第20話 ハジメの一歩

 「買いたいって・・・どういうこと?」



 都心の狭い群青の空、

西日が眠らない時間に気短な街灯達が目を覚まし始める。



 「そのままの意味よ。

言ったでしょ、私作家だって。

 恋愛の体験やそこで得た経験は誰も奪えないその人だけの財産。

私は一人の作家としてそれが知りたい。

安心して、貴方の恋愛談をそのまま執筆する気はないから。

あくまで欲しいのは今までの経験談これからの体験談。

もちろん買うと言った以上タダでとは言わないわ。前金として―――」

「ちょいちょちょいッ!」



 彼女の急な仕事人っぽい口調に慌てて割って止める。

急に饒舌になったのも少し怖かった

 

 「いろいろツッコミたいところはあるが、

買うって恋愛談とか恋愛話の事なのね。」


 てっきり自分が彼氏として買われるのかと思っていた。


 半分残念で半分安心。



 「それなら恋愛の知識と経験なら自分の体験談を書けばいいだろ。

それか恋愛ドラマ見るとか映画とか・・・」



 「私、恋愛経験がないから自分の体験談は皆無よ。」



  思わぬカミングアウト。

恥ずかしげもなく凛とした顔ではっきりと言われ面を喰らう。



 「それに、ドラマや映画はフィクション。

勉強にはなっても参考にはならないわ。」


 「じゃあ、友達に聞くっていうのは?」


 「聞けないわ、『作品作りの参考に失恋話聞かせて』だなんて。

ましてやタダで聞こうだなんて。

かと言ってお金を渡すような関係になってしまったら、

友達以前に人間関係が破綻しているからもう友達とは呼べないわ」


 「律儀というか、真面目というか。

じゃあ俺との関係は何なんだよ・・・

遠回しにディスられている気がするのだが」



 こちらの苦言に対し旭川は、

額の上に答えでも書いているかの少し考えてから



 「家に連れ込んで裸を見せてきて、

私が必死に稼いだお金を毎週払う程度の関係よ」



街を歩く若い女性達に、二度見しながら振り返り凝視された。



 「おいやめろ!今の言葉、語弊と誤解が錬成されてるぞ!」


 「間違えたわ」


 「いーやわざとだろ!マジでやめて、胃が痛くなる」



 再び鋭い周囲の目線に下っ腹を押さえてしまう。



 「冗談よ。気にしないで」


 「俺じゃないよ周りの目が気になるんだよっ」


 冗談を言うような人間には見えなかったが、

あまりのブラックに胃もたれしそうだ。



 「こういうのって、ビジネスパートナーって言うのかしら。

私は恋愛における男性側の経験や、知識が得られる。

貴方は過去の話や、この先の恋愛話をして生活が潤う。

悪い話ではないと思うけれど。」


 「嘘ついたり、過去の話に脚色を加えるかもしれないぞ」


 「いいえ、貴方はそんなことしないわ。」


 彼女は少し口角を上げ、安堵の表情で確証を持っているかのように

自信満々に言った。



 「なんで言い切れるんだよ。

俺の事、信用できる男って思ってくれてるのか」


 「思ってないわ。貴方、嘘をつくのが苦手だもの。

嘘が得意なら公衆の面前でラブホテルに行きたかったなんて本音は

口が裂けても出ないはずよ」


 「ぐぬぅ」



まだ癒えぬ胸の傷に再び針が刺さる。



 「一括で全て話せとは言わないわ、

定期購読ってあるでしょ?今ってサブスクっていうのかしら。」


  「人のプライバシーを定期購読するな」


  「大丈夫よ、恋愛以外の事は話さなくていいから。

 ただし私の聞いた質問には必ず答えること、

 そして恋愛の進捗情報を毎週報告すること。

それを条件に私もいい値で―――」


「待て待て、話を勝手に進め過ぎだ」



 再び彼女の言葉に口を挟んだ。



「そもそも俺はお金なんて受け取れないし

人に話せるような立派な恋愛談を御持ちではないんだよ。

付き合ったのだって1回しかないし・・・」


「変わりたいって、

納得できる自分になりたいって言った貴方の言葉が決定打よ?

 私が知りたいのは過去の恋愛話だけじゃない。

これからの恋愛談、とどのつまり。

貴方のを見届けたいのよ、一人の作家として」



そう言って旭川は再びこちらに歩き出した。



 「変わりたいって本当に思うなら、何事にも挑戦したらいいと思う。

何でもまずはやってみる。

 やめるのは明日でも、一時間後でもいい。

踏み出す一歩は小さくていい。

大切なのはどこへ踏み出すかではなく、いつ踏み出すか。

手伝うわよ、為の最初の一歩」



 すれ違い流れる髪から鼻先を通るシャンプーの香り、

また車の通りのある広い道に出て行っては、

横断歩道の信号の前に、白く細いその背中は止まった。



彼女の言う通りだ。


 変わりたいって気持ち一つでは何も変われない

過去にとらわれていてはダメだってわかっている。



 『新しい恋でも、新しい自分になるのも、

周りに変えてもらうじゃない、自分で変えなきゃいけない。

誰かに決めてもらったり諭されたりしてばかりではダメだ。

自分で動くんだ』



「アイスココアだ!」


 彼女を追うように一歩進んで、小さな背に大きな声をかけた。


 周りの通行人たちが一斉にこちらを見たが

誰よりも驚いたように振り返ったのは旭川。


凛とした瞳が、今は子猫のように丸くなっている。



「お金はいらない。

その代わり、毎週アイスココアを御馳走してくれ。

そしたら進捗しんちょくでもなんでも話してやる!

俺がいい男になるまで付き合ってもらうぞ!」


 言葉と共に、やたら拳に力が入った。


 その拳は何かを掴もうと思いっきり握った拳。




 そして横断歩道の信号が青になった。


 彼女は二歩、三歩と白線を確認するように歩き出し、振り向く。


 ふわりと広がる白のプリーツスカート



「行くわよ、それと宜しくね、樺月くん」


 初めて呼ばれた自分の名前と、

見せた満面の笑顔は

いとも容易たやすく、この足を前に引っ張った。

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