第6話 お金は、あるところにはありますね



「……年間予算が100万ドラクマ!?」

「奥様、他に見ている者がいないとはいえ、もう少し、声を小さくなさいますよう……」


 執務室でフォレスター子爵家の予算書を見て思わず声を出してしまった私をそっとたしなめたのは家令のスチュワートです。スチュワート・シーズニング子爵令息。しかも嫡男。跡継ぎ。


 シーズニング子爵家はウェリントン侯爵家の寄子で、現子爵であるウィルロバート・シーズニング子爵は、侯爵家の家令を務めていますね。日本風に言えば家老とか宿老とか、そういう感じ?


 うちのタラシ子爵……失礼。うちの旦那様が侯爵位を継いだら、スチュワートがシーズニング子爵位を継いで、侯爵家の家令となる予定、だそうで。つまりは代々侯爵家の家令を務める一族の跡取りさんですわ。


「跡継ぎに与える子爵位とはいえ、予算、多過ぎないかしら?」

「どうなのでしょうか? 他家についてはよく知りませんので。ただ、ウェリントン侯爵家は領地からの基本的な税収だけで1000万ドラクマ以上の収入がございます。トリンドバーグの港の関税やノーザマウントの鉱山収入も合わせればどうなるか。そう考えれば、フォレスター子爵家に振り分けられた100万ドラクマは多いとも少ないともどちらにでも解釈できそうです」


 ……財政規模が違い過ぎますわ。これが力のある侯爵家ですか!? それとも、さすがは国内最有力の侯爵家と言うべきかしら?


「……私の私費として1万ドラクマとあるけれど、私の服飾費として別に5万ドラクマ、それに私の交際費で2万ドラクマというのもあるのよね? じゃあ私費って何かしら?」

「私費は、奥様が自由にお遣いになってよい、予算にございます」


「……自由に?」

「はい。特に縛りはございません」


 それ、お小遣いなのでは! 1万ドラクマ!? え? 私、お小遣い年間1億円なの!?


 ええ? ドレスとか宝石類とかは別の5万ドラクマで買えるのよね? お友達とのお茶会の準備とかはこれまた別の2万ドラクマがありますし? あ、子爵家で夜会を開く前提ですか? 高そうなワインとか? 夜会なんて開く気ないですけれど。


 ……じゃあ、お小遣いって、何に使うのかしらね?


「……それじゃあ、この、予備費の10万ドラクマというのは?」

「予備費は、予備費にございます。何かが必要になった時、足りない場合に使うものです」


 ……もしもの場合に10億円もあるというの!? どうなっておりますの!? ここ、ホントに子爵家ですか!? いえ、確かに予備費はもしもの時のために必要ですわね。冷静になるのよ、エカテリーナ。


 ……やっぱり無理ですわ! 冷静になるなんて無理ですわ! なによ、この家! 資金だらけだわ! お金持ちってすごいですわ! 冷静になんてなれませんわ!


「フォレスター子爵家は、爵位だけで、領地はなかったはずだから、収入は……」

「全てウェリントン侯爵家から賄われております。……増額を願いますか、奥様?」

「なんで!?」


「……奥様、言葉遣いが乱れておいでにございます。ご注意を。……増額については、奥様が予算に不安を持っていらっしゃるように思いましたので提案しました」

「ぞ、増額は必要、ありません。あの、スチュワート? 今年は、もう残り半年よね? まさか来年の予算はこの倍額とか?」


「いいえ、それはございません。ただ、旦那様が奥様と結婚なさいまして、フォレスター子爵家として屋敷を構えることになりましたから、最初はいろいろと予算も必要だろう、ということで半年でも1年分、用意して頂いております。来年、増額を求めないのであれば、年間100万ドラクマは変わらないかと」


「このお屋敷、新しく購入したの!?」

「ですから、声を小さくなさってください、奥様。……いいえ。ここは侯爵家の別邸のひとつでございます。これまでも、代々、跡継ぎであるフォレスター子爵が結婚したらこの屋敷を使っておりました」

「どうりで……」


 衣装室にものすごくたくさんの古いドレスが保管されていると思いましたわ! あれ、お義母さまとか、お義祖母さまとかのドレスってことよね?


 あ、年間5万ドラクマも服飾費があれば、私のドレスもこれからあの中にどんどん追加されていくんですね、わかりました……謎ではなく、たくさん存在するドレスは自然現象でしたわ……。


「何か?」

「いえ。衣装室にあった古いドレスの謎が解けたわ」

「ああ、それは、たくさんあったでしょうね」


 衝撃的なくらいたくさんありましたわ……。


「次は所有資産だけど……」


 フォレスター子爵家には領地はないはずです。爵位だけ。

 でも、資産がいっぱいありますわね……どれも高そうな不動産ですし……。


 チェスター湖の別荘とか、レンゲル高原の別荘とか、トリンドバーグの港に停泊させている帆船とか、その港町の屋敷とか、他にもいくつかの町の屋敷とか、マークスの谷の農園とか……え? サンハイムの山荘!? これって!


「スチュワート。サンハイムの山荘って、サザンプトン伯爵領の?」


「……そうですね。前子爵夫人だったレクシアラネさまが買い取ったと、父から聞いたことがございます。当時は温泉ブームの終わり頃だったとか。サンハイムの山荘が気になりますか? 山荘を維持する使用人はいますが、もう5、6年はこちらから誰も訪れていないかと」


「……そう。お義母さまが買い取ったのね。あそこは、元はケンブリッジ伯爵家の山荘だったの。子どもの頃、おばあさまに連れられて行ったことがあるわ。懐かしいわね」

「そうでございましたか。不思議な縁でございますね」


 実家の伯爵家が借金苦の中で手放したものがこんなところで!


 ……そのうち、遊びに行こうかしらね?






 夕方、旦那様であるタラシ子爵……いえ。フォレスター子爵がお帰りになりますと、玄関でお出迎えですわね。大切な奥様としてのお仕事です。もちろん、朝も玄関でお見送り致します。


 とはいっても、旦那様は3日に一度しか帰ってきません。


 旦那様のお仕事は近衛騎士! ドクズ男のクセに体育会系とは意外な感じです。ですが、近衛、というところはイケメンの旦那様だからでしょう。近衛騎士は顔も大事ですから。

 騎士団の精鋭でも、顔がいまいちだと近衛騎士には選ばれないのです。残念ながら。

 本当の実力者は護衛騎士になります。ガチな護り手ですね。あまり顔出しはないようです。


 近衛騎士はあれですね、別名、式典騎士とか言われてます。もちろん、騎士として認められる程度には剣や槍の実力はあります。たぶん。知りませんけれど。でも、見た目、大事。


 そんな近衛騎士にも王宮での夜勤があるので、旦那様の帰りは3日に一度なのです。


 ……なーんて、ウソ。


 ちゃんと知ってますわ。近衛騎士の夜勤は3日に一度。

 だから、3日に二度は帰ってくるのが本当の姿になるのですけれど、うちの旦那様ってば、3日に一度しか帰ってこないのです。


 まあ、ドクズがドクズたる姿をさらしているだけですけれど。本当に、高位貴族としての自覚がなくて心配になりますわね。ああ、私がその手綱でしたわね……。


 もちろん、帰れるのに帰ってこない日は、まあ、そういうことです。ドクズがどっかでオラオラプレイでもしているのでしょう。知りませんけれど。知りたいとも思いませんわ。


「おかえりなさいませ、旦那様。お勤め、ご苦労様でございます」

「ああ、ありがとう、リーナ」


 にっこりと微笑んでいらっしゃるようですが、私の視線はいつものようにアゴに集中です。


「何か、変わったことは? リーナ?」

「特にございません、旦那様」


 あると言えばあるし、ないと言えばないですわ。そもそも、このお屋敷での生活、3日目ですし。慣れない、という意味でなら、変わったことだらけでしょうに。


 初日、朝、侯爵家で旦那様をお見送りして、このお屋敷へ移動。旦那様、その日は帰らず。

 2日目、旦那様、帰らず。

 そして、本日、旦那様、帰宅。今、ここですわね。


 ……あ、変わったことって、旦那様が帰ってきたことでしょうか。


 いやいや、それ、口に出したらさすがにまずいですわよね。


「そう。では、また夕食でね、リーナ」


 私と結婚してから筆頭侍従となったマクシムを引き連れた旦那様が階段を上って部屋へ向かいます。着替えて、それから夕食です。

 私はそのまま食堂へ行って待つ、と。着替える必要、ないですものね。


「若奥様、よろしいでしょうか?」


 食堂で声をかけてきたのは家政婦のウィンストレット・ボードレーリル子爵夫人。腰に付けた鍵束がじゃらりと鳴る。家政婦とはメイドではなく、お屋敷の女性使用人のトップです。いろんなところの鍵を握る存在。そう言うとなんか強そうですわね……。


「何かしら、ミセス・ボードレーリル?」


 この人、うちのドクズ……訂正。うちの旦那様の乳母だった人とのこと。


 旦那様はミセス・ボードレーリルのことをレティと呼びます。

 もちろん、ボードレーリル子爵家はウェリントン侯爵家の寄子ですわ。当然のことながら、ボードレーリル子爵家の嫡男さんは旦那様の乳兄弟でもあります。


 フォレスター子爵家の家政婦になっても、この人の主はお義母さまのままなのでしょう。私のことは『若奥様』呼ばわり。


 スチュワートやオルタニア夫人は普通に『奥様』って呼びますわ。


 ……嫌な予感しかしませんの。高位貴族らしい、嫌な、何か、ですわね。


「若奥様が欠席で返答を用意なさっていたライスマル子爵家の夜会でございますが、ライスマル子爵家のご次男であるスラーフェスト・ライスマルさまはレスターさまと同じく近衛騎士、そして同年の、訓練所での騎士見習いの頃からのご親友でございまして」


「あら、そうなの」


「子爵家の夜会ですので、規模は小さいものではございますが、出席で返事を致しました」

「は……?」


 何を言ってるのかしら、コイツは!? 出席で返事? どういうことよ!?





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