第21話 夜とメモ

「ただいまー」


 部屋の電気を付ける

入ってすぐの棚に鍵を投げ置き、

居間に体を投げた。


 一人暮らしでは当然返事は帰って来ないが、

黙って家に入るのも物寂しいので普段から

「ただいま」は必ず言うようにしている。


 「今日はなんだかんだ忙しかったな」


 静寂の部屋はいつもの事なのに、

今日はなぜかいつにも増して少し寂しい。

 

 床の冷たさも、いつもより肌に馴染まない。


 寂しさからのがれようと、

ポケットのスマホを確認する。


 通知0の初期設定画面

名も知らない花の壁紙。


 新品の傷一つないスマホは、

今日の出来事が夢ではないことを教えてくれた。



 「色々あったけど、

あんな美人な同級生を家に泊めただけではなく、

一日行動を共にするなんて少し前の俺からしたら大躍進だよな?」



 静けさに訊ねても返事はない。



 スマホに入っていた、友達との写真やラインのやり取りが全て消えたことに悲壮感は多少あるが、

それでも嬉しいこともある。


 友達リスト一名【奈桜】


 旭川奈桜と連絡先を交換していたのだ。

あの後駅前で「スマホ貸して」と言われ、

彼女の方から連絡先を登録してくれた。



「どうしよう、なんか送ったほうがいいのかな。


«登録できていますか?樺月です»


って送るか?

いやいやいや!。旭川が登録してくれたのに

その確認は変だろ!」


 なんて送ったらいいか分からず、

スマホを抱いて暫く転がったのち。



「風呂入ろう」



 慣れない動揺に思考が停止し、

不思議に冷静になった。


 スマホを机に置いてお風呂場に向かう。


先程得た冷静さは、見つけた一枚の洋服に簡単にひっくり返えされる。


見つけたのは洗濯籠に入っていた【平和主義者】と書かれたシャツとステテコパンツ。


 脳を焼き走る激震。


「こ、これって、旭川が素裸に着てたやつ・・・」


誰に証言するでもなく口から真実が洩れた。


 倍速再生のように記憶を早回しする。


 腕以外の肌を見たのは、

へそと腰のくびれと生足しのみ。


 そして素裸だと証拠付ける、

彼女の下着の脳内映像。


「つまり髪を乾かしていた時も、

面と向かって話していた時も

ノーブラノーパンだった・・・ッてこと?」


 今更気付く朝の幸福と呼ぶべき時間。


 そして今、部屋に一人。


 扉の鍵も施錠され、

誰かの目に触れられることもない。


 完全犯罪の動悸と下準備は意図せずとも

出来上がっていた。


 飲み会での事が脳裏に浮かぶ。

旭川が吐く前、前かがみになって見えた胸の谷間。

そして胸の上のホクロ。


 一緒にいる時は会話に集中していた為、

そこまで意識することはなかったが、

何となくそのTシャツを手に取ってしまった。


 いつも着ている自分の服だというのに、

妙な緊張感と背徳感が迫る


『旭川が着ていた服』


生唾を飲む喉越しが自分でもはっきり聞こえる






そして、それを思いっきり






 洗濯機に投げ入れた。




「ハーッ!無理無理っ!

童貞には到底無理だからッ!

俺にだって男の矜持きょうじってものがあるからねッ!

あああああ旭川は友達ぃ?だしぃ?

友達の匂いなんて嗅ぐ訳ないじゃん!

だいたい使ったのだって

俺んちシャンプーだしッ!」



 投げ込んだ洗濯機に向かって必死に弁明した。


 悶々とした感情を運動エネルギーに変換


 さながらカートゥーンアニメのように

高速で服を脱ぎ捨て、

カラスの行水で素早く風呂を済ませると

過ちを犯す前に布団にダイブした。



「いだぁぁぁぁぁぁっ!!!」



 布団の上をまるでトランポリンように

跳ね上がってしまった。

 

 同時に腹に激痛。


 火傷でもしたかのような痛みを押さえ、

ダイブした布団の異常を探り、掛け布団をめくる。


 「ボールペン?」


 先に布団で寝ていたのは黒のボールペンだった。

半身はまだ毛布にくるまり芯の先が起きている。


 「なんでボールペン!?腹に刺さったぞ。

痛すぎる・・・」


 雑草を抜くように乱暴に片手で引っこ抜くと、

同時に根っこのようにリングノートのメモ帳がパラパラと音を立てて現れた。


 ボールペンのクリップに挟んだリングノートのメモ帳は手のひらサイズの大きさ。


 すぐに旭川のモノだと理解した。


合コンでメモを取っていたと本人が話していたし、

この布団で最後に寝たのは彼女だからだ。


 何と無しに手にとってみるが、

ページをめくるか悩んだ。


 仮にも個人の所有物、

何が書いてあるかわからないし

人の私生活を勝手に見るのは、いささか失礼なのではないかと一考する。


『なにが書いてあるかわからない・・・』


 そのフレーズが人の良心に、

ヒヤリと不安を流す。


『もし、俺の悪口書いてあったらどうしよう』


 躊躇い踏みとどまった甲斐もなく虚しくて

恐る恐るページを開いてしまった。


 白いノートの見開きには、沢山の

と走り書きがされている。


 どれも綺麗な文字で、

気になる内容が沢山あった。



【5月1日分】


【知らない男性と会話をするのは少し緊張する】


【お酒が飲めるかどうか心配。

でも友達がいれば大丈夫、心強い】


【話してる人の目を見る、喋れるように頑張る】


【先に飲んではいけないルールがあるらしい、みんなで乾杯してから飲むと調べた】


 等々飲み会に至るまでのルールや感想が書かれている。


 指でなぞりながらさっと目を通していくと、

気なる文に目が止まった。


【目の前で不幸そうな男性を見た。

スマホが壊れたらしい。都会は冷たい】


【飲み会の席で不幸そうな男性と向かいの席になった。驚いた。

やはり落ち込んでいるように見える】



「俺の事だ・・・」



乾いた下唇を噛みながら、再び目を走らせる。



【会話に全然ついていけず話せない。

都市伝説はよくわからない。勉強の余地あり】


【初めて飲んだお酒の味は酷く苦い、

炭酸水化と思ったのに。

後味最悪、表現不可】


【飲み会とは、

飲みながら会話を楽しむのだと事前に調べている。

だが私は会話を盛り上げられていない。

話が下手である以上、飲まなければ失礼だ】



「旭川、お酒飲めないのに無理してあんなに飲んでいたのか・・・」



 自分も会話に殆ど参加は出来ていなかった。


それでも真向いの席でひたすら飲んでいた彼女を見ていた為、飲める人なのだと勝手に思っていた。



【よばれたからにはせきむを】


 見開きのメモはそこで書き終わっていた。


 最後の文字はミミズの這ったような乱筆。



 『どんだけ真面目なんだよ。

会話が出来ない自分を嘆いて、

周りに合わせて頑張って飲んで』


 彼女の真面目さに、

感心と呆れながらページをめくると

さらに少しだけ文章が書かれていることに気付く。



【AM3時。酔い潰れて眠ってしまった。

人に吐いてしまった。

励ますつもりが、とても酷いことをしてしまった。最低な気分。お酒は二度と飲まない】


【樺月君の部屋、樺月君の布団で寝いた。

男性の布団で目を覚ますだなんて

上下左右が全部が逆になったかのよう。

パニックになりそう。書いて落ち着こう】



「俺の名前を認識していたのか、全然名前で呼ばれなかったから覚えられてないと思ってた。」


 名前を一度も呼ばれていなかったことを、

正直少し気にしていた


【助けるつもりが助けてもらっていた。

申し訳なさと感謝の気持ちが溢れてくる。

胸が痛むとはこのことだろう。

私の粗相で嫌われてしまったに違いない

謝りたい】



【何か恩返しがしたい。嫌われていても。

ごはん作ったら食べてもらえるだろうか。

お酒が残っている気持ち悪い、少し横に】



 メモはそこで終わっており、

他には何も書いてなかった。


 ノートを閉じた。


 彼女なりに考え、

思うところがあったことを知った。


 メモに書いてあったご飯の件が気になり、

スマホを持って冷蔵庫に向かう。


 すぐ見える台所は綺麗に掃除されていた。


普段から殆ど使うことはないが、

だからこそわかる、

彼女にシンクまで綺麗にされている。


 おもむろに開けた冷蔵庫の扉には

買った覚えのないサンドイッチが皿の上に乗っていた。


 丁寧にラップまで掛けており、

空っぽな冷蔵庫の中央に鎮座している。



 「最初に送る文か・・・」


冷蔵庫を閉める前に、持っていたスマホに

迷いなくメッセージを入力する。



 【昨日はお疲れ様、そして今日はありがとう】



 送信ボタンと共に冷蔵庫の中に手を伸ばした

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