第3話◆思い出と日常

 「じゃあ、行くね!ばいばい」



 彼女は小さな手を腰元で目一杯めいいっぱい振ると、

曇り一つない笑顔で、人の群れへと溶けていった。



 『完全にけられてると思ってた・・・』



 その姿が見えなくなっても尚、その場から動くことが出来ない。


 人生20年しか生きていないが、今までの人生で本気の恋。

期間こそ短かったが、想う気持ちは誰よりも本気の相手だったから。



 彼女から連絡が来るだけで、

その日までの不幸は全て帳消ちょうけし。


 声が聞ければそれだけで頭の中は縁日えんにちになる程に夢中になった。


 逆に連絡がこない日は、この世の終わりのような絶望と、

自分に至らぬ点があったのでは、と不安の渦に飲まれ彷徨さまよう。

そんな怒涛どとうながらも幸せな毎日。


 そんな感情のみなもとのような彼女を失い、

そして今日2週間ぶりに直接会って話が出来た。


 だが全てが唐突にして一瞬。

頭の整理が追い付かず、

体どころか口もろくに動かないのも無理はいだろう。



 『もっと何か話せたらよかったのに、

気の利いた事なんにも言えなかったな・・・』



―――



 「瑠璃音ちゃん。愛しの太股ふともも。ありがとう」



 背後から≪そろり、そろり≫わざとらしくゆっくり歩きながら

彼女へと向けていた視線の間に割り込んでくる男が一人。



 「俺の心情悟ったような気持ち悪い俳句、

声に出して読むのやめてもらっていいか?」


 「歩くたび、跳ねる乳房ちぶさが夢のあと。」



 こちらの忠告を無視しながらきびすを返し、またそろり。

 

 

 「マジでやめろって。」


 「童貞よー、そもそもお前にぃ、不相応ぉ」


 「うるさいわ!あとその変な俳句やめろ、

蒼汰!童貞はお前もだろっ!」



  詩人のうたのように音程に勢いがついてきた男の肩を手で払ったが

【ノーダメージ】と言いたげに澄ました顔をして、

赤ぶち眼鏡を頭脳インテリキャラのように薬指で眉間にかけなおした。


 ―――三嶌蒼汰みしまそうた

 背丈は170前後のもやし体系。髪は茶髪のマッシュルームヘア

刈り上げられたもみあげから

真っ赤なぶち眼鏡のフレームを光らせ

自らの三白眼さんぱくがんを、「俺、めっちゃ有名な歌手と同じ目。」

とイケメン歌手と自分を重ねる節のある男である。


 こちらの肩をポンポンと叩くとにんまり顔。



 「お前と俺には明確な差ができている。

お前は彼女が出来たにも関わらず、童貞を捨てられなかった男。

そして俺は彼女を作らず、童貞を守り続けている男。

どちらがより誇り高いおとこか。

ふっ、つまりそういうことだよ。」


 

 いや、どういうことだよ。

なんていつもなら返すが、

今は精神に負荷を受けすぎてそれどころではない。



 蒼汰は大学に入ってできた初めての友達である。


 1年前にテストの日に風邪で休んでしまい

後日補修を受けたことがあった。


そこで偶然一緒に補修を受けることになった事をきっかけに

どちらから、というわけでもなく話したりご飯を食べる仲になったのだった。


 朝のラインも蒼汰からの昼食の誘いだ。



 「悪いことは言わん、諦めるのがお前の為だ。あんな天使みたいな女の子。

同じ空気吸って隣歩けただけでも天国イキってもんだパトラッシュ・・・」



 腕を組み一人勝手に納得している蒼汰を無視し、

瑠璃音に手渡されたケータイを見つめる。


 終わった恋にすがる浮かない男の顔が真っ暗な液晶に映った。



 『この好きはそう簡単に諦められない。

でも相手の嫌がるようなことはしたくないんだよな』



 これ以上嫌われ互いの溝が深まることは避けたいし

心的ダメージを追加で受けるのは絶対に精神が耐えられない。



 『次なんか言われたらマジで正気でいられる自信がない・・・

だからってこのまま何もしないのもしんどい』


 

どうしようもないジレンマは考えるだけ無駄だと八つ当たり気味に

グシャグシャの頭の中を髪の上からきむしった。



 「恋人か?欲しけりゃくれてやる。探せぇ!この大学のそこに置いてきた。

女は星の数ほどいる!そしてフラれ玉砕し、大後悔時代だいこうかいじだいを迎えろ。

それをつまみに宴をしよう。お前は悲しい恋を忘れられる、俺はお前の玉砕話に酒がすすむ、ウィンウィンじゃ―――」



ふざけた話を飽きもなく続けるキノコ頭を無視し校内へと向かうことにした。






◆◆◆







 『まさか気持ちの切り替えした瞬間に瑠璃音ちゃんに会うとは思わなかった。

過去は過去、終わった恋は終わったのだといったん気持ちを切り替えていこう・・・

でもやっぱり可愛かった・・・しかもめっちゃ胸でかかった・・・』



 ぼやきながら眺めた時計の針は4時を回っていた。


 講義が終わり生徒たちが席を離れていくなか、

ざわつく講義室で再び頬を叩く。



 『煩悩退散、煩悩退散!』


 「樺月今日夜空いてる?」



 講義終了早々こちらの≪お祓いタイム≫を気に留めることもなく話しかける蒼汰。



 「毎夜毎晩まいよまいばん空いてるよ。何なら家に帰りたくない気分だ」



 今の自分は家に帰っても音のない部屋の中で気持ちが沈んで落ち込んでいくだけ、

女々しい話だが一人で過ごす夜は辛い。



 「おぉ!そうか!、それはよかった!

今日飲み会で女子も来るんだけどお前も来るだろ?」


 「・・・なんか、久しぶりに誘われた気がするけど。」


 「バーロー。美人彼女がいたお前を誘えるわけないだろうが。

今回もかなりかわいい子が揃ってますぜアニキ。」


 

 両手の平を揉み合わせながら、何故か口を出っ歯にして子悪党を演じる蒼汰。

実際この男の用意する飲み会はなぜか美人が多い。



 「飲み会は・・・いいよ、今は楽しく飲めそうもないし。わるいな」


 「まあまあ、そう言うなって。今の未練に決別するって意味での送別会だと思って親友からのささやかながらの贈り物ってや・つ・よ」



 ウィンクしながらすり寄ってくる、少しきもちわるい。



 「どうせただの人数合わせだろ?」


 「それは君の目で確かめたまえ少年!とりあえず6時半に大学前の駅に集合な。

ほんじゃ俺は色々準備あるからお先!」



 そう言うと足をグルグルにし講義室を風のように去っていく。



 「女のことになると人が変わるな・・・今の俺が言える立場じゃないか・・・

てか結局昼飯食うの忘れてた」



 一人残された講義室で最近の食欲不振に目をつむり、

睡眠不足を解消するように机に伏せ込んだ。

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