第49話 恋愛不審

 「恋愛相談があるって聞いてたんだけどぉ。

なんか空気違うなぁ」


 「私も勉強になると聞いていたんですけど・・・

貴方だったとは」



 砂浜の温度は今日一番となり、

白の蜃気楼と青い波の揺らめきが

炎天下に溢れる人々を点にする。


肉と野菜をジュージューと焦がす音と

烏合の衆の騒ぎの中、広間の端っこで、

七瀬瑠璃音と旭川奈桜は、

長テーブルを挟んで席に着いた。



「貴方、だなんてお堅い言い方はやめてよぉ

瑠璃音でいいよ。同い年でしょ?柴先輩に聞いたよぉ?

同い年で恋愛事に困ってる子がいるから、

協力してあげてって」


 そう言って瑠璃音は柴彩愛のいる方に視線を向ける。

柴は厨房で使った鉄板を、銀色のたわしで黙々と磨いていた。


「二人っきり・・・とまではいかないけどぉ、

色々とお話出来るね。奈桜さん」


「二人っきりになるタイミングはもあったと思いますけど」


 «この前»、それは毎週土曜日に柴樺月とフタバコーヒーで小一時間程、話をしたあと、

いつものように別れた、ある夕方のことである。


 街中で会った瑠璃音から、

水晶型のキーホルダーを託され、

それが奈桜と瑠璃音の初めての会話だった。


 当初奈桜は、名前を聞くこともままならず、

一方的に物を押し付けられてしまった形になった為、

彼女が何者なのか理解できず終いだったのだが

今日、瑠璃音という名を聞き、

彼女が誰で、彼の何なのかを理解した。


 彼女、七瀬瑠璃音は、柴樺月の元カノであり、

彼にココアを御馳走をする代わりに聞いた、

失恋話の大本となる人物であると。



 「あの時はちょっと忙しくてさぁ。

早めにキーホルダー返してあげてくださいね。

まあ、そのことは後で話すとして。

こんなに早いタイミングで合うなんて私も想定外で驚いたよぉ」



 冷静に状況を整理する奈桜を、

瑠璃音は一点に見つめると、

不敵な笑みを浮かべた。


 そして胸元まで開いていたパーカーのチャックを、

首の上まですっぽり閉めると、 

机の上にその丸みを帯びた膨らみをわざとらしく、ぽふんと乗せて見せた。



 「想定外と言えばぁ、もう一つ。奈桜さん、

樺月君と付き合ってるんだってねぇ、

そっちの方が私的にはびっくりしたなぁ」


「ええ。私も同じく驚きました。

樺月君の元恋人が瑠璃音さんだったなんて・・・」


「あれぇ!私、

かーくんと付き合ってた、なんて言ったかなぁ」


 

人差し指のパステルカラーのネイルを見せつけるように、長い指先を熟れた下唇に当てる瑠璃音。



 「樺月君本人から前に付き合っていた人の話は聞いたので」


 「えぇー、元カノの事、イマ彼に聞くなんて、

奈桜さんって意外と嫉妬深いんだねぇ。

・・・そういう奈桜さん達はどっちから告白したのぉ?まあ何となく想像着くけどぉ」


「・・・想像にお任せします」


 奈桜の切って断つような言葉に、

二人の間に沈黙が走った。


 そのまま向かい合い目を合わせていると、

不意に、奈桜の背後の壁がドンと鳴った。



「すみませーんボール当てちゃいましたぁ」


 外で遊んでいる人のボールを当ててしまい、

謝る女性の声が壁の向こう聞こえる。


 だが二人は立ち上がって確認することも、

反応することもなく、

視線をだけを交えている。


 互いに怒りを露わにするでもなく、

笑みを誘うような雰囲気もない真っ白な視線。



 「想像にお任せかぁ。ふーん。

私の事はかーくんに聞いて、

自分たちの事は教えてくれないんだぁ」


 「まあいいけど」と瑠璃音は、

最後に冷たく付け足すと、

話のかじを切り、不自然に声を大きくした。



「かーくん、大変でしょ~!?」


「・・・何がですか?」


 急に声が大きくなった瑠璃音に、

奈桜は少し困惑し、口角を下げる。



 「何ってぇ。すごい求めてくるじゃん?

何度も手を繋ごうとして来たりぃ、やたらホテルに誘ったりぃ!

露骨すぎて引いちゃったよぉ」



 瑠璃音は胸の前に、両手の五本の指先だけ合わせ口を尖らせると、

 パステルカラーの爪達がキラキラと光り

花に集まる蝶のようにマリン部の女子が三人、

「えーなになにー?なんの話ー?」

と瑠璃音の声に釣られて顔を机に並べてきた。



 「私の元カレの話だよぉ、あっ、ゴメン。

今は奈桜さんの彼氏かぁ」


 

 瑠璃音は世間話をするかのよう、

悪びれる素振りもなく続ける。



 「付き合ってた時から私の胸ばっかり見るしぃ、

なんかぁ、おっぱいに話しかけられてるっていうかぁ、

少しは自重してよって感じでぇ。

 今日だって水着見せただけで鼻の下伸ばしちゃって。

って、イマカノさんの前でする話じゃないかぁ」


 「そりゃ瑠璃音のスタイルみたら女子でもガン見だって」

 「確かにー」


 「えぇーやめてよぉ?」



 マリン部の女性達は自然と話の輪を作っていた。



 「渋谷でデートしたときもぉ、

2時間くらい遅れてもかーくん全然怒んないのぉ、

«俺も今来たとこだから»、とかいってぇ

そんなわけないのにフォロー下手過ぎて笑っちゃったぁ」


 「えっ!やっば!

だったらデート無しでよかったじゃん」


「しかもぉその時クリスマス前の雪で、

頭に雪被って鼻真っ赤にしてさぁ、トナカイみたいでさぁ

そんな人と一緒に歩きたくないよぉ」


「やば過ぎ!忠犬ハチ公じゃん!

てか遅刻する瑠璃音も罪だよぉ」



 輪の中でドッと笑いが溢れる。

奈桜一人を除いて。


 正午を過ぎ、店内は再び海へ繰り出す人がちらほら出始めていた。

それでも賑わっている勢いは変わらず、

大きな笑い声はすぐに店内に溶けていく。



 「そんな童貞丸出しのかーくんに求められ続けて、

奈桜さんは実は迷惑してるんじゃないのかなぁ、って思って」


 「・・・」


 顎を引いた瑠璃音の、

目元に垂れた前髪の分け目から冷たい視線が伸びる。


 だが奈桜は目をまぶたを下げることなく、

大きな瞳を凛と見開いて答えた。



「彼と一緒にいて、迷惑だと思った事は一度もありません」



 瑠璃音は、眉を少し高くして一呼吸程度硬直する。



 そしてすぐに表情を柔らかく戻した。



「そうなんだぁ、確かに、かーくんちょろいしぃ、テキトーな嘘でも

なんでも信じてくれるから扱いやすくて、そこは大変じゃなかったかもぉ」



 「・・・ちょっと、瑠璃っち・・・言い過ぎじゃない?」



パッと笑顔が弾ける瑠璃音と、

黙ったまま彼女を見つめる奈桜を見て、

マリン部の一人が只ならぬ空気を感じ、ブレーキをかけた。


 だが、二人のエンジンは静かに始めていた。



「瑠璃音さんが樺月君と別れたのは、

彼が求めてくることだけが原因ですか?」


 奈桜は眉一つ動かさず、ゆっくりと落ち着いた物腰で、

ありながらもはっきりと瑠璃音をに声を通す。



「だったら何?」



 瑠璃音も笑顔を崩さない。

柔らかな表情の下に、氷のような凍てつさを隠そうともせずに。



「もぉ、奈桜さんったらぁ、質問ばっかりぃ。

恋愛相談を受けるつもりだったんだけどなぁ。

また色々答えるっていうのは変わらないかぁ」


「・・・どうなんですか?」


「違うよ」


先までの、もったいぶるような口調とは一転、

瑠璃音は色の無い声で答える。



 「まあ確かに、たくさん求められるのもメンドウだなって

思ったりはしたけど、一番はね、好きじゃなかったから」


「好きじゃない?」


 奈桜の瞳は、

始めから恋愛への疑問や、恋の話を参考にしようとするような

ものではない。


 事の本質を知ろうとするような、

ただ真剣に事を見据え、凛とした態度。


毅然きぜんとし、堂々とした立ち振る舞いに

瑠璃音も少しも態度は変わらず、いつもの調子で話す。



 「そ!かーくんに連絡先交換しようって言われたときも、

告白されたときも、デートしてたときも、

私は正直なんとも思ってなかった。

ただ、男の人に好きって言われるのって嬉しいし、

好意に対して、お返しはしたいじゃん?

そういう気持ちと、退屈じゃなくなるかもって思って

お試しに付き合ってみただけ、

本気の恋じゃなかったの」



「彼は本気でしたよ?」


 奈桜は毎週聞いていた。

柴崎樺月という人間がどれだけ瑠璃音に恋をしていたのかを。


 恥じらうことも、照れもせず、

彼女への愛を雄弁に語る姿を。


聞いたこちらが恥ずかしくなるほど真っ直ぐに、

語る彼女への思いは、どれも大げさで、

どれだけ本気だったかなど、一考の余地もないほどだった。


 それなのに、失恋した時のショックは笑い話のように話していた。

最初は失恋での照れ隠しなのかと思った。


だが毎週のように失恋話を包み隠さず、

それでいて楽しそうに話すのは、

元カノを好き嫌い以前に、

大切だと思っているからなのだと気づいた時、

本気の恋が何なのか、核心に触れた気がした。


 彼は初恋から失恋の際に至るまで、

瑠璃音とその思い出の全てに感謝しているのである。



 「彼は本気で貴方を大切にしようとして―――」

 「知ってるよぉ!私の事本気で好きになってくれてたの

一番近くで見てきたの私だもん」


「彼の気持ちを本当に分かってたのなら

彼を悪く言うのはやめてくだいっ」



 奈桜は声を今日一番の声を張り上げた。

立ち膝になり、座る瑠璃音を見下す。


店内の連中も異変に気付いたのか、

少しの静寂に包まれ、

波音一回がその静けさごとさらった


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