第39話 良薬は口に苦しというけれど(3)



 旦那様は侍従が差し出した小さな赤い箱を受け取り、それをうやうやしく、という感じで私の前に差し出してきました。

 この、辰砂のオレンジ系の赤い箱は、フェラール商会ですわね。初めて本物……かどうかはまだ判断できませんけれど、とにかく、初めて見ました。


 ……いえ、それよりも、なぜ旦那様がフェラール商会の小さな赤い箱を?


「これを、君に……」


 そう言って、旦那様が小箱のふたを外しました。

 中には、サファイアの指輪……うーん、旦那様の瞳の色に近づけようと考えたのかもしれませんけれど、少し青が濃くて……絶妙に微妙ですわ……。


 あと、やはりフェラール商会ですわね。夫人向け……新婚の、令嬢上がりの私のような者ではなく、もっと年配の夫人向けの宝石商ですから、サファイアでこのサイズなら確かに高価な指輪でしょうけれど、石が大き過ぎて、今の若さで私がこれを付けると、ちょっと、あまりにも、ねぇ……使うとしても、あと10年か……15年くらいしてから、なのかしら。


 ……いえ、そうではなく……いま、君に、と、おっしゃったような? 聞き間違いでしょうか?


「……これは、何ですの、旦那様?」

「指輪だよ、リー、ナ。君にはこれを付けて、明日の夜会に出てほしいんだよ、リーナ」


 ……贈り物、ということでしょうか? 私、きちんと年間予算の中に服飾費を振り分けて頂いておりますので、旦那様から私に似合いそうもない指輪など贈って頂かなくともよいのですけれど、今、この場でそれを指摘する訳にもいきませんわね。


「……ありがとうございます、旦那様。そのお気持ちが嬉しいですわ。とりあえず、着替えを。食事を済ませましょう」


 すっ、と、できるだけ旦那様の手に触れないように指先で赤い小箱を受け取り、ふたを戻しつつ、後ろに控えるタバサに預けます。


 そして、侍女共々、旦那様に道を譲り、いつもならこのまま食堂へと向かうところですけれど、一度、私室へと戻ります。


「オルタニア夫人……」

「はい、奥様」


「夕食後、旦那様をここに案内して話します」

「かしこまりました」


「……旦那様とスチュワートだけですわ」

「はい。その通りにいたします」


 ……スチュワート以外の侍従がいる中で、装飾品の贈り物についての小言とか、言えませんものね。


「……それにしても、どうして指輪の贈り物なんて、今さら?」

「理由は想像がつきますけれど、それは私が申し上げるまでもなく、奥様も理解していらっしゃるでしょう?」


「…………薬が効き過ぎたのかしら?」

「スチュワートによると、奥様は劇薬だそうです」


「……あなたもそう思っている、ということね? オルタニア夫人?」

「奥様はウェリントン侯爵家にとって間違いなく良薬にございます。効き目は抜群かと」


 ……苦い薬という訳ですわね! うまいことを言う、などと誉めたりしませんわよ?


 オルタニア夫人との関係がさらに気安いものとなっていますわ。やはり、秘密を共有すると、親密になれますわね。


 この日の夕食後、私の私室でお茶を飲んだ旦那様は、肩を落として出て行かれましたわ。この光景もだんだん見慣れてきましたわね。

 さすがに贈り物の指輪にダメ出しされたら落ち込みますわよね……。


 翌朝のお見送りの時に、サファイアの指輪をはめて行きました。もちろん、お見送りの後はすぐに外して、今夜の夜会には別の指輪で行く予定です。ひょっとすると、もう二度と使わないかもしれませんわね? 数年後に離婚した場合の、換金用宝飾品として、専用の宝石箱を用意しようかしら……。


 そう言えば、旦那様の顔を見ても、特に何も思わなくなってきましたわね? あのイケメンを見慣れてしまったのかしらね? いえ、私を見るといつも少しだけ旦那様の口元が引きつるからかもしれませんわね……。


 そんなことを考えていましたのですけれど……。


 夜会のために早く帰ってらっしゃった旦那様を出迎えましたところ……。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「リーナ、これを……」


 また赤い箱ですわ! 今度は縦長の長方形で! ……中は、サファイアのネックレス?


「今夜の夜会に付けてほしいんだ、リーナ」


 いえ、ネックレスならば石が少々大きくても別に問題はないのですけれど、扇襟とネックレスは相性が悪いのです……胸元が強調されますものね。そこから視線を外させるための扇襟ですのに。

 あと、絶妙に微妙な感じで、旦那様の瞳の色をほんの少しだけこれも外していますわ……。


 というか、なぜまた買ってきたのでしょうか? 昨日の話は理解できなかったのかしら?


「……旦那様。準備もありますので、時間はあまりとれませんけれど、私の部屋でお茶をどうぞ」


 もちろん、私室でお話、致しましたわ……。


 私に贈る宝飾品を買う前に、違約金の2000ドラクマを先にお支払いくださいませ、とにっこり笑って言えば、また、肩を落として出て行きましたわ。


 とりあえず、換金用宝石箱に放り込んで、私も夜会の準備を急ぎましょう……旦那様には申し訳ありませんけれど、あのサファイアのネックレスは付けませんわ。



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