第8話 後ろの正面

 皆程よく酔っているのか、会話の調子が上がり声が少し大きい。

盛り上がりは、今日一番となっていた。



 「みんなはどういう男がタイプ系?」



 河野が全員に話題を振った。



 「うーん、どうだろ?」



 櫻井も、篠原と顔を見合わせ考え始める。

酔いも回ると下世話な話が発生しやすいのは、いつの世も一緒だ。



「私は頑張り屋さんな人かな」



 先陣を切ったのは柴彩愛

日本酒のおちょこをつまみながら肘を机につけた。



「俺!めっちゃ頑張ってるよ!!」

『おいぃ!露骨だぞ蒼汰!』


 彩愛の言葉尻に食いつくメガネキノコにツッコミを入れたいが

思っても助言できる距離ではない。



「あはは、蒼汰君は頑張ってるよね。ずっといいになれそうだよ」


 「そうだよね、なんだかんだ俺ら息合うしなぁ」



 蒼汰は腕組みしながら眼鏡を掛けなおす。



 「そうそう、ほんととして申し分ないよね!」


 「わかるぅ!!」



 蒼汰は柴と顔を合わせ大笑いすると

女性陣に笑顔を向けたまま、

自分の兎の頭を男性陣こちらに向けてきた。


 『さ、察したか・・・』


 ≪救難信号≫のシグナルサインである。



 「「すまん蒼汰、二回もあんなにはっきり言われたら

助け舟はだせぬ」」


 男一同は涙目にも見える兎の救難信号から目を背けた。



 「私は聞き上手な人がタイプ・・・かな。」



 隣の櫻井美里が柴に続いた。

唇を手のひらで隠しながら、横目に言う彼女。


すかさず河野が立ち膝に勢いをつけて


「おれ!!話聞くよ!!」

「ううん大丈夫ッ!!」


 即答だ。しかもかなり食い気味。


 河野は何事も無かったかのような顔でストンと座り、

兎をこちらに向けてきた。



 「ま、まあ今日は初回だしさ。楽しく飲めればいいじゃん?ね?篠原さん」



 山下が変な間を作らないよう慌てて言葉を取り繕いながら

河野にフォローを入れ戦線へおもむく。

 


 「そうだよ!今日はみんな楽しく飲む会なんだから!

私も彼氏いるし!」


 爆撃に被弾し、大げさに吹き飛ぶ山下

兎がまた一匹こちらを向く。


 全員ものの見事に撃沈し、兎達の視線がたまれない。



 「・・・私は面白い人が好き」



 首を傾げながらつぶやく旭川はボソりとそれだけ言い残し

継がれていたジョッキに口をつけた。


 グラスから垂れる汗に、蒸れた唇が触れ、

ゴクリと鼓動する喉がどこかなまめかしい。

撃沈した男達は生唾を飲んで見届けると、

三匹の箸置きは一斉に旭川に狙いを定める。


「おい・・・お前ら・・・」


 呆れてモノも言えなかった。現金な男達である。


 「悪いな柴崎ィ!所詮しょせんこの世は弱肉強食よぉ!」


 鼻息を荒げる河野。

他の二人は何食わぬ顔をしているが、眼はハイエナのように飢えている。


 『よくこんなんで今まで飲み会してたな・・・

てか被ったら俺優先じゃなかったのかよ』


 旭川に兎を向けていたのは三人を思っての事。


 それなのに、当の本人たちの白々しさは

もはや呆れを通り越して笑いがでる。



「全く・・・今日は楽しもう」



 隣の山下に小声で言った。

開始からずっと和やかなで楽しそうな雰囲気に当てられたのか、

色々考えるのが馬鹿らしく思えて不思議と胸が楽になった。


 そして答えのない不安や、無気力から少しだけ救われた気がした。


 『そうだ、人生は恋愛が全てじゃない。失恋が一生の恋じゃない。皆でバカやるのも大学生活キャンパスライフだ。今日はその再スタートにしよう』


 会話こそ頭に入ってなかったが、女性陣も楽しそうにお酒を飲み、話をしている。

 皆がみんな、恋人になれずとも良好な関係は築けるに違いない、と確信した。


 そして、そんな安心感からか気がゆるみ、尿意をもよおした。



 「ごめん飲みすぎた、ちょっとお手洗いに」


 「その通路右に真っすぐ行ったらあるよ」


 一瞬全員から注目を集めたが柴が優しく教えてくれる。


 「ありがとう柴さん!」


 「おいおい!早く戻って来いよ!主役なんだから!」


 蒼汰の横やりに手の平をたてにして謝り、靴を履く。


 去り際に視線を感じる、旭川だ。

愛想笑いすることも、らそうとするわけでもなく、

ふすまを閉めるまで視線が途切れることはなかった。


 廊下は相変わらず薄暗いが、人の賑やかさが目に見えて明るい


 「天然系なのか、不思議ちゃんなのか。

はたまた冷やかしなのか。あれだけ美人だ、

実は自分は勝ち組で、恋人のできない俺たちを笑いに・・・いや、無いか・・・」


 柴彩愛しばあやめが割り勘がルールと言っていたところから、

御飯ごはんたかりにきた女性達ではないし、

終始真剣にこちらの話を聞いていた。


 「まあ、考えてもよくわからんし、今日は楽しく飲むって決めたんだ。

ちょっと話をして、飲んで食べて気持ち良く帰ろう」


 狭い居酒屋の手洗い場で、自分の浮かない表情に両手の平を打ち付け、喝を入れると

気持ちを切り替えて部屋を後にし、廊下を歩きだした。


 廊下が、―――いや、視界が明るくなったように見える。


「気持ちが晴れると、目に見えて視界も晴れるものなのかもな」


 実際はまぶたが大きく開いたとか、そんなとこだろう。

だがそんなことはどうでもよかった。


「なにから頑張ったらいいか解らないから、目の前にあることから頑張ろう」


 廊下の関節照明がさらに強く感じ、踏み出す一歩が大きくなった気がした。



「だぁれだ~?」



 心に灯り始めた火は、蠟燭ろうそくを一吹き消すかのように

一瞬で消され、夜が訪れる。


 目の前が真っ暗になり何も見えない。

だが停電になったわけではない。


 誰かが自分の目を、手でおおっている。

背中から問う甘ったるい声と、温かい指に反応も出来ず、

その暗闇に引っ張られるかのように体が後ろに持っていかれた。


「ッ!?」


やわらかく大きなが、背中を受け止める。

そのが背中に触れると体積はそのままに、

表面積が≪ふにゃり≫と広くなり

背中全体を蒸れた真綿に包まれるような感触が襲ってくる。


 同時に嗅覚にも発問はつもんしてくる百合花の香り。

ディオールの香水だ。

この爽やかで甘い香りを忘れはしない。


 幻聴でも聞き間違いでもない。振り返らずともわかった。

そしてそのあまい声、あまい匂いは

差した光に踏み出す覚悟に、いともたやすく闇をまき散らした。

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