第50話 恋愛問答 前半

 奈桜の張り上げた声は厨房まで届いたのか、

彩愛が厨房の暖簾のれんから出てきた。


 

「どしたの?」



 お座敷の前まで出てきた彩愛の問いに、

互いに見つめ合う二人は答えない。


そんな一触即発なただならぬ空気にマリン部の女子三人は、

互いに顔を見合わせると居心地悪そうに目を伏せ、

そそくさとお座敷から外へ逃げて行った。



その際、三人が

「なんか修羅場っぽくない?」

「てか瑠璃っち元カレの話するの珍しいよねぇ?」

「確かに・・・」


と小声で話すのを彩愛は聞き逃さず、

堪らずため息を吐いた。


「・・・なーんか私、まずったっぽいな」


「ちょっとした雑談ですから、

先輩は気にしないでくださぁい。

 奈桜さんもぉ、そんな怒らないでぇ

かーくんと別れた原因の云々を聞いてきたのは奈桜さんでしょぉ?

私はただ、答えただけだよぉ」


 瑠璃音はいつものふわふわとした口調に戻り、

立ち膝で自分より高くなった奈桜に上目遣いではにかむ。


「瑠璃音さんの気まぐれと、本心でもない恋で

彼をどれだけ傷ついたか考えたことありますか?

自覚してたら彼の悪口なんて言えないと思います」


「えぇーなんか私が悪者みたぁい。

付き合ったら、別れるなんて誰もが経験することだよぉ?

てか、傷ついて可哀そうな、かーくんを丸め込んだのは奈桜さんでしょ?

新彼女ならその分、癒してあげればいいじゃん?」


 羽織っていたパーカーの袖を伸ばし、

奈桜の手を握る。


そのまま、指と指の付け根に自身の指を蛇のようにわせ、

互いの指と指を組んだ恋人繋ぎになった。


 奈桜も掴まれた時は、眉を高くするだけだった。


 だが必要に絡みついてくる得体のしれない不信感で

途中で手を放そうと腕を引こうとした時には既に手遅れ。


 ぎゅっと掴んだ瑠璃音の指と指が噛みついて離れない。



「というか、そもそも本当に付き合ってるのかなぁ?」

「っ!?・・・急に何ですか?」


 「だってぇ、かーくんってぇ。

顔は普通、特技なし

金持ちでもなければ、恋愛ベタの口下手。

奈桜さんが好きになるような要素ないと思うんだよねぇ」


 立ち膝の奈桜に視線を合わせるように瑠璃音もひざを立て、

絡み合った指は根元までぴったり入った。


 続けて目の前の奈桜にだけ、聞こえるような小さな声で呟く。



「考えられるとしたら後は体の相性がいいとかぁ?

・・・いやでもそれは絶対ないかぁ

今日だって私が、甘えていいよぉって

せっかく誘ってあげたのに、

体も触れずに断っちゃうような、度胸なしだし。

そんな男が旭川さんに手を出せるわけないもんねぇ」


「・・・断った?」



 奈桜の脳裏に、海の家での出来事がちらつく。



「そうそう。荷物番してる時、

緊張して全然喋らないからさぁ、

私なりに優しく緊張ほぐしてあげよっかなぁって。

あ、でも誤解しないで。

 その時は、私もかーくんが奈桜さんと付き合ってるなんて知らなくて、

揶揄からかい半分に悪戯いたずらしただけだからぁ。

でも、断られちゃったから奈桜さん的にはセーフだよねぇ?」



 瑠璃音は絡ませた奈桜の指を持ち上げると、

グッと自身の胸に押し当て、

「かーくんホントはスケベなくせに強がっちゃって」

と付け足した。



 彼女の谷間に飲み込まれていく手をじっと見つめた奈桜は、

抵抗するでもなく、目じりと肩を下げた。



 「私の勘違いだったってこと・・・

彼は何も悪くなかった」



 誰に投げるでもないその言葉に、

瑠璃音は首をわかりやすく横に傾け、

二人の様子を黙って見つめていた彩愛も二人の異様な様子に

「奈桜?」と心配が漏れる。



「んー、奈桜さん。海辺を少し歩かない?」



 瑠璃音はパッと手を解き、

返事を待たずにお座敷を降りた。



「恋バナしようよ」


 ふわりと反転し、

ミルキーブロンドの髪が揺れる。

 

 瑠璃音は奈桜とのちょっとした騒動で、

店内の注目を集めてしまった事に気付き憂慮した。



「わかったわ。でも一つお願いしてもいいかしら」


「いいけどぉ、ここでなきゃだめぇ?」


奈桜をせかすように振り返り、

両手の甲を腰に当てる。



「瑠璃音さんの谷間の汗で手がぐっしょりで・・・

ちょっと・・・手を洗ってきてもいいかしら?」



 ジトッとした目で訴える奈桜。


 瑠璃音もすかさず

「悪かったわねっ!汗っかきなのっ!」

と顔を真っ赤にして一足先に出て行った。






◆◆◆








 「日焼け止めいる?」


 「いえ、自分がバックの中にありますから」


 「敬語やめてよぉ、それに付けたの朝でしょぉ、

日焼け止めの効果は2時間。

それに奈桜さん、海入ったでしょぉ?

入ったら塗り直す、日焼け防止の鉄則ぅ」


 カモメの群れが空を浮かび、

磯と砂の匂いを風が運ぶ砂浜に、

芒色すすきいろの髪と漆色うるしいろの髪が並ぶ。


 アンダースローで小さなボトル投げる瑠璃音、

奈桜はそれを両手で受け止める。



 「携帯用のやつ、奈桜さんにあげるよぉ」


 「・・・ありがとうございます」


 「敬語ぉ」


 「・・・ありがとう」



❝よろしい❞と顔に書いて笑顔を向けた。


 並び歩く二人だが、

正確には、軽快に歩く瑠璃音の、

二歩後について歩く奈桜。


 二人は、それ以上付かず離れずの距離。


 波と共に揺れる沈黙を割ったのは、

波打ち際に足跡をわざとらしく残す瑠璃音だった。



 「どうして人は恋愛とかで、

付き合ったりするんだと思う?」


 「急になに?」


 「いいからいいからぁ!どうしてだと思う?」


 「・・・どうしてって」



 奈桜はその問いに、答えを持っていなかった。


 どちらかというとその模範解答を、

自分も知りたい側の人間だ。



 質問者はもったいぶらず、

後ろ歩きで奈桜を瞳の中に捕らえた。



 「人はね、安心したいんだよ。

友達を作って群れたり、

恋愛して誰かと一緒に過ごしたり、

結婚したり、お金を貯めるのだってそう。

 みんな安心したいの。

日常生活を晒して切り売りしたり、

SNSで動画をアップしたりするのだってそう。

そうやって自己認証欲求を満たす行為は全て、

安心する為なんだよ」


 「・・・安心?」


 

 奈桜はその場から動けず、

瑠璃音の瞳から逃げられずにいた。



「そ、私はね、人に愛されるとすごく安心する。

大事にされてるんだな、ここにいていいんだな

って思える。

 愛してくれる人が、多ければ多いほど、

満たされる。

それが私にとっての安心」



 瑠璃音は雄弁に語り、両手の平を広げて見せた。

その手とは対照的に奈桜は、

自らの拳を手の平で包み、

しゃくに障られたように口をへの字にした。


  

 「じゃあ瑠璃音さんにとっての安心の指標は、

SNSでいいねの数が増えるのと、

人から向けられる好意の数が、

同じ意味を持つのかしら?」



 「もぉ、考え方が極端だなぁ。

方向性は同じかもだけど、質が全く違うよ。

 あんな一生懸命乳揺らしながら踊って、

画面の外の見ず知らずの男達に媚びて、

やっすいハート貰って安心してる女の子とは、

安心の質がぜーんぜん。まるで別物だよぉ」



 瑠璃音は終始ふわふわとした口調と口角をあげたまま話す。

 奈桜にとっては、

それがどこか不気味で仕方なかった。



 「幾千の注目より、1つの愛だよ奈桜さん。

私は本気で愛されたいの。

❝もう私無しじゃ生きれない!❞

❝瑠璃音と別れるなら死ぬ!❞って言われるくらい。

そう思って貰える為なら、

私も努力を惜しまないよぉ。

 それこそ、«その為ならなんでもする»ってやつ。

恋ってそういうものでしょ?」



 どろっとした不快感が、

胸の内に垂れていくのを奈桜は感じた。



 「その安心とやらを増やす為に、

樺月君に必要に絡んでいたの?」



 樺月本人から、

飲み会の夜に瑠璃音と会って二人きりで話した事を奈桜は知っている。


 詳しくは問わなかったが、

彼曰く、自身が彼女に迫り、さらに嫌われたの事だった。


 だが、思う点がいくつかある。


 彼と付き合っていた頃に貰っというキーホルダーを、

わざわざ奈桜という人間を介して渡してほしいと頼むこと。


 今日の荷物番も、わざわざ樺月と一緒にすることを選んだ行為。

予め順番を、マリン部の方で決まっていたとしても、嫌なら断るなり、

他の人と変わってもらう選択肢もあったはずだ。



 「えー、絡むのたまたま会うからだよぉ。

それに私のこと好きじゃない人に、

私は興味ないからぁ。

実際、別れた人には私から一切連絡しないしぃ。

今回、荷物番一緒になったのも偶然だよぉ」


「・・・そう」



 彼女の真意を確かめる術はない。

だが瑠璃音という人間の生き方を、

ありのまま受け止める気にはなれなかった。


 その思いに呼応するように奈桜の足は

瑠璃音の後を追うのをやめ、立ち止まった。



そして、溜まった不快を吐瀉するように声を吐く。



 「・・・生き方は人それぞれだと思う。

でも、瑠璃音さん。貴方の恋愛は歪んでいるわ、

それは愛でも恋でもない。

貴方の安心エゴを恋愛と呼ぶのは間違っている」



 人の恋は人の数だけあるのを頭で理解している。

それでも、ソレを恋や愛と呼ぶには、

あまりに汚れていると、心が許せず、口が否定した。


 だが真剣な顔で否定する奈桜を、

瑠璃音は嘲笑った。



 「間違ってる?ふふ、変なのぉ。

じゃあ聞くけど、正しい恋愛って何?」



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