第16話 羊のハラワタ

 「まあたナンパされたんかーこの牛ちち娘がぁ」


 「ちょっとぉやめてよぉ」



———居酒屋【きっちり】のとある個室




 毎回胸を揉まれるのも慣れたけど、毎回ブラの位置がズレるから

あんまりしないでほしい。



 「それにしても珍しいよね、瑠璃音が居酒屋行きたいだなんて」


 「そうかなぁ、私だって飲みたくなる時あるよぉ」



 ここに来るのも久しぶりだ。


 大学から近いこの居酒屋は、

知り合いとばったり会う確率が高いという理由から

出来るだけ避けているのだが、

今日はちょっとした理由で

同じ大学の友達、結花ゆかと一緒に来ていた。



 「さっき話してた人って知り合い?よく見えなかったけど」


 「友達だよ・・・友達ぃ」


 席に着いて早々の話を流しながらスマホの時間確認する。


 ラインの通知が22件。


 1人1人既読にするのも面倒だから全部は見ない。



 「・・・ていうかいきなり電話してくんな」


 「ん?なんか言った?」


 「ううん、言ただの独り言ぉ」



 スマホ画面を越しに前髪を手櫛てぐしで直しながら

コテアイロンで巻いた髪も確認する。


 大丈夫、相変わらず可愛い。


 完全個室なのに周りの声が大きく、少しイライラしていた為、

ムッとしていた自分の表情を可愛らしく作り直すと

結花がグラスを見つめながら訊ねてきた。



「そういえばあと二人まだこないのかな?」


「なんかぁ、用事あって来れないみたぁい」



 実のところ、

「今日の飲み会キャンセルになったぁ」

と嘘の連絡をしていた。


 最初は四人くらいで飲もうかなって気持ちだったけれど、

時間合わせるのも次第に面倒くさくなり、

結花と二人で話せればいいか、という気持ちになっていた。


 今日ここに来る道中も気だるくて、

何度かキャンセルして家に帰ろうと思っていたくらいだ。



 「なーんで私こんなところに来てるんだろ」


 「なんでって瑠璃音が急に居酒屋行きたいって言ったんじゃん」


 

 思わず本音が声に出てしまった。


 結花は笑いながら焼き鳥を頬張る。

彼女のこういうところが一緒にいて楽だから好きだ。


 しつこく詮索したり、顔色伺いしてくるヤツは

面倒くさい。



 「ちょっとトイレ行ってくる」


 「え?また行くの?焼き鳥食べちゃうよー?」


 「いいよぉ、ついでに私のお酒頼んでおいて」



 返事も待たずに襖を閉め、靴を履いた。


 普段履いてるロングブーツより今日のブーツは短く、

留め具もない為、簡単に履ける。


 スリッパに足を入れる感覚に近いくらいに楽でいいから気に入っているが、

高い靴だから滅多に履かない。



 『確か一番端の部屋って言ってたっけ』



 廊下は一本道、間違えることはない。


 特に何か思うところがある訳ではないはずなのに、

少しずつ歩幅が小さくなり、音を消して歩いている自分の足に気が付いた。


『何してるんだ、私』


足首の方を睨み

ブーツのかかとの部分を強く踏んで、

これでもか、

とわざとらしく音を立てて歩いてやった。


 その音に釣られてなのか、

開いた横の襖から声が掛かる。



「こんばんは!ねえ!君めっちゃ可愛いねモデルの子?大学生?」


「・・・どうも」


 

 年齢は同い年くらいの若者二人。

グラスとタバコを片手にニヤニヤと笑みを浮かべている。


 「おごるから一緒にどう?友達も一緒なら呼ん———」

「邪魔」


 居酒屋のうるさかった鬱憤うっぷんを男共に吐き捨てた。


 固まった男達を無視し、


そのまま進んでから一番奥の部屋の前で足を止める。



 『この部屋か・・・』


 襖から中の様子は見えない。

逆に中から廊下ろうかを見られる心配はなかった。


 『別に特別用があるわけでも、

情があるわけでもないけど』


 友達が近くに来てると知った時、

誰と来てるんだろう。


 と思うことがあるだろう。

そんな気まぐれだ。



 「それで樺月ったら奥手でよー。山下を見習えって感じだよなぁ」



 大声でおちゃらけた声に複数人の笑い声が聞こえる。


 『この声は蒼汰君かな』


 声の主と呼んでいた名前で、

この部屋に彼がいると確信した。


 それ以外には男の声が複数人、女の声が3人


 誰がいるのか、少し気になってきた。


 サークルの飲み会と彼は言っていたけど、

私には「どのサークルに入る気はないんだ」

って誘いを断っていたからだ。


 私からの❝マリンダイビング❞サークルの誘いは断ったくせに、

それから数カ月もしないでサークルに入るなんて


気になるサークルでも見つけたのか、


いや、一年生ならまだしも、

二年目の大学生に限ってそれはないだろう。


二年にもなれば大学にどういうサークルがあるか

くらいおおよそわかっているはずだ。



 それとも他に趣味や目的が出来たのか。


 趣味の話なんか聞いた事ないし、

言ってたとしても覚えていない。


 中を覗こうと戸の隙間から片目を近づける。


だが、壁に掛けてある女物の上着が見えるだけで人の姿は確認できなかった。


 その時———



 「ごめんちょっとトイレっ!柴崎、後ろ通るぞ」



 声の位置が高い。

まずい、誰か立ち上がってこっちへ来る。


 反射的に勢いよく襖から離れ、

隣の部屋までステップし、

慌てて耳にスマホを当てながら背を向けた。


 つい背中まで向けてしまったが、

部屋からはこちらが柱が物陰になった見えない位置。

 

 万が一見られても、

「電話が来てお店の隅に来た」と言えば偶然をよそおえる。


 トラブルへの対処は万全だ。


 だが、出てきたのは知らない男だった。

変なため息が出る。


  向けた背で横目に見ていると、

 笑いながら襖を閉めようとする男の奥から視線を感じた。


 

 視線の主が気になり、

柱から顔を出して中を覗く。


 すると廊下側席の女性と目が合った。


 真っ直ぐにこちらを見つめていた為に、

仕方なく軽く頭を下げ挨拶をしてやり過ごす。


 面識のない人だが、目が合ったしまった以上

反らすのも変だから。


 頭を下げた角度で向かいの席に、

樺月君が座っているのが見えた。


 丸く小さくなった肩、うなだれた首に

思わず口元の緊張が解けてしまう。


『私の事で飲み会に集中出来てないんだぁ』


笑みが零れそうになる。


 それを耳に当てていたスマホで今度は口を隠し、

目じりが下がるのを眉を高くして防いだ。


 だがその高揚も一瞬。


 『あの箸置き・・・』


 あることに気付いた。


 それは彼が座っている席にいる兎の向き。

正面の黒髪の女性の方向を見ている箸置きだ。



 大学のサークルで聞いたことがある。


 箸置きの向きや、おしぼりの位置を使い、

好きな女の子を相談する男の手口の話。


 初めて聞いた時は、「よく考えるなぁ」

なんて思ったけれど。


 それ以降飲み会で、

箸とか割り箸の入った紙を、

皆が皆、私に向けていた事に気付いてからは

男はやっぱりバカな生き物だって再認識していた。


 目の前の彼も例に漏れずバカな男に再認定だ。


 付き合っていたときはサークルに誘っても入らなかったくせに。

別れてからも私のこと好きだとか言ってたくせに。


 私に嘘をついた。


 個室の彼を見た時、

落胆し落ち込んでいると思った。


 だがどうやらそうではないらしい。

先程会釈をした向かいの女と、

互いに不自然にしきりに下を見ている。


 女はこっちの会釈に一度も頭を下げることなく

会話を聞きながら樺月君と一緒に下を見ている。


 『あーそういうこと』

 

 察した。


 『飲み会そっちのけで連絡を取り合っているんだ』


 じゃなきゃ飲み会のような話し賑やかな場にいながら、

二人だけその盛り上がりに参加せず、

下ばかり見ている違和感に説明がつかない。



「ふーんそっか・・・

かーくんはやっぱり噓つきだ」



 男が襖を完全に締め切るまで、

その長い黒髪を目に焼き付けることにした。






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