第24話 祖母の面影(2)



 みなさまが挨拶を終えるまで、歓談の時間ですわ。

 侯爵家と縁を繋ごうと、勇気を出して話しかけてくる方もいるので、おもしろいですわね。あと、女性陣。新婚で、その妻を連れての参加だというのに、旦那様に夢中ですわね……。


 結婚のお祝い、ドレスのこと、最近の社交界の話題など、いろいろな話が出ますけれど、基本、ほとんど口を開かず、扇を開いて、目元で微笑みますわ。


 私と旦那様の間には、女性陣が入り込んで、離れ離れですの。


 今日は、クリステルが一緒です。というか、基本的に夜会に同席する侍女には必ず護衛でもあるクリステルが選ばれています。そして、クリステルのドレスも三つ羽扇の襟ですわ。

 この場に二人だけですけれど、基本、クリステルが私の傍から離れることはないので、二人そろっての三つ羽扇の襟は目立ちます。気になっている女性もいるようですわね。この中では最高位の私が堂々と着ているのですもの。


 ……自分好みのドレスを侍女にも無理矢理着せている痛い女、と思われている可能性もありますけれどね。


 クリステルが主催者への挨拶へ行く時には、旦那様の侍従のヘイストルが背後におります。二人は交代で挨拶に向かいます。


 配られる飲み物、テーブルに並んだ食べ物。一切、口には致しません。これが王家主催の大夜会だったとしても、同じで……あら? 旦那様は飲んでらっしゃいますわね。大丈夫かしら? まあ、男性と女性でいろいろと違いはございますものね……。


 やがて、来客全ての挨拶が終わり、ライスマル子爵と子爵夫人が中央でダンスを披露。

 気合を入れて練習なさったのでしょうかね。背筋がピン、と伸びて、なかなか美しいですわ。


 ……若者が多く招待されているようですので、嫡男の子爵令息がダンスを披露してもよいのではないかとも思いますけれど、残念ながら婚約者がまだ決まっていらっしゃらないとの、スチュワート調べですわ。


 そして、主催者のダンスの披露が終わると、お客様のダンスタイムですわ。


 はあ。気が重い……。


「フォレスター子爵さま、ぜひとも、一曲」

「あら、私ともお願い致しますわ」

「まあ、私だって」


 モテモテですわね、旦那様。予想通りですけれど。


「レスター、今日はまず、奥様からだろう?」


 旦那様を親し気に愛称で呼ぶのは、近衛騎士の次男ですわね。惜しいですわ。他の女性から誘われる前にその言葉を言えたのなら、身を守れましたのに。もしくは、女性陣に、私とのダンスが終わるまで旦那様を誘わないように、言い含めておく、とかね……。


 この日まで、私が王都のお屋敷に帰ったと知っても、帰らずに遊び歩いていたドクズですのよ、そこの男は。

 そして、私は今日、この方に、旦那様に、挨拶などの礼儀作法以外では、実は一言も、言葉を発しておりません。完全なる塩対応ですわ。

 旦那様がちらり、と私の方を見たようですわね。そういうアゴの動きでしたわ。


「ああ、いや……」

「ほら、奥様のところへ」

「あ、ああ。リーナ……」


 この方、女性陣から積極的にダンスに誘われることが多くて、自分から誘うことはほとんどないというイケメンですの。名前を呼ぶ声に、私からおねだりして欲しい、という意図を感じます。うざい。


 私、気合を入れますわ! 下腹に力を込めて、いつもよりも目線を高くします。


 ……くぅ、イケメン眩しい! いえ、負けませんわ! 短い時間だけですもの!


 旦那様と目を合わせます。気合です。エカテリーナ、行きます!


「旦那様は、ずいぶんとおモテになるようですわね。誘われていますわよ?」

「いや、それは、そうだが……」


「どうぞ、旦那様。次期、侯爵、として。思うがままになさってくださいませ。私、次期侯爵夫人として全てを受け入れますわ」


 今の旦那様に、この意味が伝わることはないでしょうね。

 次期侯爵という地位の、財力の、権力の重みを、理解してらっしゃらないのですから。

 それどころか、勘違いなさることでしょう。いつものように、浮気を容認している、と……。


 ついでと言っては何ですけれど、拒絶するような感じで扇を開いて、目線以外の全てを隠し、唯一晒している目線も、ゲスな男を蔑む感じにしておきます。

 本質的には流され男の旦那様では、こういう冷たさに勝てないでしょう?


「……わ、わかったよ、リーナ。ありがとう……じゃ、君、一曲……」

「まあ、嬉しいですわ、子爵さま」

「ええ……次は私ですわよ……」

「いえ、私ですわ」


 女性の手を取って、ホールの中央へ進む旦那様。


 ご友人が私と踊れと言った意味も考えず。

 私が次期侯爵、次期侯爵夫人と言った意味も考えず。


 思うがままになさった結果を受け止めてくださいませ。


 ……あら? 手がどうしようもなく、泳いでいますけれど、今の旦那様を止めようと動いた方がいらっしゃるみたいですわね? 止められませんでしたけれど。次期侯爵をぐいっと掴む訳にもいきませんものね。


 あの方は、ウェンディー男爵家の次男だったかしら?

 この状況が何を意味しているか、気付いたのよ、ね? だとすると、使えそうな方ね。私を誘うように言っていた近衛騎士の次男でさえ、戸惑っているだけだというのに。


「奥様、これは……」

「クリステル、いいの。それよりも、このダンスの間に、帰りますわよ」


「っ! 奥様、まさか、わざと……」

「クリステル、言葉が過ぎます」

「……申し訳ございません」


 この感じ。クリステルはお義母さまの完全なコントロール下ではないわね。まあ、私の完全なコントロール下でもないけれど。


 静かに、目立たぬように、出口へと動き始めます。


「……フォレスター子爵夫人」


 音もなく近づき、私を呼び止めたのは、ライスマルの大奥様でした。

 私も足を止めて扇で口元を隠し、ゆっくりと振り返ります。私と大奥様の背後では、音楽が賑やかに流れ、楽しそうにダンスを踊る方が何人もいらっしゃいます。


「……大変、申し訳ございませんでした。どうか、私を、ガリエムデとなさってくださいませ」

「……クルノサの例もございましてよ?」

「あれは王なればこそ。我が家は子爵家にございます」


 ガリエムデは古代ラホース王国の宰相。戦争反対派で、しかも戦場には出ていないのに、敗戦の責任を取って毒杯を自ら飲み干した人物。


 クルノサというのは地名。ファラン王国のブルボⅥ世が王妃との離婚をラホース神聖国の教皇に願ったが認められず、それでも離婚を強行して、教皇から破門された後、ファラン王国で信心深い民衆が反乱を起こした。反乱に困ったブルボⅥ世は、教皇が結婚式のためにカステーリ王国へ向かう途中、クルノサで待ち伏せて、粗衣で平伏して謝罪し、破門を解いてもらったという故事で有名なところ。


 ……そう。この方、こういう時の責任を取るために、領地から出ていらしたのね。最初から、こうなることを覚悟していたのでしょうね。立派ですわ。


「……あなたは私の祖母に、雰囲気がとても似ているわ。懐かしいと思うほどに」

「嬉しいお言葉です。あの方は、私の憧れでございました」

「そうなの……」


 権力という、理不尽な力。

 それが、この、立派な方を巻き込むのね……。


「……私、祖母を亡くしてから、ずっと、さみしく思っておりましたの」

「……」


「今だけ、あなたを祖母と思って甘えてもいいかしら?」

「それがフォレスター子爵夫人の望みならば、いかようにも」


「ありがとう……ねえ、お祖母さま。孫娘としては、お祖母さまに成長した姿を喜んでもらいたいわ」


 私は扇を閉じて、にっこりと笑顔を見せる。子どものように。


「だから、お祖母さまの最後の願いは、できるだけ叶えてさしあげたいの。お祖母さまの願いは何かしら?」

「それは……」


「ねえ、教えて、お祖母さま?」


「………………義弟の三男が……西の王領で文官をしております。跡は……彼に」

「三男?」

「長男と次男は平民を嫁にしました。三男の嫁は男爵令嬢です」


「そう。わかりましたわ、お祖母さま。微力を尽くしましょう。では、失礼しますわ。おやすみなさい、お祖母さま。どうか、いい夢を」


「……ありがとうございます、フォレスター子爵夫人」


 足を動かし、もう振り返らない。

 新婚の次期侯爵夫人に恥をかかせた子爵家がどうなろうとも。

 どんなに立派なご夫人が、その命を懸けて詫びたとしても。


 ウェリントン侯爵家は、友人の顔をしてうまく取り入って利を得ようとした彼らのことを、次期侯爵が権力や財力の怖ろしさ、理不尽さを知り、正しく用いられるように成長させるための教材としか、見ていないわ。


 欲を出し、寄親からの注意を聞き流して、愚かな夜会を開いたという点では、ライスマル子爵家の自業自得という面もあるけれど。


 ……まさにマッチポンプですわ。理不尽としか、言いようがないもの。私に、新婚の旦那様に最初のダンスを踊ってもらえない妻という恥をかかせたのは、旦那様本人ですし。


 この理不尽に対して、ありがとうございますと言った大奥様の顔を思い出して、ちくりと痛む心がある私は、まだ、人間らしさを保てるかしら……。

 まあ、お金と引き換えに、この立場を手にしてしまったのですもの。責任は果たしますわ。


 エスコートもなく馬車に乗り込み、騎乗の護衛騎士をひとり、先にお屋敷へと向かわせます。旦那様用の迎えの馬車を出させるために。

 車内では無言ですけれども、クリステルが悲しそうな顔をしていますわね。この子……私よりも年上ですけれど……武門の生まれだからか、素直ですものね。羨ましいですわ。


 お屋敷に戻ると、スチュワートがばっちり、待っていますわね……はあ……。


「お早いお帰りですね、奥様。何か、ございましたか?」


「……夜会で、大きな恥をかかされたわ、スチュワート。すぐに王都の各商会へ伝令を。ライスマル子爵家との取引を行えば、ウェリントン侯爵領の通行を認めないと。……港も含めて」


「奥様、それは……」

「次期侯爵夫人に恥をかかせたの。何度も言わせないで、スチュワート。お義母さまからは今朝、事前に了解を取っています。すぐに人を遣って。あと、マンチェストル侯爵家とも連絡を取るわ。執務室に手紙を用意してあるから、それを届けて頂戴」


「今朝……? 執務室に手紙……」


 そんなに堂々と、前もって準備していたということを匂わせるな、とでも言うように、スチュワートが苦い顔をしていますわね。知ったことではございませんけれど。


「ライスマル子爵家の動きを監視する人も用意して。お義母さまには、本家も動かしていいと言われているわ。それと、ライスマル子爵の従兄弟が西の王領で文官をしているらしいの。調査して、どんな人か確かめて。あ、そうだわ、ウェンディー男爵家の次男も調べておいて。使えそうな人なの」


「……かしこまりました」

「あと、すぐに執務室にミセス・ボードレーリルとオルタニア夫人を。もちろん、スチュワート、あなたもよ」


 うふふ……私、今、機嫌が悪いの。申し訳ないけれど、八つ当たりも含めて、ストレスは発散しますわ!





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