第42話 青の季節

「・・・ごめん。気持ちだけ受け取らせて」




七瀬瑠璃音の長いまつ毛が眼前でピタリと止まった。


 心臓の激しく胸を打つ鼓動が、

建物全体に響いているかのように大きい。



 『気持ちだけってなんだ!

何をカッコつけてんだ俺ッ!!』


 動揺と緊張の中、呻くように振り絞ったちっぽけな勇気が

気取られてしまいそうだ。



 誤魔化そうと苦し紛れに息を止めてみたが、

心臓の音は一層やかましくなるだけだった。



「え?」


 乾いた返事が顎をかすり、

彼女はゆっくりと目を開いて肘をまっすぐに伸ばす。






 「あー、えーと・・・

どうして今瑠璃音ちゃんがそこまでしてくれてるのか

検討もつかないんだけど・・・多分、これは間違ってる。

 それに誠意とか、謝罪とか見せて欲しいわけじゃなくて・・・

  なんて言ったらいいか分からないけど、

今は自分の中で色んなこと反省して整理してゆっくり消化してる最中で

だからこんなこと・・・」



 思考の定まらないチグハグな文章で思わず抵抗してしまった真意を説明しようと

懸命にもがくが彼女の冷たい表情に脳内はぶくぶくと泡を吹いて沈んだ。



 「はぁ?なにそれ」



 遠くの波のせせらぎに

さらわれそうな程小さく低い声。


しかしはっきりと彼女はそう言った。


 彼女は覆いかぶさったままだが、

先程までの宝石のような瞳は黒く褪せている。


 日陰の中でうつむいているせいかもしれないと

目の光を探すように顔の角度と話の流れを少しだけ変える。



 「それに瑠璃音ちゃんには好きな人いるんでしょ?

余計なお世話かもしれないけど、応援す―――」

「あぁー!!そうだったぁ!かーくん彼女さん出来たんだったもんねぇ!」



 思い出したかのようにスッと体を起こしパチンと両手を合わせた。

彼女の太股から上の体重がこちらの腰に伝わる。



 「ごめんねぇ、別れたの最近だと思ってたから

もう新しい人いるって実感なかったぁ」



 褪せていた瞳は嘘のように光を取り戻した。



『忘れてた。そうだ今旭川と付き合ってるって設定だった・・・』


 日の陰りを照り返すように眩しい笑顔。

狂気にも似た彼女の感情の起伏の激しさにひるんで動けない。


 そして何事もなかったかのようにスッと立ちあがり、畳を降りた。



 「かーくんってホント優しいよねぇ、

❝俺には彼女がいるから❞とは言わないんだねぇ」


 「ごめん・・・」



 ここまで話が進んでいて、

今更話を訂正は出来ない。


 それに、本当は付き合ってないと真実を伝えたとして

どうなるものでもないだろう。



 『でも何で付き合ってるって設定なのに

なんで距離感近かったんだ?

瑠璃音ちゃんも途中まで忘れてて今思い出したのかな』


 出来事に整理をつける理性とは裏腹に

手元は彼女が乗っていたであろう自らの腹元を

名残惜しそうにさすった。


「危ない危ない。あれ以上進んだらかーくんに浮気させちゃう所だったよぉ」


「あれ以上・・・」



 「そろそろ交代の時間だから誰かくるかもねぇって、冷たぁっ!」



 裸足で外の様子を見に行った彼女は日差しの元に出ると、

小さな悲鳴と共に兎のようにぴょんと跳ねた。



「え、砂が熱いじゃなくて?」


「違うよぉ、誰かがココにかき氷こぼしたのぉ」



 指をさす方に歩いてみると、

容器と一緒に赤いシロップの残ったかき氷が溶けていた。


 しみ込んで色が濃くなった砂に小さな彼女の足跡が付いている。



 「もぉ、さいあくぅ。お水で洗ってくる」



 海の家に常設してある、蛇口をひねり彼女が片足を上げて洗っているを見ていると

マリンサークルの一人が「交代の時間めっちゃ遅れた」と謝りながら駆けてきた。


 

 時刻は10時を過ぎ、彼女るりねとはそれ以上特に会話をすることもなく、

交代際に手だけ振って颯爽と去って行ってしまった。


 それからマリンサークルの人と他愛のない会話をしながら海を眺め

蒼汰が「お交代ですわ~」と走ってきたのは11時前だった。

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