第41話 日陰の人魚姫

 そして今に至り、彼女―――七瀬瑠璃音は目の前に居る。


 客どころか従業員もおらず、

電気も付いていない少し暗がりな海の家の畳の上に二人きりで体育座り。


 天気が良いのにここが薄暗いと感じるのは、

日差しとそれにてられた砂の眩しさに満ちた景色せいだろう。


 マリンサークルの人達の話によると海の家を貸してくれたのは

この大学のOBだという。


 今日の始業時間はお昼からで

始業前の午前中は自由に休んでくれて構わないとのことだった。



 「どうするの?泊まるのぉ?」


 「あっ、ごめん、なんだっけ?」



 床に手をつく自身の手の甲に重ねられた彼女の手から

逃げるように、パッと手を引いた。


 その動きに違和感を残さないように頭をかく。

だが特に彼女は気にしている様子はなかった。



 「私と泊まって行かない?って話。

ほらぁ、前に言ってたじゃん。『旅館とか行ってお泊りしたい』ってぇ」


 「あぁ、言ったね・・・そんなこと」


 「旅館ではないけどぉ、綺麗なところだと思うよぉ?」

 


 七瀬瑠璃音と一晩を共にしたい。


 それは彼女と付き合っていた時の話。


 彼女との交際が始まってすぐの頃、


 「いいぃぃぃぃぃやっほぉおおおおおおお!

最高だぁぁぁぁ!」


 と一人恥ずかしげもなく舞い上がり、

その嬉しさのあまり人目がない所を通るたびに

ジャンプアッパーを空へお見舞いする程だった。


 好きな人に、直接好きと何度言ってもいい事の幸せ、

好きな人が自分だけの存在としてちぎを交わしてくれたこと。


 理由はそれだけだが、浮かれるには十分だった。

 


「一緒に何処へ行こう、買い物に行きたい。

デパートで彼女と服を見て似合わない帽子を被って、笑いあったりして」


 「遊園地も行きたいな。

アトラクションは苦手かなぁ。

そしたら、椅子にでも腰かけてクレープでも食べながら、ずっと話したいな」


 そんな妄言を誰もいない自室の天井に向かって話していた時、

数えきれない彼女との妄想の果てに、❝温泉旅行に行きたい❞

なんて願望が降って湧いた。


 そしてラインで我慢できずに本人に直接「旅館とか行ってお泊りしたい」と

伝えたのだった。


«浴衣姿も見てみたい»

«一緒に御膳を食べたりしたい»


そんな妄想と願望を

彼女の既読も付かないまま、書き溜めた手紙のように送っていた。

 

 伝えていない不純な動機もあった。


 はだけた浴衣を見たい、

同じ湯舟に浸かりたい。

一緒の布団で一線を越えたい。


 男なら、好きな女性にやましい願望は出るもの。


 その不純な性欲駄々洩れ文を送るのをグッとこらえた末、

「泊まりたい」の一文でなんとか抑えたのだった。



 今思い返せば、

顔を隠したくなる程恥ずかしい文を送ったと思う。



 「よ、よく覚えてるね、それ言ったの付き合ってすぐの頃だから去年くらいの終わりくらいの話じゃなかったっけ?」


 あまりの恥ずかしさに乾いた笑いで返し、畳の目をなぞった。

 


 「そうそう!❝寒いから温めてねぇ❞って送った気がするぅ」


 「その返信でどれだけはかどったか・・・」


 「え?」


 「何でもないですッ!」


 「なんで敬語ぉ?変なのぉ」



 思い出話に花が咲いたかのように、

彼女の声色や表情は柔らかくなっていった。


 だが反対にこちらの顔の表情筋固くなりこわばっていく。


 彼女の機嫌が良く見えるほどに、

何を考えているか分からなくなってきたからだ。



「・・・俺に会ったり一緒に話したりするの嫌いなんじゃないの?」


「え?私かーくんにそう言ったっけぇ?」



 彼女は座ったままこちらの正面に移動して、

人魚マーメイドのように足を揃えて崩した。



 『何でわざわざ正面に来るんだ!?

どこを見て話したらいいか分からん』


 とりあえず、変なところを見ないように彼女の顔だけに視線を集中させると

お決まりのポーズのように下唇に人差し指を押し当てた。



 「のぉふっ」


 肘に当たってグッと盛り上がる胸。

眼球はすぐに言うことを聞かなくなった。



 「でも最近ちょっと私も荒れてたかも、

言葉とかきつかったよねぇ、ごめんねぇ」


 「いや、全然気にしてないから!」



 今度は口も裏切り、言うことを聞かない。

めちゃくちゃ引きずって口からリバースしたくせに。



 「俺も無神経な所あったし、今日はたまたま一緒になっちゃったけど、

これからはちゃんと距離取るから安心し―――」

「やだよぉ、やだぁ。

そんなこと言わないでぇ!ごめんって謝ったじゃん」


 彼女は首をぶんぶんと振る。


 そして、またもやこちらの手を取ってきた。


 今度は両手でがっちり掴まれ、

そのまま彼女の太股ふとももの上に押さえつけられるように置かれた。


 むちっとしながらもひんやりとした感触が指先一面に伝わる。



 「ちょっと!瑠璃音ひゃんッ!?」



 20歳童貞の初めて女性に触れた情けない声である。


 

「私の誠意・・・まだ伝わらない?」


 押さえつけられた手の力が強くなりその柔らかさと弾力と引き込まれる。


 比例するように心臓の音も強くなり、耳が熱く脈を打ち始めた。


 水着とはいえ半裸のような恰好。

こぼれそうな谷間を眼前いっぱいに拝める距離。


 宝石のような瞳いっぱいを潤わせ、

写った自分がその中に吸い込まれてしまいそうだ。



 「せ、誠意って・・・」


 「それはぁ、樺月君にしかしてあげられない誠意だよ。

・・・でもぉ覚えといて、しちゃうのもぉ

誠意を見せるのもぉ。

心を許してる特別な人だってコト・・・」



 瑠璃音は自らの太股に乗せていた手を優しく払った。


 同時に、ずいっと四つん這いの体勢になる。


 「ど、どうしたの?」


 冷静を装う問いかけをかわす猫のように

彼女はしなやかにゆっくりとこちらに迫っていた。


 体はこちらに向かって歩いてきているのに

左右に揺れるそれから目を離すことが出来ない。


 こちらは体育座り。

距離を取ろうと我に返ったときには既に手遅れだった。


 下がろうと開いた股の間に彼女の膝を落とされ

一歩、二歩であっという間に上に覆いかぶさられてしまった。


 逃げ場を失った頭は畳の上に落ち、彼女の両腕が両肩に噛み付いた。


 いよいよ上半身も下半身も逃げ場はない。


ミルキーブロンドの柔らかい髪が鼻先にあたってくすぐったいが、それどころではない。


 「瑠璃音ちゃん・・・」

 「だーめ、動かないで」


 動揺のあまり首を絞められたかのような擦れた声が漏れ、 

彼女の漏れた吐息が頬に垂れる。


 「お昼まで・・・まだ時間あるから」


 「いや、ちょっと待って意味が分からないよ!」


 「意味が分からないことなんて世の中沢山あるよ。

一個一個理解しようとしてたら疲れちゃうよ?・・・」

 

 「そ、それに誰か来たらマズいって・・・」


 「その時は一緒に逃げてすっぽかしちゃお?」


彼女はその大きな瞳を閉じた。


同時に鼻に当たる髪が、

頬を通り耳をさすった





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作品のかのえです


無事40話を超えることができました

←1話短いだけだろ




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