第18話 兎とイヌ

―――コーヒーショップ「フタバ」


 主に女性に人気がありガールズトークをする場や、

学生たちのたまり場としても有名な飲食店である。


 ここでは甘い飲み物のラインナップが特に充実しており、

目の前で黙々とストローを咥える旭川奈桜をテーブルを挟んで

ブレイクタイムと洒落込しゃれこんでいた。






 「作家って絵を描いたり曲を作ったりする、あの作家!?」


 おどろく声に、グラスの氷もおどろいたようにカランと落ちた。



 「私、絵は下手だし、音楽は苦手なほうよ。

私が作るのは小説、小説作家」


 そう言って彼女は、

まだ何も書いてない真新しいページに何か描いて見せてきた。


 「これは?・・・」


 「犬よ」

「いぬ・・・」



 何故彼女が犬の絵を描いたのかわからない。

だが確かに動物と呼ぶにはあまりにも不格好な体躯と画力の低さで、

お世辞にも上手とは言えなかった。


 犬とめいされたその生き物は

手足がテトリスのパーツみたいに角ばっている。


 とてもその四足では歩けないだろう。

それを悲壮するようにいぬの表情もどこか苦しそうだ。



 「・・・なんで犬?」


 「犬が好きなのよ、犬からは嫌われるけれど。

それと小説家が、自分は小説家だとぐに証明出来るものなんて持っていないから、

せめて画家ではないことは証明しようと・・・」


『画家ではない証明って必要か?・・・

犬の絵描いて見せたかっただけでは』


 旭川は少し抜けているというか天然系なのかと思う節がある。


 知的な話し方と落ち着いた女性というイメージは変わらないが、

時々変なことを真面目な顔で平然とやってのけるからだ。



 「メモ帳で日々の出来事や体験したことを書いて持っておくの。

書き物を生業なりわいにしていると、外から得られる知識や情報は

全て資産になるから。

 飲み会の時は勉強になる事が多くて、

ほとんど下を向いてしまっていたけれど、

もっと会話に参加するべきだと少し反省しているわ」


 そう言って先程まで手に持っていたメモ帳を机の上に置いた。

角ばった犬の絵を見開きにしている為、不気味な瞳と目が合う。



 「小説家志望じゃなくプロの作家なのか?」


 「志望していたのは高校生の頃。

今は書いた原稿で収入を得ているから、

作家が正しい表現だと思う」


 彼女は終始真面目な表情で淡々と続けた。

嘘を言うような人間には見えない、おそらく本当の事なのだろう。


 「あなたは?」


 「俺?」


 「そうよ」と首を傾け、続ける。


 「大学に入ったのだから何か目的があって入ったんじゃないの?」


 「・・・いや、具体的な夢なんてないよ」


 大学に入れて貰った親には悪いが、

正直なところ、ご立派な目的なんてない。


 高校生の頃から将来の夢といった目標も無く、

学生を延長したいを気分で大学に入ったのだ。


 当時担任の先生から

「自分の将来と向き合う時間は勉強しながらでもいい」

と言われた言葉が胸に刺さり、その言葉をもって親を説得したが、

そんなものていのいい屁理屈だった。


 結局のところ、

社会の歯車になりたくなかったのだ。



 「そう。じゃあ今は何してるの?」


 「今・・・」



 彼女はストローに再び淡紅色たんこうしょくの唇をつけ、返事を待つ。


 『俺は今何をしてるんだ』


 彼女の待っている答えは、

「ココア飲んでるー」でも「休日を美人と過ごしているー」

などという冗談ではないだろう。


 それは真っ直ぐにこちらを見つめる瞳を見ればわかる。


 だからこそ、答えを言えずにいた。

答えなど持っていないからだ。


 目的もなく、目の前の単位の為、授業を受けるだけ。

今も働いている人間を、窓の外からぼんやりと見つめ、

自分もこうなるのかと嘆くだけ。


 今の自分は初恋の失恋に落ち込み、

何もせず立ち止まっているだけの

空っぽな人間だ。


 「何もしてないよ。だらだらと生きてるだけだ。」


 それが答え。


 なにの間違ったことも言ってない。

100点満点の生き方大間違い。


 でもそれが今の自分なのだ。


 だが彼女の望んでいた回答ではなかったらしく、

少し考えた顔をした後、また質問が飛んできた。



 「質問を変えるわ。どうなりたいの?」


 「さっきからなんだよ。カウンセリングの先生みたいだぞ」



 きっと彼女の望む答えなど持ち合わせてはいない。

 

 ものぐさそうに言い返すが、

旭川は呪文で店員さんから召喚した飲み物を少し飲むだけで

おくすることはなかった。



 「あなたの性格なら失礼なことを言うけど、

ずっと元気が無いように見えるわ。

 最初はスマホが壊れて元気がないと思っていたけど、

新しいの買ってからも表情に覇気がない。


 飲み会の席で蒼汰さんが話していたわ、

❝樺月はとても明るく気さくな人間だ❞って。

でもここに居る今も、そういう風には見ないわ」



 心配してくれているのだろうか。

それともあの夜のからまだ責任を感じているのだろうか。

その表情は少しだけかげりが見えた。



「蒼汰のやつそんなこと言ってたのか。

でもあの日、居酒屋の廊下で話を聞いてたら何となく分かるだろ。

俺がフラれた元カノに今度は拒絶されて気が滅入めいってたんだ。」


「待って、失恋の話なんて聞いてないわ」



 テーブルに勢い良く飲み物を置き、姿勢を直す旭川。


 再びアイスココアに残った氷が崩れ、

互いの思い違いの全容が混ざり見えてくるかのように、

水とココアが混交こんこうし始めた。



 「え?聞いてたんだろ、俺が元カノと話してたこと。

それで同じ境遇だから手伝うって言ってくれたんじゃないのか?」


 「何の話?私があなたに声を掛けたのは壊れたスマホのことよ。

私もこの前、スマホ落として画面を割ってしまったから」


 

 沈黙ののち



「「え?」」


 

 初めて互いの心境が重なった。



 「ちょっと待ってくれるかしら・・・

そうするとケータイショップに行く気はなかったってことよね。

店内に入った時、何とも思わなかったの?」


「思ったさ!あれ何で俺スマホ買ってるんだろーってなったわ!

こないだ最新機種買ったばっかりなのに、何でまた新しいの買ったんだろって。

 でも、旭川が❝これ買ったら私と同じ機種よ❞って言うからてっきりオソロイがいいのかと・・・」


 ショップにて、

スマホのサンプルを眺めている時に横で言われた言葉だ。


 てっきり同じスマホにして欲しいという、

女心か求愛か何かのサインだと思っていた。



 「そんな訳ないでしょう。どういう頭の構造してたら貴方のような

とオソロイにしたいだなんて言うのよ。

 私と同じ機種なら、操作の説明とかスクリーンショットの撮り方とか教えてあげられるって意味で言ったのよ。」


「変態男・・・」



思いもよらない心的外傷に弁明の言葉が出ない。



「一つ確認してもいいかしら」


「なんでしょう」と力なく答えると、

探偵モノの主人公のような神妙しんみょう面持おももちで訊ねてきた。



「私が出かけましょうって言った時、どこに行くと思ったの?」


「さ、さんぽ・・・かな・・・」

「散歩ならあんなに念入りに

財布の中身を確認してくても大丈夫だと思うんだけれど」



 逃げ惑う言葉を、剣閃のような鋭い指摘が裂く


 質問は既に拷問へと変わっていた。


 あたりのシティガールズから冷ややかな視線が体中に突き刺さる。

これ以上の言い逃れは出来ない。


 「ラブホテルに行くんだと思ってました・・・すいません」


 注目を浴びる中、罵声を浴びる覚悟でびた。


 もちろん許されるワケもなく、

彼女はゆっくりと胸を隠すように両肩を抱くと、

言葉による一撃を放った。



 「ドスケベ変態 恋愛対象外男」


 【変態男】は無事【ドスケベ変態恋愛対象外男】

へと進化を遂げ


 新たなる技「ちいさくなる」を習得しました。





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