第51話 恋愛問答  後半

 瑠璃音の笑みを含んだ問いに、

 一呼吸の間を含み、桜唇おうしんが開いた。



「恋愛は損得勘定そんとくかんじょうで打算的にするものじゃない。

互いを思い、慈しむ心。

尊ぶ気持ちや、いたわる心があって―――」

 「もぉ古典的でつまんないなぁ」



 奈桜の真っ直ぐな答えを示す前に、

くにゃりと柔らかな声が弾いた。



 「それは奈桜さんの理想とか、願望じゃん。

まぁ、それも一つの恋愛の形だとは思うけどさぁ。

私が今質問してるのは、だよ」



「っ・・・」


 言葉が弾かれたまま、それ以上、

喉から言葉が出てくることはなかった。


 彼女のやり方は、

間違っていると全身で感じてはいる。

だが彼女の問う恋愛の正しさとは、

なんたるかを説明は出来なかった。


 それはまるで、

瑠璃音の恋を肯定してしまうようで

奈桜はそれを、納得できず、目をそらした。


 下唇を噛み、行き場を失った手がシャツの裾を掴んだが、

そのシャツの中にも、答えは入っていない。



 瑠璃音は、

そんな奈桜の行動をひとしきり大きな瞳で下から捉えた後、

怒るでも、凄むでもなく、

空の入道雲に話しかけるように天を仰いだ。



 「意地悪な質問してごめんねぇ。

でも分かったでしょぉ?

 正しい恋愛なんてないんだよぉ。

 少なくとも私は、正しさなんて求めてない。

 

 人が自分の通帳に、

お金が貯まっていくのを眺めて安心するように、

 私は本気で愛してくれる人達を見て安心する。

そこに違いも間違いもないんだから」



 立ち止まる素足に、歩み寄る生足。



 「・・・どうして私にそんな話をするの?」


 「解ってもらえると思ったからだよぉ。

もしかしたら同じタイプの人なのかもって、

言うなれば、ただの女のかんかなぁ」


 「女の勘?」


「そ、恋愛自体に興味なさそうなのに、

その先に何か得ようとしている。そんな感じぃ?

でも私とは、考え方が違うみたいで、

今はちょっと残念。

 でも安心してよ、男女ふたりの恋仲を邪魔してまで、

何か得ようとするほど私は子供じゃないからぁ」



 接近を止めない瑠璃音。



 「そう・・・勘が外れたみたいで残念ね。

 それと、人の関係に横入れはしない自分は、

容量のいい大人だとでも言いたげだけど」


「んー異論があるのかなぁ」


「その考え自体は否定しないわ。

ただ、その理論で言うと、

瑠璃音さんは随分と子供だなって思って」



一歩も退かず、瑠璃音を見つめ、言い放つ奈桜に

瑠璃音は眉をピクリと刺激した。



「んー?どの辺がぁ?」



 退かない奈桜に、いよいよ迫った瑠璃音の胸が、

惜しげもなく、ずしりと当たる。


 両者とも恵まれたスタイルの持ち主だが、

瑠璃音がその包容力(物理)で上回り、

身長は下回っていた為、下から奈桜の胸は持ち上げられる形となった。


 だがそんな挑発的な接近にも奈桜はたじろぐこともなく、

瑠璃音の瞳の奥を一点に見つめ、

喉元に溜めていた言葉の矢を鋭く放った。




 「瑠璃音さん、

本当は樺月君のこと好きなのではないのかしら?」


 「・・・は?」


 波風香る穏やかな陽の元に、

不釣り合いな渇いた空気がひりつく。


 そのことの矢は獲物の急所を捉えたのか、

瑠璃音はズサリと後ろに下がり、

終始明るかった表情を一瞬で曇らせた。



 豊満でメリハリの柔肌に、

実を含んだような秋穂の艶髪。

内眼角から目じりにかけて、

愛くるしさ一杯に溢れた彼女だったが、

先の晴天のような面影は、今はない。


 奈桜はこの日初めて、

瑠璃音の笑みの消え去った顔を見た。



 だがその表情もつかの間、

次の波打ちがくるぶしを撫でたとき、

瑠璃音はパッと笑顔が咲き戻り、輝かせた。



「ありえないありえない。

もぉ何言ってるのぉ、奈桜さん?

自分の彼氏に少しちょっかいかけられたくらいで

適当なこと言わないでよぉ」


 「瑠璃音さん。

別れた人には、

って言ったわよね?」


 「言ったよ。私を好きじゃないなら興味ないもの。

かーくんに確認してもいいよ?私から連絡きたかどうか」



 下がった後ろ脚をごまかすように片方の足で、

そのかかとを引っ掻く瑠璃音。



 「もし本当に興味がないのなら、

どうして私にキーホルダー返すように渡してきたの?

そのまま捨てるか、直接本人に返せばよかったのに」



 瑠璃音と初めて対峙した日、

樺月と別れ、フタバコーヒーを出てすぐに話しかけられた

事を奈桜は疑問に思っていた。


 本人に渡さず、

自分を介したことに何か意味があるのでは、と。



 「だからぁ私からは連絡しないのぉ。

さっきも言ったでしょ?

それに大事そうに渡されたものを、

捨てたりなんて出来ないよぉ。

 キーホルダー渡すように頼んだのも、

たまたま奈桜さんとかーくんが一緒にいたのが、

見えたからだけだよぉ。

かーくんはすぐ見失っちゃったし」



 「たまたま・・・ね」


 「まだ何か言いたいのぉ?」


「ここからは私の憶測になるけれど」



 瑠璃音は腕組みして「どうぞ」と、

突き放すように言葉を返し、

奈桜は手の甲に肘を乗せ、小さく握った拳を顎に添えて

推理を話した。



「瑠璃音さん、彼に彼女が出来たかどうか、

それと自分は嫌われてしまったのか、

知りたかったんじゃないのかしら。

 

 思い出の品を使って、

彼と私に揺さぶりをかければ、

手っ取り早く両方確かめる事ができる。


 私を介することで、その場で私の反応を見て彼女なのか、自然に確認できるわけだし、

樺月君にブロックされていても、

彼の手に、その品が渡れば、

反応や、連絡をしてきてくれるかもしれない」



 真剣に言葉を選ぶその唇から、

目をそらさない瑠璃音。



 「長々と面白い考察だけど、こじつけだよぉ。

かーくんの電話番号変わったくらいで、

ブロックされたとか思うなんて

私メンヘラみたいじゃーん」



 笑顔で茶化しにかかる瑠璃音だったが、

奈桜はそれに感化されることはなかった。



「・・・私、

ブロックされたかどうかの話はしたけど、

彼の連絡先が変わった話は一回もしていないわよ」


「ぇ?」


「樺月君の連絡先が変わったかどうかは、

自分から連絡しないと分からないと思うけど」



 擦れた瑠璃音の声を隠すように白い波が響く。

だが白日の下に晒された素顔は、

隠れる術がなかった。


 大きな瞳の瞳孔はさらに開き、二点、三点と視点がぶれ、厚ぼったい唇は、

何かを噛み掴もうとワナワナと揺れ始める。



 「それとも他の誰かに聞いたのかしら、

興味がない人の連絡先が変わったのかどうか」



 奈桜は詰めるでも、

含みのあるような言い方をするでもなく、

だがはっきりと問いかけた。


 瑠璃音の覇気は失われ、

小さな体躯はより小さく、

か細く奈桜の目に映った。



「・・・本人、

そう、かーくんが言ってたの、海の家で・・・

スマホ古いから新しくしたって。

聞いてもないのに自分から、

てか、私が好きなわけないから」



 思い出したかのように探り探りに

言葉を紡ぐ瑠璃音に奈桜はそっとトドメを刺した。



 「樺月君、スマホ落として壊したのよ。

ちなみに、その時、スマホも買い替えたばかりだとぼやいていたわ」  

 


瑠璃音の唇はそれ以上、言い訳することはなく、

垂れた前髪に口から上を全部隠した。



 「へぇ。私にカマかけたんだ・・・

奈桜さんって意外と性格悪い人・・・」


 「勘でものを言ったのは悪かったと思っているわ。ごめんなさい。

でも確信に変わったのはさっきって言ったところよ」



「ふーん」と力ない返事が流れてきて、

それから二人は何を言うでもなく、

向かい合ったまま海水に足を何度か浸らせる。



 再び沈黙が訪れようとした瞬間、

瑠璃音は前髪に表情を隠したまま、

声を垂らす。



「好きならどうしてあんなこと―――」

「勘違いしないでね」



 芒色の毛先が揺れる



「そういうのじゃないから・・・

普通に違うし、ありえないでしょ。

私は好きなんかじゃない・・・」



 自分に言い聞かせるようにも聞こえる

彼女の小言に、

奈桜は心配の念を向け、

砂に少し埋もれた足を踏み出そうとしたが、


それより先に瑠璃音の足が泥を踏み込んできた。


だが、今度はぶつかるでもなく、

奈桜の肩を過ぎていく。


 揺れ広がる黒髪を無視し、

スタスタと砂を蹴って行く芒色の髪の後ろ姿。


 奈桜はその小金が人混みの中に、

小さく見えなくなるまで、

日焼け止めのボトルを、

握りしめることしかできなかった。








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