、うざい男にはっきり言えて、とてもスッキリした! ふぅ! 気持ちいい!


 ……これで、この歩く不発弾が少しでもマシになるとよいのですけれど。


 さて。残るはお義母さまですわ……。


「さすがはお嬢さまです」


「……奥様、です。タバサ。あなたは本当にもう、成長なさい」


 いつものようにタバサがオルタニア夫人に叱られて、お屋敷に、私にとっての日常が戻りました。





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