第37話 麺と免

「期間限定のナポリタンというのは、どういうことなんだろうね」


 「さぁ、こういうのって客寄せの

商売文句みたいなものじゃないですか?」


 先輩はトマトソースを絡めた麺を小さく集め、

捕食者のような大きな口を大きく開けてパクりと口に入れた。


 もぐもぐと頬張る彼女は相変わらずマイペースなネコ科の動物のようで、

牙を隠し、静かに咀嚼する姿はまるで小動物。


 水族館内のレストラン、

価格880円のシンプルなナポリタン。


 きっとすでに調理済みの冷凍のパスタを温めて

出しているだけだろう。


 出なければこれだけの御客さん相手に厨房三人で回すのは難しい。



 なんて思ってもそれを口に出すのは、ご法度、無作法というものだ。


 例えるならテーマパークにきて

子供たちが群がるでっかいマスコットキャラクターに

「皆ぁ!この着ぐるみの中!おっさん入ってるよ!」

と大声で叫ぶくらいの同じくらいの空気の読めなさ。


 暗黙のルールを破る行為だと思うからその先は言わない。


 それ以上に聞きたいこともあるから。



 「協力って言いましたよね先輩」



 食事の沈黙を破り、話を切り出す。

ナポリタンをフォークに絡めてそれを豪快に喰らう。


❝自分は食べます!先輩の話を聞きます❞


という意思表示。


「君の協力者」そう言った言葉の続きは、

「食事の時にはなすよー」と

話をはぐらかされ、おあずけを喰らっていた。



「言ったっけ?そんなこと」


「・・・なにはの冗談はったならべふにいいで―――」

「樺月君ってさ、奈桜のどこが好きなの?」



 行儀悪くもこちらが話を降りようとすると乗ってきた。



 「ムグッ!グフッ!・・・好きじゃないですよ!」



 思わず口から吹き出そうになる麵達。


それらを喉に押し込み、胸を叩きながら反論した。



 「え?そうなの?

てっきり奈桜との恋愛を進めたくて私を水族館に誘ってくれたのかと思ったよ」


「何言ってるんですか!誘ってくれたの先輩ですッ!

それと、本人から聞きましたよ、飲み会のこと

旭川に話したんですよね・・・」



 「飲み会のこと・・・飲み会のこと・・・」


 彼女はフォークをくるくると皿の上で器用に回しながら

遠くの方を見る。



 「とぼけないでくださいよ、

男側の作戦女性陣に筒抜けだったんじゃないんですか!」


「あの箸置きの事か!

男女がいるサークルではよくある手段だよ。

今回はたまたま箸置きだったけど」


 「え?そうなんですか!?」


 「おしぼりの向きとか、スマホの向きとかね。

スマホは向けている間、操作出来ないというデメリットがあるみたいだよ?」


拝啓蒼太君へ


貴殿の作戦「オペレーションラビット」

は相手陣営に筒抜けだったそうです。

我々の努力は無駄です少佐。



 心の中で心無い敬礼。



『待てよ。ってことは、先輩は蒼汰に

好意を向けられていることに気づいてたってことだよな・・・』



 あの日の作戦に蒼汰も参加していたのを思い出した。



 「安心して!奈桜にしか箸置きの話は言ってないからさ」


 「いや、むしろ旭川に一番言って欲しくなかったですよ・・・」


 「どうして?」


 「どうしてって・・・」


 

 喉から出た言葉の後は空っぽで、それ以上何も出てくることは無かった。


 それもでも真面目な顔で、どこか面白がってる先輩に一矢報いたくなり、

持てる彼女への感情をそのまま口にした。



 「あの日、俺が旭川に兎を向けたのは本心じゃないからです。

それに最近仲良く話せるようになってきて、

そういう対象じゃないっていうか、

信頼されてる気持ちを裏切りたくないっていうか。

今は単純に旭川のやりたい事を応援したいんです」



 理由はふわりころりと転がり、動機の告げることで落ち着いた。


 

 「なるほど、じゃあ恋愛感情はない、と。

まぁ不愛想ではあるけどさ、

学生時代は他校からわざわざ彼女を見に来る人間がいるくらい

モテる子なんだけどなぁ?」

 


 「まぁ、初めて見た時は俺も美人って思いましたけど・・・

それ以上の感情は本当にないです」


 

「じゃあ、樺月君に奈桜を任せても大丈夫ということだね」



 こちらの考え抜いた言葉に対して、

返す言葉をあらかじめ用意していたかのように、

間も開けず、すんなりと返答されてしまった。



 「なんでそうなるんですか?」


 「海は好きかね?」


 「え?」



 質問を質問で返される。


 薄々思い始めていたが、

この先輩は自分のペースに相手を乗せるのが上手いというか強引な気がする。



 「まあ、嫌いじゃないですよ、

現に今も水族館見て回ってるくらいですし」

 

 「それは結構。私も好きだよ。

これ以上日に焼けるのは避けたいところなんだけどね」


 「はぁ、それで海がどうかしたんですか?」


 「7月初旬に海開きがあってスポーツ愛好会のメンバーと

他サークル合同で海水浴に行くんだけど、樺月君も参加でいいね」


 「はい!?」


「いや、だから海に―――」

「ちょっと待ってください」


 初めて先輩の言葉尻を聞く前にさえぎってしまった。


 だが、この話をとんとん拍子に進められるわけには行かなかった。


 彼女も少しだけ驚いた様子でパスタを巻いていた手が止まる。



 「俺、泳げないっす」


 

 ありのまま事実を正直に述べた。


 隠してどうなるわけでもない。


 泳げない、そういうとそんな人はたくさんいるだろうし

気にすることでもないかもしれない。


 だが≪泳げない≫という言い方は最大限、

自分の短所を隠すオブラートを何枚にも何枚にも包んだ言い方。


正確には「水に顔を付けることすら出来ない」 大のカナヅチ。


 鼻と口が水で塞がれ呼吸が一切出来ない状況に直面したとき

頭が真っ白になり、なにも考えられなくなってしまう。


 小学生の時、足の付かない大人向けのプールに飛び込んだ際

足がつかない底知れない恐怖と、沈んだ時に全身を覆い隠そうとする

冷たい感触と苦しい感覚がトラウマになっていた。


 それ以来は海や、プールなどといった、底が目に見えないような

水の中に足を踏み入れるのが大の苦手。


 とはいえ、お風呂や、温泉など、すぐに足が着くような水や、お湯は平気であり

日常生活では支障はない。


 プールや海などの限定的な場所に限るのだが、

今回のまさにそれで限定的な場所に該当している。



 「そっか泳げないんだ。

でも別に泳ぐことだけが海の楽しみ方じゃないよ、

砂浜とか、海の家でゆっくりしたっていいわけだし」


 バカにされたり、笑われたりするのを覚悟していたが

フォローされるだけだった。


 先輩は変わらない声と表情で人差し指の腹を天井に向ける。


 

 「いや、海恐怖症なんです」


 「さっきと言ってることが違うねぇ」


 

 ジト目でツッコミを入れられる。


 本当の理由は泳げないの先にあった。


 泳げないようなヤツが、スポーツをたしなむ連中に混ざって

海を謳歌出来るとは思えないからだ。


 自分は良くても周りの雰囲気や、空気というものが存在する。


 皆で泳ごうという空気なって断れない雰囲気が容易に想像できるし

渋々って場の空気を悪くするのも嫌だ。


 何より無理やり入れさせられてパニックにでもなった所を

見られでもしたら目も当てられない。


 先輩の誘いには申し訳ないが

体育会系のノリは正直苦手な為、行く気には全くなれない。



「まあ、そんなに行きたくないというのなら無理には誘わないよ。

ただ、大丈夫かなぁ?

奈桜の水着姿はいろんな人の目に留まってしまうんだろうなぁぁ」


「なんで旭川の話なんて」


「それは当然、奈桜も一緒に海に来ること以外ないでしょ?」



 ニィと口角が上がる先輩。

褐色の顎をひいて意味ありげな上目遣いに黒い前髪がかかる。



「後輩の水着で俺を釣ろうとしてませんか?

っていうか旭川が来るとは思えないんですけど」


「奈桜を知った気でいるのかい?

❝恋愛経験豊富な人間がくるから、恋愛教材の参考や勉強になるぞ❞

って言ったら首を縦に振ったよ」


『な、なんてちょろいんだ旭川・・・』



旭川が体育会系のノリではっちゃけているのは全く想像できなかったが

一連の話を聞いてあっさり想像出来てしまった。


 それよりも


「恋愛経験豊富な人間・・・」


 脳裏によぎる

金髪短髪の日焼けのちゃらついた男が頭の上に浮かぶ。


海に行く恋愛経験豊富な人間というフレーズだけで容易に想像出来てしまった。


そして、ジムで鍛えた腕と、はち切れんばかりの胸板で旭川の白い肩を力強く抱き、

無知な彼女を強引に集団から引き剥がしていく妄想へと発展した。


 先輩の言う手口の通り、

「勉強の為だよ」と言われれば旭川はホイホイついていってしまうような気がする。



「考えておきます」


「変わろうと努力している最中なのだろう?

変化は常に行動でしか起こらないよ」


 「また旭川に聞いたんですか?」


 眉を高くし、すっとぼけた表情で笑い八重歯がいたずらに見えかくれする。



 「聞いたなんて聞こえが悪いなぁ。

奈桜が君の話をしたとき言っていたんだよ、

彼は変わろうとしているってね。

きっと彼女はそういうところに目を付けたんだろうね」


 素直に喜んでいいのか分からなかった。

ただ、自分がいないところで旭川が自分の事を話しているのを知った時、

少しだけ嬉しかった。



 「で?どうするの?変わるの?変わらないの?」


 「聞き方が意地悪ですよ、先輩」


 「じゃあ質問を変えようか、

奈桜のおっぱい見たいの?見たくないの?」

 

 「先輩ッ!!」



 大きな声が出てしまった。



「冗談冗談!後輩いびりは先輩の特権だからねー」


食べ終えたパスタのフォークをさらに乗せ、

ナプキンで口元をつつきながら、先輩はふにゃふにゃとした口調で答える。



 男の欲求としては見せてもらえる以上みたいものである。


しかしその欲求と葛藤とは別に脳裏に浮かんだ

チャラ男が頭から離れなくなってしまった。


 「海に入らなくて≪こいつノリ悪いみたいな≫

みたいな空気になっても知りませんからね」


 「ほぅ、男の子だねぇ。大丈夫。

私がいる限り誰一人嫌な思いはさせないと約束しよう」


 「はぁ、頼りにしてますよ先輩・・・」


 それから水族館を出た後、

簡単な挨拶を済ませ別れると、

イルカのぬいぐるみと共に帰りの電車に乗り込んだ。


 そして帰路の中、海へ赴く覚悟を意気込む。


 夏の海、泥沼のような人間関係が始まることも知らずに。

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