第19話 ココロの器

 「まぁ、だいたい話は分かったわ」


 時刻は夕暮れ時、街は影を長く作り火照ったアスファルト達を冷まし始め、

それを踏む二つの影も長く背を伸ばしていた。



 店を出て隣を静かに歩く旭川は、

西日を正面に受けて可憐さに神々しさが加味される。


 『黙ってれば本当に美人だな。

いや、基本は黙ってる子なんだろうけど』


 あの酷い謗言そしりごとの後、

周りからの軽蔑の目にも耐えながら

必死に昨晩に起きた事の顛末を全て話した。


 勿論、元カノ―――瑠璃音との全て包み隠さず。


 最初は白眼視はくがんしされてしまっていたが、

必死の弁明の甲斐あって、ため息と共によこしまあやまちは

とりあえず水に流してもらえたようだ。



 「カフェで話し込むなんてことした事なかったけど、

意外と時間が経つのは早く感じるな。」


 「ドーパミンの効果の一つよ。

時間が経つのが速く感じるのではなく、

ドーパミンの分泌によって、

脳内で予想していた滞在時間よりも

その場に居た時間の方が長いという

ど忘れに近い感覚ね」



 「なるほど」と手の平に拳を打つが、

彼女は前を向き歩いたまま―――


 「そんなことよりも、

聞きたい話があるんだけど」

「そんなことよりってなんだよ!」


 帰り道の話題の種に撒いた話をそんな風に言われるのは、

ほんのちょっとだけ傷つくから思わずこちらもへらず口が出る。



 「聞きたいとか言って、

また吐ける場所とか言わないでくれよ」


「失礼な男ね!今日スマホ買うの付き合って、

ココアも奢ったのだからそれで差し引きゼロよ」


 ちょっとムッとして横顔が不覚にも可愛い。


 半日以上一緒にいたおかげで軽口を叩ける程には

話せるようになっていた。



 どうやら今日の一連のことは彼女なりの償いだったらしい。

確かにココアを頼んだ時、かたくなに「私が出す」と

言って聞かなかった。



 「話は戻るけど、どうなりたいのかって聞いたわよね?

今の貴方の心境になった理由は聞いたけれど、

最初の質問のまだ答えを聞いていなかったわ

改めて教えてもらってもいいかしら?」


 「どうなりたいって、そんなの分かったら苦労しないよ。

今の状況を変えたいし、自分自身変わりたいけど、

どうすればいいか分からないし」



 将来も恋愛もそう、何が正しい選択かなんて分からない。

正解も解答用紙も存在せず、定義すらないのだから。



 「じゃあもし、前の彼女が貴方とよりを戻したいって

言ったらどうするの?また付き合うの?」



「付き合わないよ」



きっぱり言うと旭川は眉を高くする。



 「意外ね、浮気されたってところは暗かったけど

その彼女の話をしている時の貴方はすごく楽しそうだった。

だからあれだけの事を言われてもまだ好きなんだと思っていたけれど。」


  彼女はずっと前を見つめ歩く。


  「まだ好きだよ」


 「そう、じゃあ好きなのに付き合わないのは

自分が傷付きたくないから?」



  一瞬だけ旭川の顔がこちらを向いたが、また前に戻った。



  「違うよ、相手を傷付けたくないから」



 彼女は道半ば足を止めた。

 


 「ごめんなさい、言っている言葉の意味がよく分からないわ。

 好きな人がよりを戻したいって言うなら、

大抵の人は、また傷付くのが嫌で付き合わないか

好きだから傷付くのを我慢して付き合うのどちらかだと思うけど。」



 気付けば道は大通りから外れ、

人は殆どいない街路地に二つの影が止まる。



 「確かに色々言われたし、ショックだって思うことは多かったけど、

それを彼女に聞いたのは俺だし、言わせたのも俺なんだ。

 言う方も嫌な思いをしたと思う。もしまた付き合ってしまったら、

自分の悪かったところを聞けてない俺は、

また彼女に嫌な言葉を言わせちゃうから・・・

だからよりは戻さないよ」


 「・・・馬鹿ね」

「馬鹿ってなんだっ!」



 内心清々しさすら感じ出た言葉だったのに、

旭川は手を顔に当て、深くめ息をついた。



 「貴方みたいな人、お人好しって言うのよ」


 『いやアンタには言われたくないよ』


 腹のうちでツッコを入れる。



 「変わりたいって言っていたけれど、

それは、≪よりを戻したいから≫という意味ではなかったのね。」


 「うん、変わりたいのは誰かの為じゃない、自分の為だ。

今の自分は好きになれない。

納得できる自分になりたい。

自身が持てる男になりたい。」



 手のひらを見つめ拳を作る。


 何も持っていない、掴めていない拳



 「ナルシストってこと?」

「違うわッ!引いた目で見るなッ!言葉のあやだよ」



 肩引く彼女を見て、

自分の言った事が少し恥ずかしくなってきた。



 「というかやたら質問してくるな」


 「職業病かしらね?気になる事、

知りたいことをそのままにしておくのは

気がすまない性分しょうぶんなのよ」



 そういう割には、

さげすまれてから一度も彼女はメモを取っていない。



「気になるって、そんな変なこと言った?」



 「変なことは言ってないけど、

貴方って自分が思っている以上に変な人よ。

 

 本来、人って自分のことで精いっぱい。

 相手の事なんて考えてあげられない。

ましてや自分の心が沢山の感情で一杯になればなるほど、

他人の事なんて考えてあげられる余裕なんてない。


 もしかしたら貴方は人に優しく出来る心の器が、

人一倍大きいのかもしれないわね」



 彼女は自分の言葉を確かめるように小さく頷いた。

初めて旭川に褒められた気がする。


 同時に自分の心の底に溜まったよどみが

彼女の小さく見せた笑顔に洗い流されていくのを感じた。


 そして柔らかな表情でありながら真剣な瞳で続けて口を開いた。




 「今思っていること、単刀直入に言うわ。

貴方がした失恋、そしてこれからの恋、

私に買わせて貰えないかしら」


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