第16話 動き出す欲望(2)



「奥様、タイラント・ダドリー子爵令息がいらっしゃいました」

「ここへ通して」


「執務室ですか? 応接室ではなく?」

「ダドリー家は……いえ、カーライル商会は、話が早いのがお好みなの」


「……わかりました」


 屋敷の執務室で準備した書類に目を通しながら、スチュワートとの間で短いやり取り。スチュワートが一度執務室を出て行く。


 ……そういえば、何年ぶりくらいかしら? 結婚式はいなかったものね。


 執務室のソファには針子のサラが座っています。ものすごーく緊張しているみたいだけれど、こればっかりは仕方がありませんわね。


 戻ったスチュワートが一人の男性を案内してきました。侍従はいないようですわね。まあ、子爵令息のしかも三男ですもの。そうでしょうね。


 私は椅子から立ち上がって出迎えます。サラも慌てて立ち上がったわね。


「奥様、タイラント・ダドリー子爵令息をお連れしました」

「ありがとう、スチュワート。下がらず、ここに控えて頂戴」


「フォレスター子爵夫人、お久しぶりです。タイラント・ダドリーでございます」

「タイラントおにいさま、そういう挨拶は別にいいわ。ここでなら昔のようにリーナと呼んでかまいませんことよ」


「……いや、さすがに、嫁いで、それは」


 タイラントおにいさまはちらりとスチュワートを見た。まあ、そうなるわよね。


「スチュワートはもう、私がどんな人間か、知ってるわ。大丈夫、もう諦めたみたいなのよ」

「つまり、おにいさまと呼ぶ従兄を馬にして、何時間も乗り回すお転婆娘だと知られているということか?」


「あら、小さな子どもの頃の話を? 恥ずかしいわ」

「そこまで小さくはなかったぞ?」

「そうだったかしら?」

「奥様、そのようなことをなさってらしたのですか……」


「……リーナ。猫を被るって言葉、知ってるかい?」

「もちろんよ。私が、有り余る時間で何をしてたか、知らないの?」

「ああ、図書館か……」


「本当に、どうしてそんな噂が流れたのかしらね……? 立ち話もなんだから座りましょう、おにいさま」


 私はタイラントおにいさまに席を指し示しながら、自分もソファへ座ります。

 スチュワートとサラは立ったまま。


「サラ、あなたもここへ座ってね。できればスチュワートも、と言いたいのだけれど、それはダメなのでしょう?」


 サラはドギマギしながらソファに腰を下ろし、スチュワートは座らないという強い意思を示すように力強くうなずく。いや、そんなに力、入れなくてもいいわ。


「……それで、商会を作りたいって?」


 そう。商会を作るの。私のための。それでは、エカテリーナ、行きます!


「会頭として年間50ドラクマ。今年はもう半年もないから30ドラクマで」

「いきなり報酬の話かい? 本当にあのじいさまの血が濃いな?」


「どうなの?」

「ドレスメーカーだろ? 交渉したいところだが、そういうのはいい。でも、もう一声かな?」


「年間60ドラクマ。毎年、出来高で判断して最大20ドラクマまで、追加するわ。3年ごとに年額も契約更改しましょうか。今年の30ドラクマはそのままで、今年は1年とは数えません」

「まだまだ若造だし、いいよ、それで。衣食住の手配は?」


「とりあえずこの屋敷の客間を。服は、しばらくは今、タイラントおにいさまが使っているものを持ち込んでくださいね」

「ここの? 客間? え? 本気なのか? 物件、探してないのかい?」


「考えていることはあるの。でも、まだ、準備が、ね」


「……まあ、いいや。どうせ今のところ、商会に雇えるのは私しかいないんだろうしね」

「ある意味ではその通りよ、タイラントおにいさま。頼りにしてるわね」


 私がにっこりと微笑めば、タイラントおにいさまも笑顔を返してくれるのだけれど、なぜかその笑顔のやり取りにサラが震えてますわね……。


 メイドが用意してくれたお茶を飲む。私が飲まないとタイラントおにいさまが飲めないものね。


 今、私に付いている侍女はクリステル。私の背後に立っています。侍女というか、隠れた護衛よね。タイラントおにいさま相手にその心配はいらないとは思うけれど。


「それで、もう少し具体的な話を詰めようか?」


「ええ。商会の名前はザラクロ商会。会頭はここにいるサラよ。マダム・シンクレアのところで修行していた針子なの。あと二人、針子がいるわ。最初は3人ね。少しずつ、人は増やしたいわね」


「……待って。会頭は私では? それとマダム・シンクレアの? え? これから商会を作るんじゃないのかい?」

「あら、ごめんなさい。私ったら。頭の中ではきっちり商会の形があったものだから説明を忘れていたわね」


「商会の……形?」


 あの日。

 うちのド……旦那様から10万ドラクマ、巻き上げることが決まった、あの日から、ずっと。


 どのように事業展開をしてお金を稼ぐか、考え続けていましたわ! 資金がなくて手を出せなかった、私の、前世から続く大きな夢ですもの! 経・営・者! 資・本・家! 最高ですわ!


「タイラントおにいさまにはナナラブ商会を運営して頂きます」


「……さっきから、商会の名前がどうにも気になるけれど、まあ、リーナのネーミングセンスには期待できないんだろうね。それで、ドレスメーカーと聞いていたけれど、それがその、ザラクロ商会で、そこの彼女、サラさんが会頭だというのなら、私が会頭になるナナラブ商会は何をするんだい?」


「ナナラブ商会は出資と融資よ。それと、今はザラクロ商会の手助けね。特に会計関係で」

「自分でやらせればいいだろう?」


「いずれは、ね。商会が小さいうちはおにいさまにお願いするわ。ついでに、できる子を育てて頂戴」

「まるで商会が大きくなるのが前提みたいだな」


「もちろんよ」

「あの、その、奥様……」


 びくびくとしたサラが、立ち上がろうとして倒れそうになる産まれたての子鹿さんみたいに震えながら、私とタイラントおにいさまの会話に割って入りましたわね。どうしてそんなに震えているのかしら?


「私が、その、ドレスメーカーとなる商会の、会頭になるお話に聞こえたのですが、聞き間違いでしょうか……?」

「聞き間違ってないわ、サラ。そう言ったもの。あれ? 私、サラには説明してなかったかしら?」


「……初耳でございます、奥様。ええ、初耳でございますとも」

「そう? ごめんなさいね。でも、そうなるから、そのつもりで。もうドレスは売れているの。商会が後からできるだけだわ。よろしくね、マダム・サラ?」


「もうドレスを売ってるのか!?」

「ええ、まだ数は少ないけれど」

「ドレスだぞ? 安く、とは聞いていたけれど、それでもドレスだからな?」


「そうね。1着80ドラクマよ。ただし、社交シーズン終了後に、買ってもらったドレスを20ドラクマで買い戻す契約だから、1着60ドラクマね」


「……実質、ドレスを貸し出すようなものか。それにしても安いな? マダム・シンクレアのところで鍛えられた針子だろう? いったいどんなやり方で?」


「部外秘よ、いい?」

「当然だろう。商売の種を捨ててどうする?」


「古着の糸を解いて、ばらして、素材にして作るのよ。今のところ、その古着はこの屋敷の衣装室の物を利用しているわね。ああ、使った古着は、1着10ドラクマでザラクロ商会に買い取らせるわ。そういう古着の仕入れが、安さの秘密。話を付けられたら、私の実家の古着も買い取りたいわね。お祖母さまのドレスは、いい物ばかりだものね」


「……人件費を考えなければ、およそ1着で50ドラクマの利益、か。いや、そもそも人件費は考えなくてもいいくらい安いから、普通のドレスメーカーよりも、はるかに儲かってる可能性があるかもな……」


 タイラントおにいさまの言葉に、うんうんとサラもうなずいていますわね?


「そうなの?」

「そりゃそうだろ。二大ドレスメーカーが使ってる最高の生地とか、刺繍糸とか、そもそも材料が高いんだぞ。二大ドレスメーカー以外で小さいところは、ドレスの注文が入って、確実に利益が決まらないと生地の発注なんてできやしない」


 ……マダム・シンクレアは、そのままドレスに使えそうなくらい大きな生地で、私への色合わせをしていたわね。さすが二大ドレスメーカー。


「それで、何着売れた?」

「今のところ、17着ね。今年はこれでおしまい」


 お友達の3人が1着ずつで3着、私の侍女はクリステルが5着、アリーとユフィが2着ずつ、そして、私が5着、注文済ですわね。合計17着です。


 侍女のドレスは私に付いて参加する夜会用ですわ。


 ちなみに、私の侍女の分の支払いは、私の服飾費から負担するようです。スチュワートにそう言われました。でも、ドレスは侍女の物になりますの。侍女っておいしいわね……?





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