第36話 虎のち猫

「この魚は食べれるのかな?」


「食べれれないみたいですよ。

ソウシハギって名前で、筋肉から肝臓にまで毒があるって書いてあります」


「へぇ、じゃあこの脂の乗ったおいしそうなのは?」

「これは―――」


他愛のない魚の話をしながら暗がりを進んでいた。



「楽しいね水族館って。子供の時以来だよ、

昔はホームセンターの水槽コーナーに親とよく来てた」


 涼しい顔をしながらも魚たちを追う瞳は獰猛な獣のように鋭く

暗がりに反射する水槽に八重歯が光る。


「わかります。うちも田舎だったからホームセンターが大きくて

魚コーナーよく行ってました」


 健康的な褐色肌、

魚に驚いたり笑う度に光る鋭い八重歯を見ながら答える。


『蒼汰が飲み会の夜、兎の箸置きを向けてたのが

柴先輩、あいつはこういうタイプの女の人が好きってことだよなぁ』





蒼汰は胸がデカいだの尻がいいだの下世話な話が多いが、

彼女は全体的に整っていて健康的なスタイルをしていた。

ふくらはぎに筋肉がうっすら線が出来ているところを見るに、

健康意識がある人間かスポーツをたしなんでいる人間に間違いないだろう。



 目線を上げると目が合った。

目を細くして今にも猛獣の唸り声が聞こえそうだ。



 「私の足に珍しい魚でも泳いでいたかい?」



 「あ、いや!

スタイルいいなって思って。・・・あ」


 失言。目は泳いでしまい。

先輩は顎を引いて露骨に一歩下がる。


 「はぁ、全くこれだから今時の子は。

その辺の子に言うとセクハラ男認定されるから、注意したまえよ」


「言いませんよ!!ていうか先輩だって絶賛今時の子じゃないですか!?

自分はただ。筋肉が服の上からでも見えてたんでつい・・・

運動とは無縁そうな蒼汰とはどうやって知り合ったんだろって気になっただけです」


引いていた顎をため息とともに戻す。


「そういうことか・・・」


 声のトーンを少し落としながら、

彼女はスマホで泳ぐ魚たちを撮り始めた。


彼とはね、サークルで知り合ったんだよ。

私はスポーツ愛好会の所属でね。

彼をうちのサークルに招き入れたのも私なのさ」




 サークルに入ったとは前に聞いていだが、

彼女が勧誘したという話は初めて聞いた。



 「私も樺月君に話したいことがあったんだけど、聞いてもいいかな?」


「そういえばここに入る前に話したいことがあったって言ってましたよね。

俺で良ければ、何でも聞いてください」


 別に聞かれて困るようなことはない。


 彼女は言葉を確かめるように

大きく肩で息をしてから再び口を開いた。



「奈桜の件・・・すまなかったね」


 柴先輩は一瞬こちらに眼光を滑らせるが

再び瞳を水槽へ戻した。


「旭川ですか?何かありましたっけ?」


「お、呼び捨てなんだね。

いいねぇ若いねぇ」


「茶化さないで下さいよ」


水槽を見つめる彼女に対して声を低くして反論すると

「ごめんごめん」と悪びれるそぶりもなく再び八重歯を光らせた。


「奈桜と遊園地に行ったんだろう?

その時の彼女の靴・・・いや服もそか。

あれは全て私が選んだものなんだ」


話によると、

旭川は異性と出掛ける服が分からないから選んでくれと

柴先輩に頼んだらしい。

服を選んでくれなんて頼まれたのが

初めてだった為、

先輩も気合を入れてコーディネートしたとのことだった。


「まさか遊園地に行くだなんてね。

てっきりその辺のカフェか、

映画でも見てくるのかなって思って選んだ服装だったから。

血まみれの足を見た時は驚いたよ、

奈桜にしては珍しかったからさ」


「そうなんですか?」


「服にだって無頓着で、

マネキンにあるやつそのまま一色揃えるような子だよ?。信じられる?今時の子なのにさぁ。」


 『先輩もオシャレだけど、

今時のこの格好じゃないと思う。

フットワーク軽めなボーイッシュな服装だし』


口には出さず心に留めといた。



「まぁ、何着ても似合うし可愛いんだけど

私の選んだ服なんて今まで素直に買った試しがないんだよ?可愛くないよね!」


「・・・そうっすね」

そんな子が服を選んでくれなんていうから、

ついに彼氏が出来たのかと思ったら、

まさか樺月君だったとはねぇ。

でも助かったよ、相手が君でよかった」


「彼氏じゃないですよ。

彼女にはビジネスパートナーって言われましたし、

調査のようなもんです・・・」


そう早口に告げた瞬間に彼女はドワッと笑った。


「奈桜ったらそんなこと言ったの!?

ハハハッ、なるほどビジネスね!

それなら確かに奈桜言いそう」


「そんなに笑えることです?

それに、なんだか旭川のことよく知ってる感じですけど

結構仲いいんですか?」


 声を出して笑う彼女に、

少しだけ違和感を覚えていた。


「笑える事だよ。

人付き合いが苦手な奈桜が、

樺月君を友達と言っていたり、

本人に対しては仕事仲間と言ったりしてるんでしょ?おかしな話だもん」


『旭川に友達ともちゃんと言われたけど、

まだ笑ってるし言わなくてもいいか』



柴は深呼吸しながら落ち着きを取り戻し、

別の水槽へ移動する。



「奈桜とは高校の頃からの付き合いなんだよ、

同じ吹奏楽部でね、私の後輩なんだ」



「え?先輩吹奏楽部だったんですか!?」



 旭川が吹奏楽部だったのも意外だったが

スポーツマンにしか見えてなかった彼女が

楽器を持っている姿は全く想像出来なかった。



「意外でしょ?アタシ、中学校の頃から水泳やっててさ、

高校でも水泳で先輩達に私の泳ぎで一泡吹かせてやるか

って思ってたんだけど水泳部がなくてね。

気付いたら楽器吹いてた。ウケるっしょ?」


「はぁ」


「肺活量には自信あったから楽器も行けるっいけるっしょって

甘い考えで入ったら、全然だめ、楽譜は読めないわ、

楽器丸洗いして怒られるわ。そんなこんなで

二年になった時に変わった一年が入ってきた」


「旭川ですか・・・」


「そ。あの子、あんまりしゃべるタイプじゃないけど

根は真面目で不器用だからさ、

練習しない三年生達の教室にわざわざ注意しに行ってさ

生意気だの、なんだのって、もう大騒ぎよ」


「なんか、想像できますね」


 旭川は思った事を平気で言うタイプだ。

それは自分が一緒にいてもよくわかる。


 上級生なんて肩書に、

彼女はとらわれないだろう。


「そっからはもう見てらんなくてね、

部活辞める騒ぎになって、止めたのが私」


「流石の旭川も部活に居づらいですもんね・・・」


「ん?・・・いやぁ逆逆!!

先輩達のが嫌になって辞めようとしてたの。

でも部員数ぎりぎりで、

コンクール近いのに辞められたらまずいって

私が間を取り持ったって感じ。

それからアタシと奈桜はよく話すようになったんだ」


「なるほど・・・」


スポーツマンの柴先輩と

文学少女のつながりがようやく見えた気がした。


「本当は今日だって二人で水族館を回る予定だったんだよ?」


「だからチケットが2枚ってことなんですね」


「そういうこと。

ま、小説の情景書くのに情報が欲しいって

駆り出された身だったんだけど、

そこでたまたま樺月君を見つけたってわけ」


 先輩が時折スマホで写真を撮ってるのは

そういうことかと納得した。


 「柴先輩、

旭川が作家だってのは知ってるんですね」


「自分だけ知ってる秘密だと思って

ちょっとショックだったかい?」


「いえ、別に」


 嘘である。

本当は、ほんのちょっぴりショックだった。


 彼女との秘密を共有出来ている唯一無二の関係だと思っている節があったからだ。



「なんだかんだで4年の付き合いだからね、

樺月君より奈桜の事、詳しいつもりだよ?

例えば、

寝るときは抱き枕ないと夜中に起きちゃう、

とかね」



 ニタリと暗がりの中で笑う彼女は

こちらの心まで見え透いているかのようだった。



「支えてあげてよ,これからも奈桜のこと。

いい子なんだけど不器用で危なっかしいからさ」


「勿論です。支えますよ、友達ですから」


「あくまで友達ってスタンス?

奈桜、学生時代から結構モテるけどいいの?」


「何が言いたいんですか?旭川が友達って言ってくれた以上―――」

「胸はかなり大きいよ?」



「んぐっ・・・」


折角かっこよく意志を貫こうとしているのに、

いたずら小僧のように平気で下心に揺さぶりをかけてきては

したり顔でこちらの顔色を窺ってくる。


何処となく掴みどころがない先輩だ。


 最初は豹や虎のように見えていたイメージも

今は魔女の使いの黒猫に思えた。



「奈桜、最近元気がなくてね。

私は好きな事に熱中しているあの顔が好きなのに、

今は焦っているような苦しそうな表情をするんだ。

私じゃ治してあげれないんだ。

だから樺月君、君に彼女を助けて欲しいのだよ」



「助けるって具体的にどうすれば・・・」


先輩の言う、苦しそうな表情というのが

理解できなかった。


そんな自分が彼女の為にしてあげられる事など、

想像の範疇には存在しない。


「実験に付き合ってくれるのかね?」


「はい」



「よろしい、ならば今日から私も協力者だ」


「協力・・・者?」



 怪しい博士のようなわざとらしい口調で

八重歯以外の白い歯もギラリと光らせた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る